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眠るガイドとけだまを巡る呪い
「王族は生まれると、センチネルの力の大きさで扱いが変わるんだ。クロは知っていたかな」
頭を撫でられても、ちっとも嬉しくない。
人に撫でられたら、何が何でも嬉しくなるわけじゃないのだと初めて知った。
注入されたガイドの実の液は少量だったのか、一度血を吐いたら楽にはなったが、クロは本来の真っ黒けだまの姿に戻されていた。ご丁寧に、いつぞやのようにロープで縛られている。
「ヴィンター公アズウィルドにヘルブスト公エマ。王族直系ではないが、魔導士長のグレン。それ以外の連中も、センチネルの強さのお蔭で周囲からもてはやされ、素晴らしい地位を得て貴族たちも媚びへつらう。それはそうだ。ふつうのセンチネルなら、自身の足りない部分を魂獣と契約することで補うものだから」
さて、とオーナーは笑った。
センチネルではない王族は、どういう扱いをうけると思う、と。
「『パーシャル』として生まれついた王族は、絶対にセンチネルたちの格下であり、人ではないんだ。誰も、口にはしないがね。名前もちゃんと覚えている国民はほとんどいない。日陰の者なんだ。ちなみに私の名前は、もう王族の系譜から消されている。処刑されてしまったからね」
オーナーと同じ顔をした男は、クロの首根っこのあたりを掴むと、小さな部屋に置かれている寝台へと歩み寄った。その寝台には、一人の青年らしきニンゲンが横たわっている。その顔を見るのが怖くてクロはじたばたと暴れたが、離してはもらえなかった。
「彼だけが――アルロだけが、私を見てくれた。しがないパーシャルでしかなく、父にも周囲にも蔑まれ続けた私にも、彼は対等だった。そんな彼が、あの冷酷で無慈悲なアズウィルドの専属になるなんて、どうしても助けてあげたかった……しかし」
返事はしたくなくて、クロはぷい、と顔を背けた。
もう、亡くなって数年になるはずのアルロがまだそのまま存在しているなんて、信じられなかった。
「センチネルを使うことが禁じられるあの儀式の日が、唯一の機会でね。私を見下していた父の、質の良くない手下たちにいくつか金を積んで、襲撃させたところまでは完璧だったのに。……まさか、アルロが嫌っていたはずのアズウィルドを庇って致命傷を負うとは思わなかった」
そっぽを向いていたクロも、驚いて男を見る。クロにもうっすらと見えた、あの日のことを男は言っているのだ。
「私はセンチネルにはなりえない。パーシャルで無力だ。だが、アルロが死んだことを認めたくなかった私は、彼を蘇らせる禁術を求めて必死に文献を探し求めた。そこで、ふと子どもの頃から何度も聞かされた神話を思い出した。城の地下で守られている、神聖なる泉のことを。泉へ続く扉はどうやって開くか知っているか? ガイドの虹彩で開くんだ。私はアルロを墓の中から救い出し、泉へ連れて行った」
クロも、神聖なる泉は知っている。アズウィルドに言葉の練習にと読ませてもらった神話の冒頭に出てくるからだ。
「王族として建国神話は必ず習うが、城の地下にまさか本当に神聖なる泉なんてものがあるとは思わなかったよ。小さく恐ろしいほど透き通った美しい泉の真ん中には、大きなガイドの木が根を下ろしていてね。どれほどの深くまであるのか、見る分には分からないほどだった。神聖なる泉では、すべての魂が癒されるという。私は唯一、目にだけ恩恵があってね。その泉にアルロを連れて行った時に見た光景は、何だったと思う?」
ここで、男が笑う。今までクロが見てきたニンゲンの表情の中で、一番こわい顔で。しかし、クロも負けじと、目を三角にして怒りをあらわにした。
