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新入りとニセモノの耳
新しい仲間たちが魂獣カフェにやって来るのは大抵夜中だ。
ニンゲンたちに選ばれ、契約の儀式を終えた仲間たちを見送った後、今度は新しい仲間たちを迎える。魂獣カフェに来るのは、お金目当てで捕まえようとしたワルモノから保護されてきたものたちが多い。テンインはニンゲンたちから質問されると、それぞれがどうしてここにやって来たのかを丁寧に説明するので、クロはみんながここにやって来た理由を知ることができた。
ちなみに、クロ自身のことはどういった状況だったのかよく分からない。今まで、誰一人してクロがここにやって来た理由を質問したニンゲンはいなかったので。
(新入り、ボロボロだ)
灰色の毛並み。ウサギみたいに長く伸びた耳。でも、ずっと震えている。
ここでは、それぞれ魂獣たちの寝床は決まっている。すっかり最古参となってしまったクロの寝床は、一番見晴らしの良い場所にある。クロの寝床からは窓の向こう側の景色も見えるし、カフェの中も見回せる。入り口に近いところに作られた寝床から這い出てくると、新入りが元気のない様子で長い耳を床へと垂らすのが見えた。
(窓の外、見ている……?)
ずっと一匹で小さな部屋の中にいたクロと違って、他の魂獣たちには似た種族や仲間がいるらしい。ニンゲンと契約するのでなければ気の合う者同士で番い、長い時間を共に生きるのだと。もしかしたら、新入りにも仲間がいたのかもしれない。
よく見ようとして、クロは己の寝床から落ちた。頑張って練習し続けたせいなのか、床に落ちた後に立ち上がったところから、体が勝手にレッツダンシングしてしまう。
新入りがどんな目で見ているのか少し怖かったが、ここまで来たらやけくそだ。これまでの練習の中でも一番の出来というくらいキレッキレに踊りまくり、フィニッシュを迎える。
少しの間、静寂が訪れた。
クロはピシッと最後のポーズを華麗に決めた状態で、どうすれば良いのか分からず動けなくなった。程なくして後ろ側をくわえられ、ポーズを決めた状態で少し宙に浮く。またトラかオオカミが物音に気づいて、クロを回収しに来てくれたのだ。
やがて、パチ、パチと小さな音が聞こえてきた。目をキラキラとさせた新入りが、長い耳を手のように打ち鳴らしていたのだ。クロが照れて丸い形になると、床に降ろされた。
クロを迎えに来てくれたのはオオカミで、クロを前足で抱え込むとそのまま寝そべってしまう。新入りは身体の大きなオオカミにびっくりしていたものの、彼が牙を剥くこともなく気持ち良さそうに寝息を立て始めたのを見て、安堵したみたいだ。いそいそと自分の寝床を漁り始めた新入りは、大きな細長い葉っぱを二枚取り出してクロの毛玉みたいな身体に押し当ててきた。
『……ええと。これを付けろってこと?』
新入りは葉っぱを持ったまま、じっとクロを見てくる。とりあえず受け取って、なんとなく頭のあたりに葉っぱを付けてみると新入りが飛び上がって喜んだ。窓ガラスに映った自分を見てみると、まっくろなばけものけだまに耳が生えている。
(こ……これは、これはもしかして……!!)
ニンゲンを攻略するためのチートなアイテムになるのでは。ただのまっくろけだまが、耳の生えたまっくろけだまに。つまり、別な、それっぽい生き物に見える。
『ありがと!』
新入りにお礼を言うと、新入りも先ほどクロがしたようにくるくると踊ってから寝床へと戻っていった。オオカミはクロを抱え込んだまま、ぐっすりと眠っている。この部屋で起きているのはクロだけになってしまった。とても静かで、寂しい時間だ。
もう一度窓を見てみる。
先ほどは踊りまくっていて気づかなかったけれど、お城の方はとても明るくて、舞踏会が開かれているのかな、とクロは思った。
(……舞踏会。きっとキラキラして綺麗なんだろうなあ)
夜なのに煌々とした光りに満ちて。
美しい衣装の人々が集い、音楽は奏でられて。
そんな光景を、クロは知っている気がした。自分の中で眠る前世の自分の記憶に、なんとなく残っている光景なのかもしれない。
(いいなあ。前に、オーナーがテンインにお話していたもんね。舞踏会はいっぱいキゾクが集まって、楽しく踊って美味しいごはん食べるんだって)
クロとしての生が終わる前までに、一度はその舞踏会というものを見てみたい。そのためにはニンゲンみたいな長い手足と、バケモノと呼ばれない外見が必要だ。
舞踏会が行われるお城には、一線で活躍する現役のセンチネルたちがいるという。いろんな力を使えるセンチネルだったら、自分をニンゲンの姿に変えてもらえるかも、とクロは想像してすぐに全身を震わせた。
(会ってみたい。でも、むりむり。ニンゲンにしてもらう前に、キモチワルイって言われて、やっつけられちゃうのがきっと先だもんね)
舞踏会にこっそり参加してみたい。バケモノだとか、キモチルワイと呼ばれるクロには大それた夢だ。そして、現実は思った以上に厳しかった。
クロのことを気持ち悪がらないニンゲンを見つけて契約してもらわないと、そもそも外にすら出られないのだ。
気づいたらオオカミの前足の真ん中で器用に眠りこけていたクロは、窓から差し込む陽光の眩しさに気づいて目を覚ました。
(今日はいける気がする!)
