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甘やかな痛み
「おつかいの物は、これで最後?」
「うん。私が引き受けたのに結月まで手伝ってくれてありがとうね」
町の通りを二人で並んで歩きながら、あかりは右手にいる結月を見上げるとにっこり笑いかける。
結月は僅かに目を見開いた後、淡い微笑を浮かべた。それはともすれば無表情にも見えるくらいの小さな表情の変化だったが、あかりには結月が笑っていることがはっきりとわかった。
「偶然居合わせたわけだし……。それに、あかりと出かけられるなら、これくらいいつでも付き合うよ」
「ありがとう。結月はやっぱり優しいね」
「……それだけじゃ、ないんだけど……」
「え? 何か言った?」
結月が何やら呟いたことはわかったが、その内容までは聞き取ることができなかったあかりはこてんと首を傾げた。
結月は何か言いかけたが、遮るように背後から声が掛かった。
「結月様! あかり様も!」
驚いて振り返れば、あかりも顔見知りの青柳家の家臣の一人である女子が小走りにやってきた。
「桜子さん」
あかりが名を呼びかけると、桜子は「ごきげんよう」ときれいな微笑を湛えた。しかしすぐに顔を曇らせるとがっかりした様子を見せた。
「せっかくあかり様にもお会いできたのに、残念ですわ」
「もしかして急ぎの用事でも?」
「そうなのです」
桜子はあかりに苦笑で応えると、さっと真剣な顔つきになって結月に体を向けた。
「結月様。春朝様より言伝を預かっています」
結月がひとつ頷いたのを合図に桜子は言伝を話し始める。
あかりはそんな二人の様子を眺めてしばらく待つつもりでいたが、それよりも周囲の視線が気になって落ち着かなかった。
通りの端の方に寄ったとはいえ、どうしたって人目を集めてしまう。視線のほとんどは結月とその隣にいる桜子に向けられているようにあかりには感じられた。
(絵になるものね……)
結月は言わずもがなだが、桜子も負けず劣らずの美人である。二人が並び立つ様はまさに美男美女といった具合でお似合いだった。加えて同い年であることから、主従の関係ではあるものの気安さも見て取れる。
桜子にはその気がないことを以前に聞いてはいたが、それでも勝手にもあかりの胸はずきりと痛んだ。今までも結月と桜子が話し合っている姿を何度も見てきたが、こんな気持ちになるのは初めてのことで、あかりは戸惑いを覚えた。
じくじくとした痛みを訴える胸を、昏くて熱い感情が侵していく。
ぐちゃぐちゃになりかけた心中を自覚することも、他ならぬ結月に悟られることも怖くて、あかりはこの場にこれ以上いられないと玄舞家の邸の方へ足を踏み出した。
話し込んでいたにも関わらず、結月はあかりが動いたことに目敏く気がついた。
「あかり?」
「……私、先に帰ってるね」
結月はあかりを呼び止めたが、あかりは構わず逃げるように歩き出す。とにかく今だけでも結月と桜子から離れたかった。明確な理由はあかり自身にもわからないが、この胸の痛みが答えのような気がしてならなかった。
あかりは玄舞家の邸に帰りつくなり、自室へ向かった。
夏の日は長くて、酉の刻になってもなお外は明るいままだった。中庭から室内へと差し込んでくる夕陽の橙色が眩しくて、思わず目を細める。
見慣れた景色にあかりのざわついていた心も幾分か落ち着きを取り戻したころ、背後から控えめに名前を呼ばれた。
「あかり……」
振り返らずとも声だけで誰だかわかる。さっきは逃げるようにあの場を後にしたが、今なら冷静に物事を考えられるかもしれない。あかりは深呼吸をしてから、振り返った。
「結月」
結月はまず、ほっとしたように小さく息を吐いた。
「良かった……。さっき顔色が良くなかったから、心配した」
「……そうだったの?」
「うん。気分が悪そうだったのに一人で帰るから……。もう、大丈夫なの?」
「少しは落ち着いたかな」
