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 月影、という言葉にはその字面とは対照的に『月の光』という意味があるらしい。  それをはじめて知ったとき、私は「そんなの知りたくなかった」と思った。  だってそれじゃあまるでこの世に影なんて無いみたいじゃないか。  誰の目にも留まらず、誰にも評価されず、誰の意識にも残らない。そんな孤独で陰鬱で魅惑的な人も場所も在り得ないみたいじゃないか。  誰しもいつかは誰かに見つけてもらえる、なんて。  そんな他人に縋るばかりの希望に満ちたつまらない世界で、息をしていたくはないのに。 「じゃあいってくるよ」 「うん」  優斗は新調したギターバッグを背負って玄関の扉を開けた。暗い廊下に太陽の光が差し込み、その光を浴びて金髪のアフロが輝いた。 「あ、そうだ」  玄関を出た所で優斗はこちらを振り返った。そして今まで聞いたことのないほどのあたたかい声で言う。 「今まで支えてくれてありがとな」  満月のように眩い彼の笑顔を見て、息が止まった。 「うん」  どうにか返事をすると彼はひとつ頷く。そしてそのまま振り返ることなく、ゆっくりと扉の向こう側へと消えていった。  彼の姿が見えなくなって、私は短く息を吐く。  私はずっと彼を見てきた。  彼は毎日ギターを持って路上に立ち、誰も聴かない歌を歌っていた。誰も見向きもしない世界で、自分の存在を証明するかのように声を張り上げていた。  そんな闇の中をがむしゃらに進み続けた彼は、ようやく光を見つけて歩き出したのだ。  これはきっとそういう幸せな物語。  だから私は、彼に祝福の言葉を贈るべきなのだろう。 「──さよなら」  音を立てて扉が閉まる。埃っぽい廊下が再び暗闇に満たされる。  その片隅で、私は深く息を吸った。 (了)
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