なにしろ、新入りから分けてもらったチートアイテムがある。このニセモノの耳を付けていたら、いつもと違う一日になりそうな気がして、クロはワクワクした。しかし、自分だけというのもなんだか申し訳なくて、オオカミとトラにも貸そうと渡してみたが、二匹は静かに首を傾げるだけで、受け取らなかった。クロが使えばいい、と言いたげに。
準備万端。
開店と同時に、何組かの人々がやってきては、店内で魂獣たちと触れあったりしている。いつも通り緊張して柱の陰に隠れていたクロだったが、トラの鼻先で優しく押し出されて、とうとう柱からはみ出てしまった。この間は勢いよく飛び出して失敗してしまったので、今日はそれを反省してゆっくりと動いてみる。
間もなくして、一人のニンゲンと目が合った。金色の長い髪がお月さまみたいな、綺麗な女性だ。悲鳴が起きるのを覚悟していたのに、そのニンゲンはクロを見て驚いた顔はしたものの、『キモチワルイ』という呪文は使ってこなかった。
テンインを呼んで何かしら話を聞いてから、そのニンゲンは真っ直ぐにクロのところへとやって来た。
「あなたのお耳、とっても可愛いわね。それに、琥珀色の瞳も素敵だわ」
笑顔。こんな風に笑いかけてもらえるなんて。舞い上がりそうなほど嬉しくて、いつもよりも背が高くなる。そんなクロの視界の中に、寝床からちょっとだけはみ出ている長い耳が見えた。新入りの耳だ。
(ニセモノの耳をつけたおれにだって、こんな風に笑いかけてくれるんだもの。きっと、新入りを見たら喜ぶ!)
クロは自分にできる精一杯のキュルンとした目でニンゲンを見てから、そろそろと動き始めた。「あら? どうしたの?」と、クロの目論見どおりニンゲンはついて来る。やがて、寝床に隠れている新入りに気づいてくれた。
ニンゲンの悲鳴は、イヤなものを見た時だけじゃなくて、嬉しくて興奮した時にも出てくることもあるのだと、クロは今日初めて知った。新入りの前で座り込んだニンゲンは、自分の口を押さえながらも「なんて可愛いらしいの!」ともう一度呟いた。新入りが不安そうにクロを見てきたので、クロは短い前足なのか手なのかすらも分からないもので丸をつくってみせた。
森から無理やり連れだされたのなら、不安で怖いだろうとは思う。しかしこのカフェにはニンゲンなら誰でも入れる訳ではないらしい。少なくとも、オーナーが「このニンゲンになら」と思える相手だけを選んでいるのだと、テンインたちが話しているのを聞いたことがある。
(おれを見て悲鳴を上げなかったんだもの。きっと新入りのことも大切にしてくれるよね)
可愛いと、言ってもらえた。自分はそれだけで十分だ。
新入りの契約が上手くいくようにと全身の毛を使って念じていたら、不思議なものを見た、という顔でテンインが近寄ってきた。
興奮で顔を赤くしたニンゲンが、テンインに「このコ……このコを……!!」と懇願する。素敵な儀式の始まりを柱の陰に戻って眺めていたら、いつの間にかトラとオオカミがクロの傍で寝そべる体制に入っていた。彼らにもいつか契約するニンゲンが現れたら、嬉しいはずなのにちょっぴり寂しいな、なんてクロはしんみりと思う。
ふと、トラが上体を起こすとクロの頭のあたりをちょいちょいとつついて、目を細めて口の端を上げた。まるで笑っているみたいだ。
『もしかして、ニセモノの耳のこと、褒めてくれてる?』
思い込みだったら恥ずかしいが、そう尋ねてみる。
トラは「そうだよ」と言わんばかりにサッと尻尾を立てた。
『ありがと!』
トラの前で嬉しくて丸くなると、顎を乗せてきたオオカミに潰された。それでも、ニセモノの耳には触れないようにしてくれて、その優しさにクロは泣きたくなった。残念ながら、ばけものけだまは涙を流せない。
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