3人が本棚に入れています
本棚に追加
誰にも愛されていない、と感じているあなたへ
ここまで読んでくださった方はもう、私の言いたいことは分かっていらっしゃると思います。しかしながらこれは、誰にも愛されていないと感じている方に向けて書いたもの。ですので最後まで書かせていただきます。
確かに子ども想いの親ばかりではありません。ネグレクトに家庭内暴力、子どもを殺す親に無関心な親、誕生日ケーキすら用意してくれない親など、いろんな親がいます。しかし世間一般の親というものは、大抵子どもを大切にしています。
あなたの親御さんはどうですか?誕生日ケーキは買ってくれましたか?プレゼントはどうですか。あるいはもっと日常的な、日々の食事は用意してくれましたか?炊事に洗濯、掃除、食器洗いはどうですか?おもちゃは買ってくれましたか?
あなたの親御さんがどのような方かは分かりません。もしかしたら親御さんがいない方もいらっしゃるでしょう。けれどこの文章を、ここまで読み進めることができたのならば、ある程度の国語力があるという事です。あなたがおぎゃあと生まれてからその国語力を得られるまで、あなたのことを支えてくれた方はいませんでしたか?もし仮にあなたがここまで読み進めていても、それでも自分が誰にも大切にされていないと感じるならば、残念ながらそれはあなたが誰のことも大切にしていないから、という事になります。
あなたが誰にも、親にも愛されていないと感じているならば、あなたの「愛」を測る物差しは三十センチ物差しでしょう。対してあなたがここまで大きくなるまで支えてきた方、それを「親」というならその方の「愛」は国道一本分くらいは優にあるでしょう。三十センチ物差しで国道の長さは到底測れません。
「親」も人間です。生まれた瞬間から「親」だった人も、人生二回目って人もいないでしょう。全ての「親」が初心者です。更に子どもはまさに十人十色で、それぞれが抱える問題はバラエティに富んでいます。例え複数人の親であっても、上の子と下の子を全く同じように育てることは不可能です。それでも親は日々コツコツとそれぞれの子のために国道を敷くのです。その国道は行き当たりばったりに作るため、所々アスファルトが捲れ、砂利道のままになっていたり、工事中の札がいつまでも置きっぱなしになっていたりします。
子どもはそんな国道の上にふんぞり返り、それが敷かれているのは当たり前だと思います。何故なら生まれた時からあるからです。しかも兄弟姉妹などがいれば、隣の芝が青く見え、やれ隣の道路の方が綺麗だとか、やれここに穴が空いたままだとか、三十センチ物差しを振り回しながら言うのです。「やはり自分は大切にされていないんだ」と。
けれどそれは間違いです。あなたが愛されていないのではなく、あなたが愛していないのです。
あなたが真にどれくらい愛されているのか知りたいのならば、積極的に利他的行動を取ることをお勧めします。何も大変なことをしろというのではありません。相手が疲れている様子を見せたなら、珈琲でも淹れてあげようかなとか。好物はあれだから、今日はそれを作ってあげようかなとか。シャンプーがちょうど切れたけど、次相手がお風呂に入る時困るだろうから、足しておいてあげようとか。そんな小さな事で構わないと思います。
相手はお礼も言わないかもしれません。シャンプーに至っては気付きもしないでしょう。それでも何かを求めてはいけません。ただただ相手を思い、自らの時間などを少しでも相手の為に使ってみる。それを継続し、意識せずにすら行えるようになったとき、あなたの周りには「愛」があることに気付けるようになっていることでしょう。
最初のコメントを投稿しよう!