あかりが曖昧に笑うと、結月は僅かに眉根を寄せた。
「……本当のことは、話してくれない?」
鋭い一言に、あかりの心臓はどきりと跳ね上がる。
他者の気持ちを慮ってあまり踏み込んだことを訊かない結月にしては、珍しく食い下がってきた。それほどまでにあかりのことが心配だったのだと、切ない視線が訴えてくる。
さきほどの感情はあかりにも整理のついていない部分が多々あるし、話したところで結月を困らせるのではないか、そもそも知られるのが怖いと思っていた。
しかし、結月のこの目を見てしまったら、言葉は自然と口から滑り落ちた。
「私にもよくわからないんだけどね……」
あかりの前置きに、結月は静かに相槌を打った。促されるまま、あかりは次の言葉を発する。
「結月と桜子さんを見てたら、なんていうか、お似合いだな、って……」
結月はきょとんと目を瞬いていた。結月の顔を直視できずに、あかりは俯いてしまう。
「でも、それにもやもやして、嫌だなって思う自分がいて……」
自分でも何を言っているのかわからなくなってくる。結月のこともさぞ困らせているだろうと、だんだんといたたまれなくなってきたあかりの声は尻すぼみになってしまった。
不自然に終わった告白だったが、結月は最後まであかりの言うことを聞き届けるとぽつりと呟いた。
「それって……」
声からは結月の感情をうかがい知ることはできず、あかりはおそるおそる顔を上げた。
見つめた青い瞳は隠しようのない熱を孕み、まっすぐにあかりの赤い瞳を射抜いた。
心臓がさきほどとは別の意味でどきりと高鳴る。あかりは目を逸らせずに、ただ息をのむことしかできなかった。
「期待、してもいいの……?」
「期待?」
「……自惚れてもいいのなら、妬いてくれた、ってことでしょう?」
決定的な一言に、あかりの頭の中は真っ白になる。同時にそうか、自分は嫉妬していたのかと妙に冷静に納得する自分もいた。
(でも、それじゃあ、私が結月のこと、好きみたいじゃない。うん、確かに好きなんだけど、意味が違うっていうか。まるで幼なじみってことじゃなくて、恋愛的な意味で好き、みたいな……)
硬直し狼狽えるあかりに結月はそっと呼びかけた。
「あかり」
遠慮がちだが熱を含んだ声音は、あかりを現実に引き戻すのには十分だった。
「え、はいっ⁉」
あかりの上ずった声での返事に、結月は一瞬目を丸くした後、ふっと小さな笑みを落とした。結月が笑ったことで、あかりの緊張も動揺も和らいだような気がする。
そうして結月は優しい微笑みとともに続けた。
「本当は答えが聞きたい、けど……。あかりを困らせたくはないから、これ以上は訊かない」
そう言う結月はさして残念そうな様子をみせないどころか、どこか満足げですらあった。
対してあかりは結月の言葉に安心したような落胆したような複雑な思いだった。
(私ってば、どうしたいの?)
ままならない自身の思いを持て余しながら、あかりはゆっくりと口を開いた。
「結月は、それでいいの……?」
「うん。今は、これで十分」
予想外にも、結月は迷わずに即答した。
「……期待しても、少しくらい自惚れてもいいんだって、わかったから」
「え……?」
あかりが真意を理解する前に、結月はくるりと背を向けた。
「買ったもの、まだ昴に届けてない。それに、ただいまの挨拶もしないまま来たし……」
「あ、そ、そうだね! 私も一緒に行くよ」
廊下に出る結月を、あかりは慌てて追いかける。
そこにいるのは幼なじみのあかりと結月だった。
(いまはまだ、このままで……)
変わらない関係に甘えていたい。もしこの関係が変わってしまったらと思うと怖い。ずっとこのままではいられないことは明らかだが、今しか過ごせない時間を、関係を大切にしたかった。
この想いに名前を付ける日がそう遠くないことを、あかりは密かに予感していた。
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