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先日はあんなに眩しい夕陽に溢れていた空き部屋も、今日は雨特有の憂鬱さにしっとり包まれ静かに佇んでいる。
人目を避けたい俺たちにとっては丁度いい薄暗さだった。
「こんなことならタオルもう一枚持ってくればよかったなぁ。体も冷え切ってるじゃないか」
早く着替えさせなければの一念で楓のボタンを一つずつ外す。
誓って邪な心はなかったが、力の抜けきった楓の肩からぱさりとシャツが滑り下りた途端にハッと我に返った。
「あ…、ご、ごめん。着替えくらい手伝わなくてもよかったよな。俺、下にまだ幼稚園通ってる弟がいるからつい…」
鳶色のジャージを押し付けて離れようとしたが、剥き出しになった細い腕が俺を抱き止めた。
驚く間もなかった。
気がついた時には、呼吸が触れ合うほど鼻先を寄せた楓が全く自然な動作で目を閉じ唇を寄せていた。
雨が。窓の外で冷たく降りしきる。
「か、かえで…!!」
俺は力任せに楓を押し返していた。あまりに突然のことに頭はパニック状態で。
「な、な、なに考えてるんだよ!!」
「何って…」
大きな瞳が無感情に瞬く。
「陸は、俺を好きだって言ってくれたから」
その言葉に漂う温度は悲しいほどに何もない。同時に目を引いたのは、楓の首筋にいくつも色づく花びらのようなアザだった。
俺は…馬鹿だ。やっぱり告白なんかするべきじゃなかった。
想いを伝えることで楓と向き合えると思ったのに、これじゃあ高田先輩やあの女の人と同じ場所に落ちただけだ。
「好きだって言われたら、誰でもいいのかよ」
やりきれない怒りが声に滲む。楓はきょとんとした顔で予想以上に最悪な一言を放った。
「俺を好きにしたいから、好きだって言うんじゃないの?」
「なっ…、だ、誰がそんな酷いこと言うんだよ!?そんなわけないだろ!?」
「じゃあ、何で?」
「何でって…」
普通なら息をするくらい当たり前のことが、楓には全く通じない。俺はすっかり頭を抱え込んでしまった。
「俺は、楓を大事にしたいんだ。もっと沢山、笑ってくれたらなって…」
「笑う…?」
「だから、楓とこういうことがしたいわけじゃない」
はっきり告げると、楓の目は戸惑いに揺れた。きっと雨水を弾く葉のように、俺の言わんとすることが染み込まずに滑り落ちているのだろう。
俺たちは互いの想いでさえ交わることが困難なようだ。
「とにかく、風邪ひくから着替えろよ」
「…うん」
楓がもそもそ着替えだすと気まずい沈黙が流れる。
少しだけ和らいだ気遣わしげな雨音だけが二人の間に「大丈夫?」と問うている。無論、大丈夫なわけがない。
そんな空気を切り裂くように、校内放送が鳴り響いた。
学年主任の角田がうるさいほどに「秋山」を連呼している。
結局俺は渋々部屋を出て行く鳶色のジャージを黙って見送ることしかできなかった。
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