ぐっすりの能力

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ぐっすりの能力

「あれ? おはよう、アズウィルド! おれの部屋に顔出すなんて、めずらしいね」 「……お前。私に何か術でも使ったのか?」  朝から渋面をしてクロの部屋を訪れたアズウィルドに、クロは目を丸くした。彼が仕事前にクロの部屋に来るなんてことは、初めてだからだ。それから笑顔で「ぐっすりの能力!」と返した。 「おれも知らなかったけどね。もしかしたら、おれには人にぐっすりをあげるパワーがあるのかも! アズウィルドは気持ち良くなかった?」  自分の異能にようやく気づけたかもしれない喜びが先行してしまったが、寝た後にアズウィルドが怖い夢を見なかったか急に心配にもなる。アズウィルドは縹色の美しい切れ長の瞳を僅かに開いてから、視線をクロから逸らしてしまった。 「そのぐっすりの能力とやらを使うのなら、力を行使した後は責任を持って最後まで部屋にいろ」 「えっ、最後までって……なんで?」  アズウィルドの言っていることが支離滅裂だ。クロには難しすぎて困り果てていると、飲み物の用意をしてたハンナがふふ、と笑った。 「朝になったらクロ様の姿が見えなくて、消えてしまったんじゃないのかと慌てて部屋中を探されたそうですよ。そうだわ! いっそ、クロ様も旦那様のお部屋で過ごされるのはいかがでしょう? 魂獣は契約主とは片時も離れずと申しますもの」 「え? え?? でもおれ、アズウィルドとはまだ契約……」 「動かすのは服くらいか」  あれ。  何か、クロの思い至れないところで話が進んでいる気がする。 「それから、共寝をした感想を求めるのは誤解を招く。他の者にはそのような物言いをしないように」 「感想……?」  そんなもの、求めただろうか。困ってしまい、またハンナを見ると、ハンナはまだ笑いを隠しきれていない。 「クロ様はきっと、悪い夢などは見なかったかと旦那様を心配していたのですよね。次からはそのように尋ねられると良いかもしれませんね。気持ち良いか、とお尋ねになられますと、まるで褥を共にした夫婦みたいな会話になってしまいますので」  夫婦みたいな、と繰り返してから、クロは段々と自分の顔に熱が集まっていくのを感じた。夫婦とは、ニンゲンにおける番いみたいな関係のことだ。魂獣を迎えにくるニンゲンの中には、夫婦で来る者たちもいる。夫婦たちの距離は近くて、親密そうで、魂獣のクロから見ても羨ましかった。 「そっ、それは! アズウィルドに失礼だよね。ちがっ、あの……」 「朝食にする。お前も来い」 「アズウィルド! おれ、実はクロって名前があるんだよ」  いつも通りのアズウィルドに戻ったので、クロもホッとした。  でも、朝食に誘ってもらえたのも、ここに来てから初めてだ。ふと、名前を呼んでもらえたら嬉しいな、なんていう思いつきで、返事をしてみる。  そうすると。  ほんの少し、アズウィルドの表情が動いた気がした。驚いた、そんな顔だ。 「そうか……お前にはお前の、名があるのだったな」 「うん!」  そうだよ、と笑ってアズウィルドの整った顔を覗き込んでみる。「黙れ」とか「離れろ」とか、アズウィルドがよく使う短い呪文も、今朝のアズウィルドはめずらしく唱えてこなかった。 *** 「ほー、王太子殿下から、ですか」 「先日、魂獣たちを王城に集めていたからね~。そこでアズウィルドに似合いそうな魂獣を見つけたんだそうだ。殿下はアズウィルド叔父上が大好きだからな~。ちっさい子どもらから見たら格好よく見えるもんね、アズウィルドは」  近くから誰かの会話が聞こえてくる。それらが聞き覚えのある声だと気づいて、クロは顔を上げた。 (グレンとディンだ!)  クロがいる茂みの向こう側には、アズウィルドが率いる騎士団副団長のディンと、グレンがいる。そして、グレンの隣には真っ白な美しい毛並みをしたライオンがいた。ライオンは退屈そうに、グレンの足元で寝そべっている。 「うーん。さすがの僕でも、王太子殿下からの好意を、アズウィルド本人の断りなく却下するなんて不敬なことはできないしね。とりあえず、アズウィルドと引き合わせるくらいはしておかないと」 「しかし、アズウィルド様にはもうクロがいますよ。契約はまだのようですが」 「クロはとても可愛いし、おしゃべりもできる聡い子だけどね。アルロ殿に似た面差しを見ちゃったら、アズウィルドが強引に契約を進めるなんてできないんじゃないかな~。ヘルプスト公のこともあるし」  グレンに、仲直りの甘いお菓子を取ってこようと思っているのに、彼らの会話が気になってなかなか立ち上がれない。真っ白なライオンはアズウィルドのために連れられてきた魂獣で、クロはアズウィルドと契約してもらうのは難しい、ということを話しているのだろうか。 (やっぱり、おれが似ている顔の人って、アズウィルドと仲悪かった?)  でも、どちらかというとアズウィルドが契約をしたいと思える決定打を、クロが持っていないのが原因だとクロは思っている。アズウィルドの万年睡眠不足を解消できる能力がある可能性が出てきたのだから、ここで逃げ出すことはしたくない。 (おれって、こんなに頑固だったかな……でも、アズウィルドからは離れたくない)  小さくて真っ黒なばけものけだまと、純白の美しいたてがみを持つ雄々しいライオンの姿をした魂獣を比べたら、どちらが選ばれるのかなんて目に見えている。ウサギに似た新入りには、契約してくれそうなニンゲンを譲ることはできたのに、『なんで』とは自分でも思う。  それでも、アズウィルドとの間に芽吹きかけたものを失うのは、今までに感じたことがないくらい寂しく思えた。 (自分にできる限りのことをして、ダメだったら諦める!)  アズウィルドが契約しても良いと思えるくらいたくさん頑張って、でもアズウィルドが彼にとってふさわしい魂獣を他に選ぶというのなら。 (みんなを見送ってきたみたいに、ちゃんとアズウィルドにバイバイってするんだ)  そう密かに決めて、クロはそっとグレンたちのところから離れようとした、が。  四つん這いの姿勢で去ろうとしたクロの襟首を、誰かが軽く引っ張ってきてクロは尻もちをついた。 (あれ。さっきの、白いライオン?)  抵抗する間もなく地面に転がされたクロを見下ろすのは、あの美しい純白のライオンだ。その目はアズウィルドのものよりもずっと薄い水色で、瞳孔がはっきりと見える。 「ええと、はじめまして?」  さっきから盗み見してました、とはさすがに言えない。  小さく声をかけると、ライオンは笑っているみたいに目を細めてから顔を近づけてきた。目を細める仕草はなんとなくアズウィルドに似ている気がして、おお、とクロは少し感動した。 「あれ? 消えたぞ、まずい!」  副団長たちが傍で騒ぎ始めた。  ライオンは自分が押し倒したクロに甘えるように己の頭を押し付けると、すぐ軽い足取りで茂みから出ていった。「良かった」と、グレンが安堵する声が聞こえてくる。 (うっ……ライオンも、わるいヤツじゃないかも)  トラやオオカミみたいだ。  そんな相手とアズウィルドの魂獣の座を争って勝ち目があるのだろうか。  クロはグレンたちに見つかる前にと、頑張って身体を起こしたものの、しょんぼりとしながら部屋へと戻るのだった。
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