「ここだけの話だけどね。私の見え過ぎる目には、人の魂すら見えることがある。ようやく辿りついた、アルロが救われるべき場所で、彼の魂は少しずつその体から抜けて砕けていった。絶望したよ。泣き叫び、持っていた松明でガイドの木を燃やそうとしたのに上手くいかなくてさ。木に頭を打ち付けていたら情けないことに気を失った。次に目を覚ましたら――アルロの魂をせっせと拾い集めている、不思議な生き物がいたんだ」
それ以上聞くのはとても怖い気がする。
「それは、魂獣ではなかった。魂獣なら私にも魂が見える。だが、その不思議な生き物を見て思ったんだ。魂獣は、死んだセンチネルの魂のかけらを持って生まれる。じゃあ、その逆は? 魂のかけらが修復されて本人の肉体に戻すことができれば、ガイドを蘇らせることができるのでは? ってね。それからは、必死に禁書を漁り、実験を繰り返した。アルロの魂を修復するための器も、手に入れることができたしね。自分が死した後、魂獣となっても記憶や言葉を残す方法も必死で探った……まあ、結局自分自身を呪う、大昔に禁じられた方法しかなかったわけだが」
さすがに魔導士長グレンの魂獣に手を出したのは失敗だったな、と笑う男の目は冷徹なままだ。実験のために幾人も、幾頭もの魂獣の命を奪ったことが発覚し処刑されることが決まった後。
万端に準備を整えて彼は処刑に臨み、王族の系譜から男は抹消された。
今度は自身が元の記憶を残したまま魂獣もどきとして蘇り、再び己の目的を達成するために。
「なかなか難しい実験でね。魂をいじったせいで何匹も魔獣化してしまったし、余計なことを知った者たちには消えてもらうことになってしまったが。私の実験はとにかくあの泉で出会った、不思議な生き物――君のお蔭で成功したんだ。君はまさしく、神聖なる泉が私に与えてくれた最大の贈り物だった。まあ、聖職者どもがあそこに立ち入ったことを知ったら、とんでもない冒涜だと激昂して憤死するかもしれないが。アルロをあの時蘇らせられなかったのだから、神なんていないんだよ。本当はもう少し、魂の修復に時間をかけたかったが……もう戻すしかない」
アルロは生き返るんだ、と男は笑った。
――アルロが、おれだったら、みんなよろこんでた?
自分がエマに問いかけた時の声が、不意に蘇った。
エマはどう答えてくれたんだっけ、とクロは思い返す。
『あの暗い場所から……助け出してくれたのは、オーナーだった』
「そうさ、助け出した。神聖なる泉でアルロの魂のかけらを拾って、頑張って直そうとしていた黒い化け物をね。途中でグレンに見つかりそうになった時はヒヤリとした。あれは恐ろしいまでに嗅覚がきく。王族の敵には、何が何でも容赦しない恐ろしい悪魔なんだ。この事実が発覚すれば、君も殺されるだろう。アズウィルドとグレンにね」
そっか、とクロはようやく理解した。
最初から、『オーナー』にはクロの言葉が通じていたのだ。男はすでにニンゲンではない、別なものになっていた。クロの中にアルロの魂が入っていると言うなら、すべての辻褄が合う気がする。
本来なら存在するはずのない、ガイドの力を持った魂獣もどきであることとか。
「私の父の手下どもが、私の店に襲撃をかけてたのは酷い偶然だったよ。君にかけた術が有効なうちは、あのまま清潔な檻の中で君を飼っていられると思ったのに。君の姿がおぞましく見える呪い――センチネルの能力の違いなのか効かない者もいるようだが、あの店に来るような客連中程度ならごまかせていた。誰も、『醜い化け物』と契約をしようとはしなかったし、しようとすれば君は他の魂獣たちを引き合わせて、自らチャンスを作らないでいてくれた。なんて素晴らしい!」
『呪い、だったの? だっておれは、ずっとみんなからばけものって……』
「そうだよ、クロ。だから、私はちゃんとお前に本当の姿を教えてやっていただろう? 『可愛い』クロ。でも、他の者たちの目にはね、お前は醜い化け物に見えるんだ」
そっかあ、とこんな時なのに、クロの中はようやくつかえていたものが取れたような、そんな気持ちになっていた。
