夜の招かざる者、戦うけだま

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夜の招かざる者、戦うけだま

 とても幸せそうな金髪の女性に優しく抱っこされて、新入りは早々に魂獣カフェから去っていった。いつも通り、クロは一匹で窓辺に行き、ニンゲンに抱きかかえられた仲間を見送る。それから、彼らの幸せを全身の毛を膨らませつつ祈ったあと、外の景色を見ようと窓ガラスに近づいたところで、クロは驚きで勢いよく飛び上がった。近くにいたオオカミも、それに驚いて、唸り声をあげる。  クロのお気に入りの窓ガラスの前に、ニンゲンが現れたのだ。何もいなかったところに突如として現れたニンゲンの顔を、クロは知っている。『オーナー』とテンインたちから呼ばれている、特別なニンゲンだ。 「あははは! クロは相変わらず、表情豊かで面白いなあ! 今日は耳まで生やしちゃって。可愛いじゃないか!」 「オーナー、お疲れ様です。お店にいらっしゃるなんて、何かありましたか?」  男性のテンインがオーナーに話しかけている。  クロはオーナーのことが大好きだ。こうやっていつもお客のいない夜にやってきて、クロをビックリさせて笑うだなんて困ったところもあるけれど、オーナーはクロのことを気持ち悪がらない貴重なニンゲンだ。魂獣のことをとても大切にしてくれる。  でも、オーナーにはオーナーだけの特別があるから、クロとは契約できないのだとクロに教えてくれたことがある。オーナーが何を考えているのかクロには分からない。でも、オーナーはテンインに接するみたいにクロに話しかけてくれるへんてこなニンゲンで、クロをひとりぼっちの暗くて小さな場所から連れ出してくれたすごいニンゲンだった。 「そりゃあもうビックリしちゃって、慌てて馬を飛ばしてきたよ! 知り合いから聞いたんだが、王太子殿下が魂獣を探しているそうだ。国内にいる、まだ誰とも契約していない魂獣をすべて王城へ連れてこいなんてお触れが出てね。だから君、ちょっとうちの子たちを連れて行って欲しいんだ」 「えええっ! じゃあ、じゃあ……うちのコで、誰か選ばれちゃうかもしれないじゃないですかっ!」 「ああ。王太子殿下なら魂獣のことも大切にしてくれるだろうし、他の王族の方々の目に触れて、この子たちにとって良い縁があるかもしれない」  とんでもない大チャンスの到来だ。クロのけだまが、驚きと期待で大きくふくらむ。  王城。  そこはまさしく、クロが憧れる、夜にキラキラと輝くあの場所のことだ。 「急いでお城に行く準備をしないとですね!」  分かった、お城に行く準備だ!   クロはテンインの言葉を聞いて、『おー!』と前足とも手ともつかないものを上げたところで、ひょいとオーナーに抱えあげられてしまった。  駆け寄ったオオカミとトラが、『クロを離せ』と言わんばかりにぐるぐると回りながらオーナーの足元で唸る。オーナーは彼らを気にすることなくフロアの中を歩くと、やがてクロがいつも使っている寝床にひょいとクロを戻した。 「クロ、お前はお留守番だよ。王宮は、お前にとって楽しいところじゃない。己の利のために簡単に他者を殺したり、陥れたりするようなところでもあるんだ」 『楽しくなくても、だいじょぶ!』  誰に選ばれることがなくても。  窓ガラスの向こう側の世界に、一度だけでいいから行ってみたい。  通じて、と頑張って話しかけてみたものの、オーナーは「いい子だ」と言って、いつもならかけられることがない鍵までかけてしまった。   「オーナーはクロのこと、まるで人を相手にするみたいに話しかけますよね。クロは珍妙な動きをすることもありますけど、聞き分けだってすごく良いですし、連れて行ってあげても良いんじゃないかと自分は思います。この反応だと行きたがってますよ、すごく」  テンインの言葉に、クロは目を輝かせた。しかし、オーナーは「だめだ」とあっさり返す。 「魂獣の中には、元の人格の魂が眠っているという。だとしたら、言葉が通じる可能性だってあるんじゃないかっていうのが私の持論で、クロは特にそういう人の感情に敏感な所があると思っている。この子が傷つくのを見るのは嫌だし、かといって誰もいないところで、落っこちて怪我でもしたら大変だろう?」 「うーん。でも異能を持たないなんて、魂獣ぽくないですよね~? 魂獣として価値がないんだったら、外に連れ出したって問題ないんじゃって思いますけど。王宮がクロにとって危険なら、他の子たちにとっても危険ってことになりますし」  真面目な顔で答えたテンインを、オーナーが「絶対にだめだ」とめずらしく厳しい口調で叱るのが聞こえた。  今までにないくらい目の中がじわじわと熱くなってきて、ちゃんと目を開けていられなくなる。  オーナーは、魂獣のことをちゃんと考えてくれる。  だから、クロだけ行けないことにもきっと、理由がある。 「クロ。王宮ではね、この店に来る客以上に、クロのことを見た目だけで悪しざまに言う人間たちがいる。今の魔導士長なんて、最低の極みだよ。こんな面白い見た目の魂獣なんて、実験だなんだってすぐ奪い取ろうとしてくるだろう。人格者揃いで知られる王族の中にだって、魂獣嫌いで有名な方もおられる。彼の王弟殿下に目を付けられたら、クロなんて羊の毛刈りのようにけだまを刈られてしまうかもしれないね。君は、彼らに殺される」 「ええーと、陛下と歳が離れている王弟のアズウィルド殿下ですよね。お若いですけど、今はヴィンター公でしたっけ。少し前の戦争で、冷血の英雄って呼ばれた。