371人が本棚に入れています
本棚に追加
ヴィンター公の宣言
「おい新入り、そっちじゃねぇぞ!!」
他のニンゲンが制止しようとするのを意にも介さず、クロに剣を向けられるのが見えて、クロはたまらずぎゅう、と目をとじた。落ちたりする分にはクロのけだまは最強の防御力を誇るが、剣や弓矢など鋭利なもので傷つけられればふつうに痛いし突き刺さる。痛いのは、怖い。
プツ、という音とともに自分の身体が落下していく感覚。何がなんだか分からないでいるうちに、硬い感触のものの上に落ちた。いや、誰かが落ちてくるクロを抱きとめてくれたのだ。
「王護騎士団はここで、我らが主君が禁じられている違法の地下闘技、賭博、魂獣の虐待などが行われている事実を確認し、王の御名においてこれらを摘発する。ここにいる者は全員、陛下及び陛下が任じられる者による審判の対象とする!」
いっきに、戦場みたいになった。
クロを抱えているその人が、怒号を発するように宣言すると、仮面を纏った人々は混乱を起こし、逃げ惑った。出口に殺到しようとしたり自身の力を使って抵抗しようとするのを、騎士団は容赦なく鎮圧していく。
『あ、アズウィルド……?』
クロを抱えている男は、宣言のためか目元まで顔の覆いを外している。その顔は、その声は、間違いようがなくアズウィルドだ。以前二人で突進した魔獣の森の中とは違い、いくらでも敵がいる状態でも、アズウィルドは冷静に指示をしていく。
「……クロ、無事か?」
こそ、と呟く声。それがクロに向けられたのだと気づいて、クロはニコッと笑ってみせた。身体はまだぎっちり縛られたままなので、いつもみたいに丸を作ったりすることもできない。
「なぜ屋敷のいるはずのお前がここで、家畜の丸焼きみたいになっていたのかは後でしっかりと聞かせてもらうぞ」
『えええ……』
薄っすらと笑んだアズウィルドが、剣を器用に使ってクロをぐるぐる巻きにしていたロープからクロを解放してくれた。その笑顔に新たな恐怖を覚えたものの、「けしかけろ!」という声にハッとなった。
他の騎士たちに抑えられていたトウリョウは死に物狂いの顔で逃げ出すと、ガイドの実に飢えた魂獣が入っている箱の蓋部分を「襲え! とっとと行け!!」と叫びながら蹴り飛ばしていく。
無理やり外へと引きずり出された魂獣たちは、ちらりと見えた通り、どれもが黒いもやに全身を覆われていた。
「魂獣を魔獣に、というのはこういうことか。残酷なことを」
アズウィルドの呟きにクロはこくこくと頷いてから、自由になったクロは自分のけだまの中を探った。ガイドの実をたぐり寄せていると「クロ?」とアズウィルドが呼びかけてくる。
魂獣――いや、魔獣となれば理性は失われ、見境なく人や魂獣を襲う。特に、センチネルの力を。
この中ではアズウィルドが一番の餌として認識したのだろう、魔獣たちがめいめいに駆け寄ってきたところに、クロは思い切ってアズウィルドの腕の中から飛び出した。
着地した途端、悲しいのだが散々練習したせいで、こんな切羽詰まった状況だというのに勝手に身体がレッツダンシングし始めてしまう。
だが、その奇怪な動きは理性を消失しているはずの魔獣たちをも困惑させることに成功した。彼らがポカンと口を開けたところにクロはガイドの実を放ることに成功する。いや、正確に言うとまったく的外れな方向に転がっていったのだが、魔獣の方がパクリと咥えてくれた。
持っていたすべてのガイドの実を放出しても、ダンシングは止まらない。身に染み込んだステップをすべて華麗に踏み終えたクロを待っていたのは、大人しく座り込む魔獣たちだ。
「な、な……襲いかかれ、バケモノどもめが!!」
自分自身は再び拘束されたトウリョウが叫び、魔獣たちは立ち上がる。クロも緊張したものの、彼らはクロに向かって低く頭を下げてから、トラやオオカミたちがするように頬ずりしたり毛繕いをしてくる。それを見たトウリョウが、「そんな、馬鹿な……」と呆然と呻いた。
