なかなおり作戦

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なかなおり作戦

「ごめん、ハンナ……」 「あらあら。死にたがり……でございますか」  ハンナから頼まれた花は摘めず、アズウィルドの好きな花は分からず。しかも、結局アズウィルドのところから逃げ出してきてしまった。ダメ過ぎるクロを、ハンナは温かく出迎えてくれた。 「己の身の危険を顧みず、旦那様はずっと戦い続けておられますからね。でも、確かにご本人に向けて良い言葉ではありませんでしたね」 「アズウィルドに、失礼だった。おれ、本当にダメだ……言葉が分かっているからって、ニンゲンになれるわけじゃないんだね」  こんなに、いらない言葉ばかりを発してしまうようでは、ニンゲンの姿でいてはいけないのかもしれない。肩を落としていると、「でも」とハンナが返した。 「クロ様がいらっしゃって、旦那様の口数が増えたように思いますのよ。心が結ばれる魂獣の契約があるからでしょうか」 「……実は、契約……まだ」  あら、とハンナが口元を押さえた。 「それでは、なんとしても仲直りですわね。次の作戦ですわ!」  いつも温和なハンナの、キリッとした表情にクロはつられて頷いていた。 *** (そっと……そっと……)  ハンナの作戦は、アズウィルドの寝室襲撃、というものだった。なんでも、アズウィルドはいつ寝ているのか分からないくらい眠りが浅いらしく、グレンが開発したという夜眠るためのお茶を届ける必要があるらしい。緊張しながらトレイを運び、ようやく教えられたアズウィルドの部屋の前へとたどり着く。途中の廊下の窓からは、今宵も王城が光り輝くのが見えた。舞踏会が行われているのだろう。 「アズウィルド、入るね!」  トレイを片手で持ち、扉を開けようとしても思ったよりも力がいる。あれ、と手こずっているうちに、扉が勝手に開いた――のではなく、部屋の主が開けてくれた。 「何故お前が」 「ええと……ごめんなさい、したくて」  どんな眼差しを向けられても、今はすべてが仄かにしか見えない。ぎこちなく持っていたトレイはアズウィルドに奪われてしまったものの、追い返されることもなかった。さっさとナイトテーブルに本人がお茶を運んでしまう。しかし、この時のためにハンナから淹れ方も教えてもらったのだ。 「あの! お茶、いれる!」 「不要だ。他の者が来ないのなら、自分でやる」 「練習したんだよ、ハンナと。できる、たぶん」  多分なのか、とアズウィルドが呟いた。  練習の時よりも香りよく淹れられた気がする。準備が整ったことをアズウィルドに伝えると、この屋敷の主は無言でカップに口を付けて「……悪くない」と漏らした。 「このお茶、良い香りするよね! これ飲めば、アズウィルドは眠くなるの?」 「あった方がましという程度だ。眠りが浅いのは職業病みたいなもの。戦場で深く眠りこけていたら指揮官などできない」  へえ、とクロはティーカップを見やる。今のアズウィルドは魔獣退治などをしているけれど、少し前にあった他国との諍いで彼は大きな武勲を上げて、英雄と呼ばれたのだっけ、と思い出したりした。 「でも、今はぐっすり眠ってもいいよね?」 「簡単に切り替えられるほど、器用ではない」  静かにそう返してきたアズウィルドだが、クロが聞いているよりもずっと深刻な状況なのかもしれない。気にしなくてもいい程度なら、この男なら完璧に隠せそうなのに、隠すことができないでいるのだから。  自分が何かできることはないかと考えこんでいると、アズウィルドと目が合った。 「部屋に戻れ。これ以上は必要ない」 「アズウィルドが眠くなる方法、おれも考えたい」  お前が? と言いたげな顔はしたものの、それ以上言われることはなく、クロはそれを肯定と思うことにした。どちらかというと、アズウィルドがクロのことをなかったことにしようとしているのかもしれないが。  王族だというのに、余計な装飾品などない寝台で、クロを見ることなくアズウィルドは本を読み始めた。庭で読んでいたものと同じ本だな、と想いながらもクロは悶々と考え始めた。 (新入りがやって来たとき。みんな泣いたり怒ったり、しょんぼりしているけど、一緒にいるとそのうちみんな、おれだけ残してぐっすり眠ったりしてて。テンインが、もしかしたらおれから、眠くなる何かが出ているのかもって言ってたことあるんだ)  いつもどうしていたっけ、と思い返す。先日の新入りの時は踊って、ニセモノの耳をもらって喜んだだけだったし。そういえば、トラやオオカミは寝る時によくクロにくっついていた。 (アズウィルドにくっついてみる? でも、本読むのを邪魔しそう)  寝衣に着替え終えているアズウィルドはもう就寝もできる状態なのだろうが、恐ろしいくらい寛いだ感じは一切ない。むしろどことなく緊張感すら漂っている。しかし、アズウィルドの手元を見たクロは、息をのみつつも口を開いた。 「アズウィルド。おれも、一緒にその本、見てもいい?」  切れ長の目が、クロを一瞥してまた本へと戻っていく。ダメって言われなかったぞ、とクロは気合を入れてアズウィルドの寝台へと近づく。しかし、ニンゲンの寝台というのは踏み入れてはならない気がして、床に両ひざをつけて、上体だけアズウィルドに近づくことにしてみた。なんとか本の文字も見える。細かくて、必死にクロは文字を追ってみたがあまり理解できない。 「えーと……軍? 右と、左……」  ほとんど内容は分からないが、軍記ものらしい、とは何となく分かった。  