払暁の出会い

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払暁の出会い

『お城……! お城まで行けば、オーナーもテンインも、トラもオオカミもいる!』  魂獣のカフェから出て、あの窓の向こう側へと行ける。そんな感慨にふける余裕なんて一切ない。後ろからはどたばたしい足音がクロたちを追いかけてくる。きっとお城まで続くはずの大通りを爆走しながら、クロはテンインの魂獣を隠す場所を必死に探した。夜はどのお店も開いていないし、出歩くニンゲンもいない。少し道に迷うと、外の世界を知っているテンインの魂獣が『あっち』『そっち』と道を教えるように小さく鳴いて教えてくれた。それでも、怖いニンゲンたちの足は止まらない。 (こういう時、どうすればいいんだっけ)  ふと、クロの中に誰かの声が聞こえた気がした。 『”……”の大切なひとを、守らなければ』  それは、とても強い意志に感じられた。  その意志に引っ張り上げられるように、必死に逃げることしか考えていなかったクロの中にも、勇気が湧いてくる。 (だれかをまもるには、じぶんをつかえばいい……!)  異能を持たないクロには、ニンゲンと戦って渡り合えるような力も当然ない。  しかし、さっきから果実が勢いよく弾けるように一瞬、また一瞬。クロの中に蘇るものがある。それがなんなのか、クロにはよく分からない。しかし、テンインの小さな魂獣をどうやって守れば良いのかは分かった気がした。  どこに行った、と近づいてくるニンゲンたちの前に、クロは勢いよく茂みから飛び出した。頭の上にはテンインの魂獣に見せかけた、茶色い大きな葉っぱを乗せてしっかりと前足なのか手なのか分からないもので押さえている。  本物のテンインの魂獣はリスか何かが巣穴として使っていた穴にこっそり隠してきた。鳥に似た姿をしている彼は、夜はほとんど目が見えないようだが、朝になればきっと魂獣カフェかテンインのおうちに飛んで帰ることができるはずだ。魂獣とニンゲンとの絆なんてクロには分からない。それでも、朝になればきっと大丈夫、と震えるテンインの魂獣に言い聞かせた。朝になれば、大丈夫。それは、クロ自身の願いでもあった。 「いたぞ! 黒いバケモンだ、あいつを追え!」  元気を取り戻してしまったトウリョウに見つかったが、それで良い。 (一歩でも多く逃げて、お城に近づくんだ!)  夜明けまであとどのくらいあるのかすら、分からない。  いろんなものが後ろから飛んできてクロにぶつかったが、もこもこのけだまは自分でも驚くくらい優秀で、ノーダメージだ。魂獣カフェから続く下り坂をほとんど転がりながら、大通りを逃げ続けるクロの視界に、ずっと想像してきたお城の姿が見え始めた。舞踏会はもう終わってしまったらしく、お城の門はかたく閉ざされている。憧れていた音楽も、今は聞こえてこない。 『トラー! オオカミー! オーナー!!』  叫んでも、クロの声は曖昧に響くだけで、夜闇に溶けて落ちていく。諦めずに転がり続けて、さっきよりも大きくお城の門が見えたところで、クロは石にぶつかった。激しい勢いでもけだまが身体を守ってくれたけれど、空中に投げ出されて地面に落ち、少しの間目を回した。 「よし、今だ! 矢を放てッ」  トウリョウの怒声。風を切る音がして、クロの身体に何かが突き刺さった。 (い、痛い……!)  けだまは、襲い掛かる衝撃からクロの身を守ってはくれても、鋭利なものからはさすがに守ってはくれなかった。それなのに、痛いことはもちろん、自分にも痛いと思えるからだがあったことにクロは驚く。 (もう少し! せめて、あそこまで……)  さっき、一瞬だけクロの中に浮かんだ、光景。  その中に映った顔の見えない一人ひとりがとても懐かしく感じられて、お城までたどり着けたらきっと会えるという変な確信が、クロにはあった。しかし、頑張って転がりたくても刺さったものが邪魔でクロは途方に暮れた。  いつもオオカミたちがそうするよりもずっと手荒に背中を掴まれて、ぶらりと宙に浮く。ずっと手放さないようにがんばった茶色い葉っぱも、取り上げられて、グシャグシャにされてしまった。 「こんの化け物ォ……おれたちをよくも(たばか)ってくれたな。生きたままこの気味悪い毛玉を――」  捕まったら終わりだと、クロには分かっていた。  それでも、不思議と怖くはなかった。 (だって、夜明けだもの。これでもう大丈夫)  テンインの魂獣を助けることができるんだ。  かすみ始めたクロの視界には、遠くから差し込む明るい光がぼんやりと映る。『えへへ』と笑いたかったが、力はもはやどこからも湧いてこない。 「まずい、見回りの奴らがやって来た! チッ、撤収するぞ」  ワアワアと一気にニンゲンの声が集まってきた。怒りの感情が集まるのを感じる。