確かに、クロは化け物だった。
神聖の泉がどうの、というのは覚えていないけれど、男の言うことが正しければ、魂獣ではない謎の生物だ。ガイドの木の近くでうろうろしていたし、アルロの魂がクロの中にあったからガイドの実にも激しい拒絶が現れたのかもしれない。
でも、アズウィルドたちは、確かにクロ自身を見てくれていたのだ。
そのことがとても嬉しくて、エヘヘ、とクロは小さく心の中で笑った。
「さあ、アルロに魂を戻そう。そのためだけに私は、今まで君を生かしてきた。あの男のところでは楽しかったか? だが、そんな楽しみなど、知らなければもっと幸せだったのにな。何が楽しいかを知らなければ、絶望することもなかったのだから」
『違うよ!』
首根っこを掴まれながらも、クロは言い返していた。ハンナと、一緒におしゃべりしていた時のことを思い出す。
『幸せなんて、一人ひとり違う! オーナーに、おれの幸せなんて分からないよ。アルロの幸せだって、分かりっこない!』
「アルロは、私一人に愛されれば幸せなのだ」
『そのアルロを殺したのは、自分じゃないか!』
自信たっぷりに話していた男にクロが言い返すと、急に、今まで完璧に保たれていたオーナーの顔が崩れた。猿のような、豚のような、いや、もっと違う不思議な造形へとなっていく。しかも頭から黒い靄がかかってきて、理性が失われかけているのはすぐに分かった。
『……うるさい。アルロは、……私のことが、好きだった。あんな、男より』
『おれ、アルロの記憶をちょっとだけ見せてもらったよ。アルロは、エマが大好きだったんだ。エマのために、アズウィルドを守ったんだよ! おれと、アルロだって違う。おれは、アズウィルドのことが大好きだ!』
『うるさい、うるさい……!! もうおしゃべりはいい、アルロの魂を返せ! お前はそのためにだけ生かしたんだ! 私がいなければ、お前はどうせあの泉の中で死んでいた!』
黒い靄が、一気に噴きあがった。
(アルロの魂、取られちゃう……でも、おれ、アズウィルドのところに帰りたい!)
やっと夢だった憧れの舞踏会に行けたのに、恥ずかしくてアズウィルドと一緒に踊れなかった。
屋敷を留守にしたら心配かけてしまったし、まだ本も練習の途中だ。センチネルを制御していても、あの万年睡眠不足は解消なんて難しいだろうし、プレゼントのカフリンクスが修理から戻ってきたら、それを付けているアズウィルドを見たい。たくさん勉強したい。
もっとアズウィルドとおしゃべりをして、笑って。屋敷のみんなと共に、たくさんの日々を一緒に過ごしたい。
(アズウィルド……!)
魂のかけらが身体のどこにあるのかは分からないが、クロは泣きたくなるのを必死に堪えて、できる限り身体を丸めた。
ふと、なにかが自分のけだまから落ちていった。澄んだ音を立てて床に落ちたそれは、エマのブローチだ。ぎょろりとしたオーナーの目が、床に落ちたそのブローチへと向けられる。
『この……石は、アルロの……』
そう呟いた男の力が一瞬緩んだ隙をついて、クロは全身に力を込めて思いっきり男の顔へとぶつかった。視界を失った男が、タイミングよくブローチの丸くつやつやとした石を踏み、床へと転がる。
『バイバイ!』
イモムシみたいではあるが、這って逃げ出したクロだったが、あっさりと男は復活してしまった。
『可愛いクロ。君が真実何者なのかは知らないが、君が存在したということは、私、ルーエン・デモンシーは忘れない。もしその毛玉でも残れば、アズウィルドに贈ってやろう』
嬉々とした男の手が伸びてくる。ぎゅ、と目を閉じたクロは、ただ必死に、魂のかけらを最後まで守るために身体を丸める。
そんなクロの耳に聞こえてきたのは――振動だった。
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