黙って寄り添うつもりだったのに、あまりの難解さについつい言葉が声になって出てしまう。パタンと本がとじられると、クロは怒られると思い、床の上に背を丸くしながら座りなおした。寝台から下りたアズウィルドは部屋に置かれた本棚に向かうと、今まで読んでいた本を戻してしまう。機嫌を損ねてしまったのだろうか。それとも、もしかして眠くなったのかな。ドキドキしていると、表紙に綺麗な絵が描かれた大きめの本を持って彼は戻ってきた。 「まだ居座るつもりなら、寝台に上がれ。そこから覗かれても、却って気が散る」 「あ、うん!」  勢いよく立ち上がったクロは機敏にアズウィルドの寝台に上がり込んだ。クロの部屋にも、もったいないくらい素敵な寝台があるが、実は怪我をして寝かされていた時以来、ちゃんと使ったことはない。椅子に座ったままでも、部屋の隅でも寝られるし、寝られればどこだって構わないのだ。  しかし、こうやって本物のニンゲンみたいに誰かの隣に行くのは緊張するが、ワクワクもした。  広い寝台の中、どのくらいアズウィルドに近づいていいのか分からず、とりあえず端に座っていると「もっとこちらに来い」とアズウィルドに声をかけられる。自分から近づく、ということはちょっぴり恐怖もあった。しかし、勇気を振り絞り、ダメな距離ならアズウィルドが言ってくれるだろうと思い切って肩が触れ合うくらい近くまで寄ってみる。アズウィルドの顔は怖くて見れないが、彼の持つ本ならよく見えた。 「この表紙の絵! おれの友達の、オオカミみたいだ」 「我が国の神話を子ども向けにまとめたものだ。国語の教本として広く使われている。人の言葉が分かるというのなら、文字もしっかりと覚えた方が良い」 「うん、覚えたい!」  そうしたら、アズウィルドやグレン、オーナーたちとニンゲンがよくやる手紙のやり取りもできちゃうかもしれない。笑顔でアズウィルドを見ると、部屋の蝋燭の灯りのせいか、いつもは凍えて見える彼の縹色の眼差しも、一瞬だけ和んで見えた気がした。 「当面の目標は、この本をつかえずに読めるようになることだな」 「分かった、がんばる!」  手渡された本を開いてみる。先ほどまでアズウィルドが読んでいたものとは違って文字は大きく、ずっと簡単に書かれているのはクロにも分かった。これなら、クロでも頑張れば読める気がする。 「えーっと。この国には、季節の神の名をもつ四つの地あり。神聖なる泉と神獣をまもる? 北は……あ、ヴィンター! これは知ってる。アズウィルドの名前だ!」 「ヴィンターは四つある公爵領のうちの一つ。私がヴィンター公に叙せられているだけで、名前ではない。他の三つの公爵領も、国王陛下が誰を領主に据えるか決めている」  なるほど、とクロは頷いてゆっくりと読み進めていく。詰まってもすぐに教えてもらえるし、忘れていただけで教えられれば何となく文字を思い出すこともできた。 「神話にも魂獣は出てくるんだね! 神獣っていうのが魂獣たちの王さまなんだ! ……ね、アズウィルド」  クッションを背もたれにして上体を起こした格好のままでいたアズウィルドだったが、腕を組んだまま顔を俯けている。心配になって覗き込むと、とても静かにではあるが眠っていた。 「ほんとにおれ、眠りたくなるなにかが体から出ているのかも……!」  それが実証できれば、役に立つ魂獣として今度こそ契約してもらえるのでは。しかも、万年睡眠不足そうなアズウィルドにうってつけではないか。 (……ダメダメ。ニンゲンにしてもらえただけで幸せなのに、契約なんて高望みしすぎだ。それに、おれのこの顔はアズウィルドにとって良くないみたいだし)  それでも、こうやって傍にいても良いと言ってくれたり、ただの役立たずな魂獣でしかないクロにニンゲンから見ても立派だろう部屋を与えてくれたり。素敵な場所においていてくれるアズウィルドは、とっても優しい。 「あ……死にたがりのこと、あやまるの忘れた! アズウィルド、おれ、あやまってないよ⁈」  ハンナからお茶の淹れ方を教わったのは、アズウィルドに失言を謝るためだったのに。恐る恐る肩を揺らしてみたが、よほど深く寝入っているのかアズウィルドは目を覚ましてくれない。 「え~~~アズウィルド! おれ、あやまってから部屋に戻りたいよ」  しかし、ようやくぐっすりと眠れただろうアズウィルドを無理やり起こすのもむごい気はする。肉付きの少ない頬をつついたところで、アズウィルドが僅かに呻いた。 「あ、あのね! 死にたがりだなんて言ってごめんね。それ、あやまりたかった! 今度、ちゃんと起きている時にあやまるからね」  一度、確かに縹色の瞳が覗いたと思ったのに、アズウィルドはまた目をとじてしまった。それどころか、いつもトラやオオカミたちがそうしていたように、クロをその逞しさの伝わる腕で抱え込むとそのまま再び深い眠りに入ってしまう。多少クロがもがいたところで、出られそうにない。いや、相手は寝ているのだから頑張れば逃げ出せそうではある。しかし、もしかしてこの方がアズウィルドもぐっすり眠ることができるのかも、と考えると動けなくなってしまった。 (でも……こうやって眠るの、久しぶり)  いつも、一緒に寝ていたトラやオオカミたちは、彼らにふさわしい契約主と出会えただろうか。  目をとじると、アズウィルドが生きている音が聞こえてきて、それがなんだか嬉しくて。クロはほんのひととき、眠りについた。
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