生まれつきすごいセンチネルの力を持っていて、バケモノ王子とか呼ばれていたんですよねー」  ひえ、とクロは身震いした。クロの身体の構造なんてクロ自身にもよくは分からないが、けだまを刈られてしまったら跡形もなくなってしまいそうだ。 (アズウィルド殿下……見つかったら、けだま、刈られる)  絶対に忘れてはならない名前だ。  ぶるぶる震えながらその名前を覚えこもうとしているうちにオーナーたちは話を終えて、店じまいの準備を始めた。  クウと、クロを気遣うような小さな鳴き声が聞こえてきた。  クロはできるかぎり扉に身体を押し付けて下を見やる。  下では、オオカミとトラが心配そうにクロのいるケージを見上げていた。自分は行けないけれど、もしかしたらオオカミやトラたちは素敵な契約主に出会えて、あのお城に住めるかもしれない。なんといっても、彼らはとっても強そうなのに心優しい、素敵な友達なのだから。  クロはケージの中から、自分にできる精一杯の笑顔で彼らにバイバイをした。  魂獣は、生前から引き継いだ魂が次に転生できるまでの、長い時を生きるとされる。明日会えなくても、いつかクロもお城に行ける日がきたら、今度は広い場所で一緒にお昼寝ができるかもしれない。 『だいじょぶだよ! おれはここで、お留守番するんだ。アズウィなんとかって人に会ったら、けだま刈られちゃうかもしれないしさ!』  トラたちに伝わっているかは分からないが、クロは頑張って明るく話しかけてみた。それでも彼らは心配そうにしている。だいじょぶ、とクロが何度も話し続けたらようやく理解はしてくれたらしい。クロに別れを告げるように頭を一度低く垂れて、トラたちもオーナーに連れられて行ってしまった。  夜の帳が下りても、オーナーたちは帰って来なかった。 (静かなのって、ちょっと苦手だ)  ちょっとではなく、かなり、かもしれない。  いつもなら、寂しいと思う前にトラやオオカミが常に傍に居てくれたから、寂しさを覚えるのは久方ぶりのことだ。オーナーに連れられてこの魂獣カフェに来る前のことは、あまり覚えていない。小さくて暗いところに、ただ一匹でいたし、それが当たり前だったはずなのに。  魂獣は食事をしなくても生きられる。  異能を使った時だけガイドの実と呼ばれる、回復の力を持つ果実が必要となるが、そもそも異能を持たないクロにはそれすらも関係のない話だ。 (いっそ、おれもテンインになれたらなあ)  ニンゲンが持つ、長い手足が自分にもあったら。  けだまな自分に、人と同じ形をした手足が生えるのを想像しながら琥珀色の瞳をとじたところで、激しく何かが割れる音がした。 『ななな……なんだ⁈』  慌てて目を覚ましたクロは、お城が見えるあの窓が粉々に砕けて、今まで見たこともないくらい怖い顔をしたニンゲンたちが入ってくるのを目撃した。お店はオーナーたちが閉めていったのだから、もちろんゲストなんかではない。 「チッ、もぬけの殻か。少しは残っているだろうと思ったのに……とにかく探せ! 一匹でも残っていたら連れ出すんだ。俺たちが捕まえた獲物を、取り戻せ! 獲物を連れて行かなきゃ報酬はもらえないんだ」  顔中傷だらけの男が怒鳴った。ニンゲンは五人ほどいて、彼らは一様に黒い格好をしている。 (どうしよう、何を探しているんだろう)  ドキドキしているクロをよそに、男たちはみんなが使っていた寝床を荒らし、やがてクロのいるケージに気づいた。 「頭領、ここになんかいる気が……なんか、けだまのかたまりみたいなのがありやす」 「けだまぁ? 他にはいないのか?」  ニンゲンの一人が、クロのいるケージの鍵をいじり始めた。あまりの恐怖にまん丸になってしまう。いっそ、けだまの振りでどうにかこの最大のピンチを乗り切れないだろうか。自分自身に己はけだまである、と必死に暗示をかけようとしていたクロだったが、「こっちにも隠れていたぞ!」という声を聞いて、目を開けた。  無慈悲にも、扉の鍵もちょうどよく開く。  助けて、と言わんばかりの甲高い声。トウリョウと呼ばれた男に引き渡されたのは、契約対象の魂獣ではなく、テンインが毎日このカフェに連れてきているテンインの魂獣だった。 (だだだ、ダメだ!!)  魂獣との契約は、お遊びではない。彼らと契約するということは、心の一部を繋げるのとと同じことだとテンインはニンゲンたちに説明をしていた。オーナーの次くらいに、クロはテンインのことも好きだったし、彼らが大切にしている魂獣のことだってトラやオオカミほどではなくても、友達だと思っている。  クロは意を決すると、自分を掴もうとしてきたニンゲンの手を素早くよけて、自分に出来る限り思い切りよくケージから飛び出した。クロを取り出そうとしたニンゲンの顔にぶち当たり、そのまま華麗に床へと着地する。男たちがどよめく中、無我夢中でテンインの魂獣のもとへと急いだ。 「なんだ、このまっくろいバケモンは――」  普段はけだまに隠れてほとんど見えない、足に思いきり力を込めて、勢いよくトウリョウに向かってクロは飛んだ。さっきのニンゲンにしたように、顔まで届けば良いのだがそこまでの跳躍力はない。が、思ったよりも柔らかな感触にぶつかると、トウリョウが「ひょえん!」という不思議な声で鳴き、膝をついて床に崩れ落ちた。 (良かった、離してもらえた!)  テンインの小さな魂獣がトウリョウの手から離れた。  何とか自分の頭を使って器用にキャッチすると、テンインの魂獣を頭に乗せたままクロは勢いよく、弾け飛ぶようにしながら必死に魂獣カフェから逃げ出した。
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