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宇宙のはじまりのころには、すでに数人の魔女があった。
彼らとはもはやまみえることはかなわない。
時代がくだるとともに、魔女の数も増えた。
あるとき、彼がうまれた。
のちに時の魔女と呼ばれるようになった彼は、時を渡ることができた。
さまざまな時代へおもむき、存在し、影響を与えた。
彼の子孫たちもまた、その力を受け継いだ。
その力の強さはそれぞれであったが、おうおうに時を渡った。
さらに時代がくだり、その子孫たちの中に、私利私欲のためにその力を乱用するものが現れた。
彼らのおこないは、時空連続体を傷つけ、ときに世界を危機にもさらした。
心ある子孫たちはそれを修復することを始めた。
その時代に近い、能力を受け継いだ子孫を見つけ勧誘し、ときに教育もした。
そのつどいの中枢の数名以外の、ほとんどの子孫には大した能力はなく、それどころかもはや魔女ですらないものも多かった。
ただ、時の魔女の遺伝子コードを持っており、時を渡る素質はあった。
彼らの仕事は、おのれの生きる時代からそれほど遠くない時代に忘れ物を拾いに行くていどのちいさな仕事だ。
ほとんどの彼らにとってそれは一生に数度あるかないかのことだった。
平凡な中学二年生・九葉ディランにはすこしだけ悩みがあった。
みっつ年上の兄・アンセルのことだ。
とはいえ、兄自身に問題があるわけではない。
血のつながらない義兄。ディランが五歳のときに母親が彼の父親と再婚して、兄弟になった。
それ以来、本当によくしてくれた。
やさしくて、頭がよくて、きれいな顔をした兄。
日の光を透かしたようなやわらかな髪、青みがかった瞳、初めて会ったときにはディランもまるで王子さまのようだと思った。
当然学校でも人気があった。
学校は中高一貫だったけれど、とくに、ディランの通う中等部の生徒にはこれといった接点がない。
そこで、弟のディランだ。
男女問わずよく兄のことでたのまれごとをした。
しかし、ディランは兄がそういったことをなにも望まないと知っていたので、毎度断りを入れることになった。
それでもディランをアテにする人間は後を絶たず、ときにはディランに悪態をつくような相手もいて、おそろしく面倒だった。
兄に弟の苦境を知られ申し訳なさそうな顔をさせてしまうのもつらい。もう二度とそんな顔はさせたくない。
九葉ディランは今日も悩んでいた。
九葉アンセルは時の魔女の子孫のひとりだった。
彼が十四歳のとき、見知らぬ大人が実母とともにやってきて、彼が時の魔女の血を受け継いでいることと、彼らの活動に協力して欲しいということを告げた。
実母は、するもしないもおまえが選べばよいと言った。
アンセルは思わず父のほうを見た。けれど父は母の言葉にうなづいただけだった。
だからアンセルは、彼らに協力することに決めた。
アンセルは父がほんとうに好きだった。
それはただ父親としてだけでなく、彼というひと個人として、のことだった。
いつからかはわからない。
自覚したのは十一のときだったけれど、きっとそれよりもずっと前からそうだったのだと思う。
アンセルは自他共に認める母親似の息子だった。
母のようになりたかった。
彼女は、大好きな父が唯一選んだ女性だ。
義母は、母が父にあずけたひとだったので、そうではないことを知っていた。
義弟とも血のつながりはない。
ほんとうの意味で彼の子であるのはアンセルだけだった。
母は、時の魔女だった。
その才を受け継ぐ子孫というだけでなく、近年生まれた中ではめずらしい、ほんとうの時の魔女だった。
すこしでも近づけたら──
そうしてアンセルは時の魔女の有志の末端に加わった。
午後の授業が始まるすこし前。
学校に、電話がかかってきた。
魔女の仕事の依頼だった。アンセルにとっては初めての仕事の依頼だ。
二十年ほど前に落し物を拾いに行く仕事らしい。
出発は、今すぐ。
アンセルは学校を早退することにした。
その前に父に連絡して早退を許可してもらっていた。
家に帰ると、その父がアンセルを出迎えた。
「おかえり、アンセル」
「ただいま。わざわざ戻ってくれたんですか?」
「ひとりで行かせるわけにはいかないだろう」
「こちらの時間ではほんの一時ですよ。たぶん」
「かもしれないが。初仕事だ。ひとりでは不安もあるだろう」
「はい。ありがとうございます」
気にかけてもらえたことがうれしくて、微笑む。
「俺が戻ったらもう、魔女から荷物が届いていた」
と、父はリビングのテーブルの上を指した。
アンセルはさっそく、それを開けて中を見る。
中には、着替えと護符が入っていた。
着替えは、どこかの学校の制服のようだった。アンセルには見おぼえのない意匠で、どこの学校のものかはわからない。
護符はブレスレット型だった。
それには、指令書と時を渡る呪文とその場所の座標が入っていて、装着者を行き来させる力がある。らしい。
くわえて、本来の時代ではない場所において彼のすがたをまわりのものに認知させないようにするらしかった。
認知されないということは、そこにいないのも同然だ。つまり護符をつけているあいだはほとんど年をとらないし傷ついたり汚れたりもしない。
そういう話を、事前に魔女から聞いていたのを思い出す。
部屋に戻って着替えをして、指令書を確認する。
着替えを終えるとまたリビングに戻った。
その格好を、父に確認してもらう。
「変じゃないですよね?」
「よく似合っている」
些細なことだけれど、褒められるとうれしかった。
それでは、ついにタイムスリップをするときだ。
緊張する。
落し物を拾う簡単な仕事とはいえ、時を渡るのは初めてなのだ。
「気をつけて」
父は落ち着かせるように息子の肩に手を置いた。
「危ないと思ったら迷わず戻って来い」
「やるからには、できるだけはがんばります」
「魔女がなんと言おうと、おまえの安全のほうが大事だ」
「──はい」
アンセルは、すこし逡巡したのち、父を見上げる。
「あの」
「なんだ?」
「行く前に、ハグしてもらえませんか」
「いいよ。おいで」
そう言って父は腕を広げた。
アンセルがその中におさまると、ぎゅっと抱きしめて安心させるように背中を撫ぜる。
「いってらっしゃい」
「いってきます」
護符を作動させると、アンセルのすがたは光につつまれて、消えた。
「ついにあの子が行ったか」
背後からかかった女性の声に、父は驚かなかった。
彼女はいつも神出鬼没だ。
まるでどこにでもいて、どこにもいないように。
その小柄な人影を、振り返る必要すらない。
「ああ」
「あと数時間だな」
「四時間十七分」
「そうか」
彼女は笑ったようだった。
「賢いというのもほんとうに難儀だな、九葉キース」
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