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死にたがり殿下と魔獣退治に出かけた結果
「魔獣、やっつけるってこと?」
「――そうだ」
もう馬上の人となり、出立するばかりだったアズウィルドたちに何とか追いついたクロは、アズウィルドと同じ馬に乗せてもらえた。馬に乗るのは初めてだが、自分が見ていた景色とあまりにも違う高さに緊張しつつも楽しくなってくる。しかし、その楽しい気持ちもアズウィルドの説明を聞くまでだった。
これから、アズウィルドたちは王城からそれほど離れていない場所へ、魔獣討伐に行くのだという。
「……魔獣って、怖い?」
「魔獣は理性を失った魂獣のなれの果てだ。圧倒的な力を持って鎮圧すれば脅威でも何でもない」
魔獣と呼ばれる存在のことは、クロも聞いたことがある。
魂獣と魔獣、どちらもセンチネルの魂のかけらから生まれるが、魂獣は理性を持ち、人と共存できる存在であるのに対して、魔獣は理性を持たず野の獣よりもずっと凶悪だとか。魂獣が理性を失ったものが魔獣、とクロは聞いている。
うっかり森で迷えば魔獣の餌食になってしまうこともあり、魔獣が現れる森に入るには専門の職であるか、公の許可が必要だった。
(おれは、魔獣どころか魔物って呼ばれることもあるけどね)
理性、と。ニンゲンが呼ぶそれは、あくまでニンゲン視点のものだ。
「魂獣を人の姿にする術は確かにありますが……こんなにお話の上手な魂獣もいるのですね」
体格のいい男が一人、アズウィルドの馬に近づいたかと思うと、クロを見て話しかけてきた。ディンという名前で、副団長だと教えられる。がっしりとした大きな男で熊みたいだが、彼もクロに対して礼儀正しく、話し方も穏やかでクロは安心した。
「でもおれ、仲間の言葉は分からないんだ。ニンゲンの話す言葉は、分かるのに」
「魂獣の言葉が分からない、ということで?」
「そそ。だから、おれはニンゲンになりたかったんだ。誰かとこうして、話してみたかった。あとね、も一つ夢があるんだ。ないしょだけどね」
えへへ、と笑うと「そうでしたか」と副団長が優しく微笑んで頷き返す。そんな会話をしているうちに、森の入口へとたどり着いた。
「最近、こちらの森に出没する魔獣の数が増えております。まずは先に偵察を――」
「私が行く」
え、とびっくりしたのはクロだけだった。騎士団の面々は諦めの表情で、アズウィルドの指示を聞く姿勢に入っている。
「アズウィルド! 魔獣たくさんでしょ、危ないよ……?」
「恐ろしいのならここにいれば良い。足手まといだ」
だって、とクロが続けようとしたら、副団長に止められてしまった。
「アズウィルド様は、我が国で一番のセンチネルの使い手ですので」
そんな副団長とクロのやり取りに気に掛けることもなく、さっさとアズウィルドは森の中に入ってしまう。ようやく、クロはこの中でアズウィルドに付いて行けるのは自分だけなのだと悟った。
ここにいても良い、ということは付いて行っても良いということだ。そう解釈したクロは、戻ろうと思ったわけでもないのにまっくろなけだまの姿になって、勢いよくアズウィルドに向かって飛び跳ねた。数度飛び跳ねて、なんとかさっきまでの場所、馬の背中、つまりアズウィルドの前へと収まる。そんなクロを見ても、アズウィルドはやはりと言うべきか、何も言わなかった。
『すごい。綺麗な森だあ』
アズウィルドはずっと無言のまま、馬を進めた。
森の中はクロが想像していたよりもずっと明るく、木々の合間から差し込む光りは温かい。ときおり、野の獣がこちらに驚いて逃げていくのが見えた。ここに凶悪な魔獣がいると言われても、実感を持つのは難しい。
迷いのない足取りで進んで行った先には、小さな泉があった。アズウィルドはそこでようやく馬から下りると、馬に泉の水を飲ませ始めた。その間も、魔獣たちの痕跡を探しているのかアズウィルドは茂みをかき分けたりしている。
このまま、穏やかに過ぎていくかと思われたその時。
アズウィルドが分け入っていった方から、嫌な気配がしてきて、クロは全身のけだまを震わせた。聞いたことのないような、獣の唸り声。木々に時折ぶつかったりもしながら、アズウィルドと共に泉のところまで飛び出してきたのは、全体がクロみたいに真っ黒で、しかし靄のようなもので包まれた不思議な生き物だった。確かに動いているのだが、野の獣とも、魂獣とも確かに違う。
(これが、魔獣?)
