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王の剣と盾
「おやおやー? ヴィンター公爵閣下が、やーっと魂獣と契約するとか仰っていたはずなのにまだみたいですけど~? 陛下たちみーんな大喜びしていたのに」
「貴様、まだいたのか。とっとと王城に戻れ、グレン」
アズウィルドとクロを見比べてから、アズウィルドに話しかけてきた相手。アズウィルドはこれまた冷たく返し、今度こそ立ち止まらず部屋から出ていってしまった。静かに閉じられた扉の前で茫然と立ち尽くすクロの細い肩から、ずるりとアズウィルドの外套が滑り落ちる。
「まったく、自分で呼び出したくせに勝手な御方だよね。君は無事、目が覚めて良かった! 僕の名はグレン。これでも一応、城では魔導士として働いているんだ。君をその姿にしたのも僕。……うん、背が低めなのと全体的に細いのが気になるけど、なかなか恵まれた容姿じゃないか! アズウィルド殿下も泣いて喜ぶと思ったんだけどなあ」
「グレン、もしかしてセンチネル? おれを、ニンゲンにしてくれた? ありがと!!」
情報量が多すぎて、クロにはうまく処理できていないが、目の前にいる、グレンというニンゲンの男がクロをこの姿にしてくれたらしい。笑顔で礼を告げると、グレンは目を丸くして、それから床に落ちてしまったアズウィルドの外套をクロの肩にかけ直してくれた。アズウィルドの外套は、クロには大きいのでまたずり落ちないように両手であわせの部分をしっかり握る。
「可愛いなあ~。そうだよ、僕は陛下を守る剣であり盾でもある、この国で二番手のセンチネルだ。一応、瀕死だった君に説明したつもりだけどね、君の傷の深さを知りたかったのと治療のために、一時的に人の姿にさせてもらったよ。元の姿に戻りたいならもちろん、いつでも戻れるから僕に声をかけて。人の姿にもね」
「うん。覚えている……気がする」
賢い子だね、とグレンが笑顔を浮かべる。
ニンゲンの姿になれただけで、オーナー以外のニンゲンたちも笑顔で接してくれる。ニンゲンになるって、クロが考えていたよりもずっと素敵なことだった。
たった一つを除けば。
「でもね、アズウィルドは、おれの今の姿が嫌いみたい。アズウィルドの前でだけは、けだまのままでいた方が良いかなあ?」
「ん? 嫌いって、はっきり君に言ったのかい?」
本当に困ったアズウィルド様だね、とグレンが憤ったように言うので、クロは大急ぎで首を左右に大きく振った。
「違う! おれの何かがダメで、困っているみたい。けだま姿のままだったら、アズウィルドはもう契約してくれていたのかなって」
「あー……なるほどね。うんうん、君はね、僕たちの知っている人に顔が似ているんだ。アズウィルドはそのことで勝手に拗らせているみたいだから、気にしなくていいよ。君が彼の魂から生まれた魂獣、というのはありえないからね。ええと……」
「おれ、クロだよ。おれ、誰かに似ているの?」
まあね、とグレンは何かを懐かしむ眼差しで笑った。
「クロだね。これからどうぞよろしく。困った時はいつでも僕を頼ってね」
「ありがと! グレン。おれが似ている人って、もしかしてアズウィルドと仲が悪かった?」
「うーん? ハッキリ聞いたことはないけど、仲が悪いのとは違うかな~。どちらかといえばあの事件さえなければお互い最も近い関係でいなければいけないのに、ずっと無関心だったと思う。今は戸惑いの方が大きいんじゃない? まあでも、アズウィルドが他のものに……しかも魂獣に興味を示したなんて奇跡みたいなもんだからさ、僕らにとって。君が近くにいてくれたら、あの方の死にたがりを治す良い薬になってくれそうだ」
死にたがり。
あの綺麗なアズウィルドを形容するのには、なんだか恐ろしい言葉が出てきた。
「おれ、アズウィルドの近くにいてもいいってこと? アズウィルド、怒っておれのけだま刈ったりしないかな」
「クロが良ければ傍にいてやって。クロのけだまは大丈夫、僕が保障しよう。でも、彼のことが嫌になったら、いつでも僕のところにおいで。あの方に遠慮することはない」
ありがと! と笑顔で返すと、グレンは一瞬だけ目を丸くして、それから彼も笑顔を浮かべてクロの頭を撫でてくれた。魂獣カフェで、こんな風にニンゲンたちから頭を撫でられる仲間たちを見ていた。気持ち良さそうだな、とは思っていたが、実際はほんの少しくすぐったくて、嬉しい気持ちになることを知った。
公園の木に隠してきたテンインの魂獣のこともグレンは請け負ってくれて、クロはハンナが運んできた食事と対面していた。
魂獣カフェの中には食事をする場所もあったので、ニンゲンがどうやって食事をするのか興味本位で眺めていたことくらいはある。しかし、オーナーから気まぐれにお菓子をもらったことがある程度で、クロは特にニンゲンの食事そのものを食べてみたいと思ったことはなかった。まっくろけだまだった時までは。
