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実家というものは、こちらがどんなに避けようとも、ひとたび足を踏み入れれば、一瞬にして、母胎にも似た、えも言われぬ懐かしさに包み込まれてしまうものだ。
今年の正月は帰ってねぇから、一年半ぶりだな、なんてことを考えながら、徹平は年季の入った暗い廊下を足音を立てずにそっと歩いた。
自室のある二階へ向かおうと、階段に足をかけた時。
「てっちゃん?」
上から椿の声がした。
「ああ、ただいま」
間の抜けた掠れ声で、徹平が応じる。「おかえり」病院で会った時より幾分落ち着いた声で、椿が応えた。
「ごめんね。これからまた病院行かなきゃだから」
何もお構いできなくて、と階段を降りながら、椿が言う。「別に。ちょっと寝るだけだし」身体半分避けながら、徹平はそっけなく答えた。
「今、潔子さんが昇龍のこと見ててくれて」
階段を降り切ると、椿は二階へと目を向けた。
潔子は、毎年繁忙期となる夏の時期に、家事全般を頼んでいる家政婦さんだ。今回は緊急事態のため、特別に来てもらっているようだ。
二人の子供を育て上げ、今は夫と二人暮らしだという潔子は、割と身体の自由が利く。そのため、こんな時でも嫌な顔ひとつせず、すぐに駆けつけてくれるのだ。
野々瀬煙火工業は、この潔子のおかげで成り立っていると言っても過言ではない。
そんな彼女は今、恭介と椿の一人息子、昇龍を見ているという。
「ぐっすり寝てたから大丈夫だと思うけど」
騒がしくしちゃったらごめんね、と椿は申し訳なさそうに眉根を寄せた。
「別に構わねぇよ」
徹平は再び階段を登り始めた。
「じゃ、行ってきます」
その背に椿が声をかける。
「気をつけて」
ちらりと肩越しに振り返ると、徹平は足早に自室へと向かった。
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