クロはニンゲンの感情を理解することができるからか、先ほど何かが身体に刺さった時よりもずっと辛く感じた。 「あなた、あの魂獣カフェにいた……?」  ワアワアワア。その中から、不思議そうに問いかける声が聞こえた。 「ケッ、こんな疫病神(バケモノ)なんざくれてやる!」  クロの身体が宙に浮いた。いつもならトラかオオカミが助けてくれるところだが、彼らはいま、ここにいない。さすがにこれは優秀なクロの毛玉でも、ダメージを受けるかもしれない。ぎゅう、と目をとじて衝撃に備えたクロは、次の瞬間には布らしきもので受け止められていた。 「良かった! アズウィルド殿下、受け止めてくださってありがとうございます!!」 「……これは?」  良かった、と言ってくれたニンゲン。この声は、新入りと契約した金色の髪をしたあのニンゲンのものだ。しかし、淡々と彼女に問い返した声の主、その名前を聞いてクロはカッと目を見開いた。 (アズウィルド⁈ けだまっ、けだまが刈られちゃう!!)  なんてことだ。  せっかくあの恐ろしい魂獣泥棒からやっと逃げられたのに。朝が来たと思ったのに。あの眩しい光りは、彼らが持っていた灯りだったのだ。つまり、恐ろしい夜はまだ終わりを告げていない。 「死にかけに思えたが、まだ活きは良さそうだな」 「殿下、その子は魂獣を保護する施設で世話をされている子です。異能を持たないせいで契約する相手がなかなか見つからないとかで……。私が責任を持ってこの子を保護し、この子がいた施設に向かい状況を確認して参ります。施設側がこの子の保護を放棄したのかどうか、確認をする必要があるかと」  新入りの契約主なら、クロをこのピンチから助けてくれる。クロは感謝の眼差しを向けつつ、新入りの契約主の方へ行こうともがいたが、素敵な触り心地の布でしっかりと包まれると『アズウィルド殿下』によって抱えなおされてしまった。 「異能を持たない……そんな魂獣もいるのか」 「殿下、その子の世話は私が行いますので」  アズウィルドは王族で唯一、魂獣という存在を嫌っているという。新入りの契約主はその点も考えて声をかけてくれたに違いない。しかし、おそろしの王弟殿下から返って来たのは、「ならば、私がこの者と契約してもいい」というものだった。 (……えっ? けいやく……?)  おれと? 「殿下、それは……その、腕の中にいるその子と、契約しても良いとおっしゃったのですか?」  新入りの契約主の問いかけは実に的確だ。なぞの急展開に、クロは緊張しながらも頑張って『アズウィルド殿下』を見上げてみた。 (うわあ……! すごく格好いいニンゲン!)  牙や角が生えた、恐ろしい顔のニンゲンだと思い込んでいたのに。  クロが見上げた先にあったのは、短く整えられた白銀色の髪をしたニンゲンの男だった。女性っぽさはなく、男性だとはっきり分かる綺麗な顔だが、しっかりとした体つきをしている。新入りの契約主みたいな、柔らかさや優しさはどこにもなさそうだ。それでも、クロを見下ろすその(はなだ)色をした切れ長の瞳は、どこか寂しそうに見えた。 (王様の家族なのに、寂しいのかな?)  だから、異能を持たないクロでもいい、なんて言うのかな。 「お前は、それで良いのか? 嫌ならあちらへ行け」  『アズウィルド殿下』は、魂獣とニンゲンが言葉を交わせないことも当然知っているはずなのに、オーナーみたいにクロに問いかけてきた。  けだまを刈られるかもしれないのは怖い。  新入りの契約主が、クロに向かって真剣な顔で頷いてみせる。きっと、彼女ならちゃんとクロを魂獣カフェに連れ帰ってくれるだろう。そして、またいつもの日々が始まるのだ。  男を選んだとして、すぐにこの男に嫌がられて、追放されてしまうかもしれない。飽きたら、けだまを刈られてしまうかも。それでも、なぜか寂しそうな縹色を見てしまったら、傍にいてあげた方が良いような気がしてきた。 『あのっ、ふつつかものですが……、おれのけだまを刈らないで、すえながく契約してほしいです!』 「……私を選ぶつもりか?」  クロが頑張って返事をし、ペコリと頭を下げる。言葉は通じていないのだろうが、何とか意図は汲み取ってくれたらしい。それなのに、男は怪訝そうな顔をした。自分が選ばれないとでも思ったのだろうか。  こうなったら、クロにも意地がある。言い出したのはそちらなのだ。じたばたと男の腕の中で暴れ、少し男の拘束が緩んだところで立ち上がり、短い手みたいな前足をビシッと突きつけて、『覚悟を決めろ、アズウィルド!』と格好良く言ってみる、つもりだった。 (あ……れ)  グワン、と世界が回った。たくさんの星が現れて、体がふわふわとして。とにかく、身体が痛くて。  抗うこともできずとじゆくクロの目には、今度こそ夜明けを告げる暖かな光りが見えた気がした。
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