「閣下、デモンシー卿をお連れしました」
「お、おお、アズウィルド! これは何かの間違いなのだ、実はわたしもここに無理やり……どうか哀れなお前の叔父を、解放しておくれ」
「ここ数日、こちらについて潜行調査を行いました。もう既に申し送りは済ませてありますので、あとは陛下の判断をお待ちください。子息のルーエンが犯した大罪を顧みない、私利私欲のための恥ずべき振る舞いに、陛下も大いにお怒りです。デモンシーを王家の系譜から抹消しなければならぬと」
どうやら、デモンシーという男はアズウィルドの叔父であることは間違いないらしい。それにしても、血縁があっても顔つきを始めとして何もかも違って見えて、クロは驚いた。
「そちらこそ、我が国の英雄ともあろう者が、こんなバケモノを侍らしているとは……グハッ」
唐突にデモンシーの頭上に現れた大きくて丸い氷の塊が、容赦なくデモンシーの頭の上に落ちた。しかし、意識を失う程ではなかったらしく、何が起こったか分からない、という顔でデモンシーはアズウィルドを見上げている。クロもデモンシー同様に驚いたものの、魔獣たちについていた黒い靄をせっせと取り払うのを続けた。少しずつ彼らのもとの色が現れ始める。そうして、会場内にもどよめきが広まっていった。
「私の魂獣が、他の魂獣と多少姿が異なるから化け物だというのなら、貴様は人の皮をかぶった塵屑だ。ここにいる他の者たちも同様。魂獣たちが苦しむのを見て賭けの対象にして笑い、愉しんでいた己の残虐な精神こそ恥じろ。私の魂獣は、魔獣を恐れぬ勇敢さを持ち、誰よりも私に寄り添ってくれる唯一無二の存在だ。彼を辱めることは私を辱めることと同義だと、全員己が心に留めておけ。私は、私とその半身を侮辱する者を決して許したりはしない」
声を張り上げているわけでもないのに、怒りに満ちたアズウィルドの声は会場にいるニンゲンたちにあますことなく聞こえたようだ。
(も、もしかして……これもセンチネル?)
窓もないのに吹きすさぶ突風に仮面を奪われ、青い顔を晒した貴族たちは行く先をすべて氷壁によって阻まれ、力を失いどんどんと床にへたり込んでいく。「おしまいだ」と近くで賭博に興じていたらしい一人が呆然と呟いた。
一気に温度の下がった会場に、待機していたらしい別の騎士団も入ってきて客たちを粛々と連行していく。一応は王族だからか、デモンシーの周囲には目隠しの布が張られる。彼を擁護する者が現れることはなかった。トウリョウはずっと騒ぎ続けていたものの、近づいたアズウィルドが何かを話しかけると目を見開いて顔を青ざめさせ、それからもう騒ぐことはなく大人しく連行されていった。
保護されていく魔獣――いや、魂獣たちにバイバイ! と見送ろうとしたところで、ひょいとアズウィルドに抱え上げられた。
「帰るぞ」
いつも通りの、アズウィルドの声。
おとなしくその逞しい腕に抱え込まれたところで、近くから若い男が叫ぶ声がした。「暴走だ!」と騎士たちが警戒の声を上げる。ここに集まっていた客はほとんどが貴族だから、センチネルを持っている者が追い詰められて、自分だけ逃げるために力を暴走させてもおかしくない。
「エレノア。クロを」
「はっ! お預かりします!」
凛々しい女性の声。金色の髪が見える。新入りの契約主だ。
「クロくん、久しぶりね」
そう小声で声をかけられ頭を指で撫でられると、くすぐったい気持ちになる。
アズウィルドは、新入りの契約主・エレノアにクロを預けると暴走を始めたセンチネルのところに向かってしまった。グレンなら「また死にたがりが始まった」とでも言いそうだ。
しかし、アズウィルドの話を聞いた後だと、アズウィルドが一人でこの場にいるみんなを守ろうとしているように、クロには見えた。
最初のコメントを投稿しよう!