(すごく、いい匂い)
ぎゅるう、とまた自分の身体が情けない音を出す。ハンナは柔和な笑顔を浮かべてクロに食事の仕方を教えてくれた。マナーは少しずつ勉強していきましょうね、とフォークとスプーンの使い方を簡単に説明してくれる。
「あら! クロ様、お上手ですわ」
「ほんと? ハンナが教えてくれたからだよ。ありがと!」
カトラリーを手にすると、自然と食事を進めることができた。こうしていると、まるで自分が本物のニンゲンになれたみたいだ。口にするものはどれも美味しくて、幸せな気持ちになる。魂獣カフェでトラやオオカミたちと一緒に過ごしていた時だって幸せだった。しかし、あの場所にはない幸せがここにはある気がした。
「お食事が終わりましたら、服を着替えて公爵邸の中をご案内しましょうね」
「ここ、王様のお城じゃないの?」
「こちらは王都にある、ヴィンター公でもあるアズウィルド様のお屋敷ですよ。ヴィンター公領は王都よりずっと北にあるのですが、そちらにはお城もございます。クロ様は国王陛下のいらっしゃるお城に行きたかったのかしら」
たくさん言葉が出てきた。クロは頑張って考えながら、ハンナの問いかけに頷き返そうとして、首を横に振った。
ニンゲンになって、誰かと言葉を交わす――それも、クロがずっと抱き続けてきた憧れだ。それが、こういう形で実現できたのだから、これ以上を望むのはいけないことな気がする。優しく笑いかけてくれるハンナや、屋敷まで連れてきてくれたアズウィルドが悲しくなることは、いけない。
ハンナに手伝ってもらいながら着替えたクロは、ニンゲンの姿になった自分との対面も果たした。姿見に映ったのは、ハンナが言っていた通り黒というには少し灰がかった髪と、クロ自身がお気に入りの琥珀の瞳をしたニンゲンの若い男だ。
目は大きい。クロが笑うと、鏡の向こうのニンゲンもニコッと笑った。この顔がニンゲンたちに好かれるのかどうかは、分からない。鏡の向こうにいるのが自分自身なのだと実感するのはちょっぴり難しい。
そうして部屋の外に出たクロは、廊下の長さや内装の美しさに驚いて立ち尽くした。
「ハンナ、お屋敷すごいね!」
「気に入っていただけたなら嬉しいですわ。屋敷の者たちも順次紹介させていただきますね」
料理を作る人。屋敷の中を整える人。お庭をお世話する人。たくさんの人が、ここで働いている。クロは頑張って名前を覚えようとしたが、ハンナからゆっくりで大丈夫ですよ、と微笑まれてしまった。
美しい花々で彩られた中庭が、公爵邸の自慢なのだという。クロが知る花というのは、既に切られた一輪が花瓶の中に入っているものだったから、こんなにも多く咲き綻ぶものなのだと知って驚いた。
「こちらのお庭も、気に入られたのでしたらご自由にお過ごしくださいませね。アズウィルド様からのご用事がない限り、クロ様の時間はクロ様自身のものですもの」
「窓の外に、出てもいいの?」
もちろんです、とハンナはしっかり頷いてくれた。
「ただ、お屋敷の外は危険なこともございますから、お屋敷の外に出たい時は、必ずハンナや屋敷の者にお申し付けくださいませ。クロ様は、アズウィルド様がようやくお選びになられた魂獣様なのですから」
「まだ、契約していないけどね。おれ、アズウィルドと仲良くなれるようにがんばる! あ……あのね、おれがずっといた魂獣カフェ、どうなったか知りたいんだ。見に行ってみてもいい?」
ずっとニコニコしていたハンナの笑顔が、魂獣カフェという言葉を発した途端に曇ってしまった。
「あ! 新入りの契約主さん、魂獣カフェ見に行くって言ってたんだった。金髪で、アズウィルドと一緒におれを助けてくれた女のひと。オーナーたちは大丈夫だったか、知りたいだけなんだ」
「金髪の女性でしたら、騎士のエレノア様かしら。分かりました、ハンナが確認いたしますね」
一番気がかりだったテンインの魂獣のことは、グレンに頼んである。
トラたちは魂獣カフェに戻ったのか、それとも誰かと契約できたのかとか、知りたいことはたくさんある。だが、魂獣カフェに行きたいというのはハンナを困らせてしまうことだと分かって、クロは我慢した。
そんな時、ワイワイとした賑やかな声がどこからか聞こえてくる。ハンナを見ると、また困り顔をしていた。
「アズウィルド様は王都の警護を引き受けられていらっしゃるのですが……またお役目みたいですね」
「アズウィルド、お出かけ?」
グレンは、アズウィルドの傍についていて、と言っていた。アズウィルドと一緒に行きたい、とハンナに言うと今回はあっさりと頷いてもらえた。
そうして。
アズウィルドの役目に同行することを許されたクロだったが、グレンの言う通り、アズウィルドはまさしく『死にたがり』だった。
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