背の高いアズウィルドよりもずっと大きく、豹か何かを思わせる体躯をしているが動きは少し鈍い。開けた場所に着いた途端、アズウィルドが短い言葉を唱えて、現れた白炎が魔獣を捕らえた。断末魔の声を上げた魔獣の最後に、クロはドキドキとする。ここまで一緒に来ていた馬は魔獣を見た瞬間に逃げ出し、いなくなってしまった。
(あの姿……おれに似ているかな。いないかな)
ほかの魂獣とは違う、自分。
凶悪な化け物だと断定されて、白い炎に焼き消されたあの黒い獣と、どれほどの違いがあるのだろうか。
しかし魔獣たちの抵抗もすさまじく、あらん限りの力で白い炎から逃れた魔獣の一匹はアズウィルドに向かって姿勢を低くし、どう猛な黒い牙をむき出しにしてきた。その間にもアズウィルドは無謀とも思えるくらいにセンチネルを発動させている。その集中力はすさまじい。だが、一方にしか向けられていないのはとても危うく見えた。挟み撃ちにされたら呆気なくアズウィルドが殺されてしまう。
(死にたがりって、こういうこと⁈)
ようやく、グレンが言っていたことを理解して、クロは飛び上がった。遠吠えを上げた魔獣に応える声があちこちから上がる。
『あああ、アズウィルド!! 逃げなきゃ』
飛びつくようにしてアズウィルドの傍に行ったのに、アズウィルドの過集中は途切れそうにない。魔獣の数が増えてもアズウィルドは怯むどころかますます力を発揮していくのに、クロは不安でいっぱいになった。
(センチネルの力って、急激にたくさん使っちゃうと、死んじゃうことあるって聞いた)
彼らの力の源は、魂だとか精神だとか、そういうものを削って発動させるのだという。だからこそ、その強い魂は彼らが死した後も獣の姿となって残るのだと。
ガイドと呼ばれる、その力の消耗を回復できる役割の者がいなければ、果ては魂が粉々になって自身も魔獣へと堕ちてしまうとか、そんな感じの話だった。誰から聞いたのかは覚えていないけれど、その仕組みをふっと思い返すことができた。
(アズウィルド、守らなきゃ!)
とにかく、彼の隙を守ることができれば。
アズウィルドの背中を狙って忍び寄ってきた魔獣へと飛び掛かり、クロは必死に魔獣の顔にしがみついた。靄がかったように見えても、魔獣にも実体はある。クロを振り払おうとしていた魔獣だったが、クロがしがみついているうちに段々と興奮が醒めたのか大人しくなり、やがて地面へと寝転がった。一緒に地面へと転がったクロは急いで臨戦態勢を取ったものの、先ほどまでどこにあるかも分からなかった魔獣の目に光りが戻っていて、クロにお腹を見せながら寝転がっている。
『これ、トラたちもよくやってた!』
そのままパクッと食べられないかは心配だったが、勇気を振り絞って近づき、お腹を撫でてみると魔獣は心地よさそうに目をとじ、喉を鳴らし始める。殺気立っていた他の魔獣たちも、その音が聴こえたのか、ピクピクと耳を動かし、一斉にこちらを見てきた。気のせいか、羨ましそうだ。
そんな中、一人だけ鋭い眼差しをクロに向けてきたのはアズウィルドだ。
「何か、異能を使ったのか?」
使ってないよ、と全身を使って否定する。その間にも魔獣たちはクロに近づいてきて、トラたちがしていたようにクロのけだまに鼻面を押し当てたり、頭をすり寄せたりしてきた。
これでは、完璧にクロが魔獣たちの親玉である。
『あのね、違うんだよ! おれ、おれはね!』
今、このままではアズウィルドには通じない言葉。それでも必死に弁明しようとしているうちに、目の前にいる魔獣たちの黒い靄が段々と取れていき、真っ黒から様々な色へと姿を変えていった。魔獣たちのどれもがその目に光を宿し、クロが知る魂獣たちと見分けがつかないくらいまでになった。
ペロペロと、けだまを毛繕いされる。
そうして、魔獣だったはずのものたちはクロに頭を垂れると、軽い足取りで森の奥へと向かい駆け去っていった。
無表情なアズウィルドと、けだまがべっちょりと濡れたクロを残して。
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