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そんな彼女のエゴがつまった薬屋にひとりの男が訪れた。彼はアクスルと言い、町の小麦畑で働く青年だ。仕事中に農具で怪我をしてしまったらしい。アーヴァにとってはすっかり馴染みの客であった。
「またですか? 気をつけてください」
「むりだ。鎌の先に気をつければ転ぶし、足元を気にしていると今度は前が危ない。人か壁か、何かにぶつかる。仕事は好きなんだけどね。どうも上手くいかない」
困ったように笑うアクスルにアーヴァはため息をつく。棚からいつもの薬を取り、素っ気なく手渡した。
「どうぞ」
「ありがとう。怪我をするのは嫌だけど、君に会う口実ができると思えば悪くないね」
「……そうですか」
アーヴァは眉をひそめ、静かに返した。
どうして好かれてしまったのか。どうして、よりにもよって彼なのか。仕事もろくにできないくせにいつもへらへらしていて、気に食わない男。全く、何がそんなに楽しいのか。アーヴァはいつもそんな風に思っていた。けれど反面、彼みたいに生きられたら楽しいだろうとも考えてしまっていた。
「じゃあ、きっとまた来るよ」
アクスルは丸い目をきゅっと細めて代金を支払う。
「もう、来なくていいですから」
このときのアーヴァは、彼とのありふれたやりとりに安心感を覚えていることに少しも気づくことはなかった。けれどアクスルの定期的な怪我とあたたかさは、少しずつ彼女に笑顔を与えていった。それはまるで枯れ果てた大地に落ちたひとしずくが小さな芽を育み、豊かな森が生まれるかのよう。
一年後ふたりはささやかな結婚式を挙げた。アーヴァはプロポースを受けたとき、自らが魔女であることを告げた。それでもアクスルはなんだそんなことか、と変わらない笑みで手を取った。これでもう退屈しのぎはおしまいだ。アーヴァは胸の奥が熱くなるのを感じていた。
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