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異能の片鱗
「うん、傷はなさそうだね。元の姿に戻ってしまったのは、僕のセンチネルを一時的に消すくらい強い瘴気だったんだろう。……で? そんなめちゃ強な魔獣たちを、クロが一匹でやっつけちゃったと」
「ちがっ、ちがう! おれにも何がなんだか分からないんだ。やっつけてないよ」
公爵邸に戻ったクロを待っていたのはグレンだった。アズウィルドは王城に報告へ行くからと、クロを置いて行ってしまった。できたらクロも王城まで付いて行きたかったのに、グレンに怪我はないか確認してもらうようにと厳命されてしまった。
森の中のできごとは、アズウィルドにとっても経験のないことだったらしい。
少なくとも、今まで、魔獣とは既に理性が失われた存在であり、ただの危険でしかないから討伐しなければならない存在だった。魔獣に理性が戻ることがあるなんて、と人の姿に戻してもらったクロの話を聞いたグレンも目を丸くする。
「すごいね、まるでガイドが持つ力みたいだ。でも、ガイドが魂獣になることはありえないしな~。とにかく、それが君の持つ異能なのかもしれない」
「どちらかというと、魔獣たちに仲間だと思われたんじゃないかなって思う。魔獣たちに囲まれたおれを見てたから、おれが魔獣の親玉じゃないかって、アズウィルドに勘違いされてないといいなあ」
「あはははは! こんな可愛らしい子が魔獣たちの親玉なら、我が国の脅威は去ったも同然じゃないか。でも、素晴らしい結果だよ。あの死にたがり王弟殿下が、ヤバいレベルの魔獣相手に力を乱発して寿命を縮めるのを阻止できたんだし」
それだ、とクロは身を乗り出した。
アズウィルドは死にたがりだと、グレンが言っていた意味を知らなくては。
「どうしてアズウィルドは、自分から危険に飛び込もうとするの?」
「さあ、理由は本人にしか分からないよ。でも、センチネルは殺されても死なないと言われるくらい、生命力が強いからね。そんなセンチネルが唯一死と隣り合わせになるのは力の消耗だ。彼の行動は、常にそこに突き進んでいる。もしかしたら既に病んでいるのかもしれない。我々にとっては幸いなことに、アズウィルドが自分で思う以上に彼の力は豊富で、使ってもなかなか減らないみたいだけどね」
ニンゲンで、地位があって、素敵な人たちに囲まれて。
それらを、アズウィルドは惜しくないのだろうか。
「アズウィルドは、おれに力がないから、契約するって言ったのかな……」
ここにアズウィルドはいないのに、「そうだ」という答えが聞こえた気がした。
俯いていたら、グレンがくしゃっとクロの髪をかき回してから「考え込まないで」と続けた。
「そんなことで悩むより、ここで出来る楽しいことを考えようよ。少なくとも、彼は君に名前で呼ぶことを許しているだろう?」
「……もしかして、許可、必要だった? グレンや、みんなのことも?」
ニンゲンはいろんな名前でアズウィルドのことを呼ぶ。その違いなんて魂獣のクロには分からないから、シンプルに名前で呼んでいた。
「許されていなかったら、とっくに君は魂獣の保護施設に叩き返されていたと思うよ。とにかく、アズウィルドの死にたがりを治せるか、君に期待しているからね」
「おれ、がんばる!」
期待されるなんて、初めてのことかもしれない。
張り切って請け負うと、グレンは「頑張って~」と応援してくれる。しかし、ふと真顔になると「一つだけ、注意しておこう」と続けた。
「アズウィルドがどう王城に報告するかは分からないが、魔獣の理性を取り戻した話は迂闊にしないようにね。魂獣をめぐって、闇取引が増えている……密猟や襲撃が相次いでいるんだ。君が襲われた時も、あの近辺では連日保護施設関連への襲撃があったみたいだし。もしクロにそういう力を本当に備わっているとなると、悪いことを考えるヤツがいるかもしれない」
「だいじょぶ! アズウィルドとグレンにだけだよ」
「よし」とグレンは笑うと、食事を持ってきたハンナと入れ違うように部屋から出ていった。
***
(おれは、魔獣の親玉じゃないって話をしておかないと)
グレンは大丈夫じゃない? と軽く言ってくれたが、アズウィルドが誤解していないかクロは心配だった。森に行ったその日はアズウィルドが部屋に顔を出すことはなく、早く話をしたいという気持ちばかりが焦っていく。そんなソワソワが伝わったのか、着替えを終えたところで、「クロ様」とハンナから話しかけられた。
「もう少ししますと、旦那様がお庭をお散歩されるお時間です。その時にお声をかけてみたらいかがでしょう?」
「アズウィルド、迷惑しないかな」
「クロ様なら大丈夫かと。もし心配でしたら、ハンナから花を摘むのを頼まれたと仰ってください。そして、お庭からクロ様のお好きな花を摘んできてくださいな」
ハンナの提案は心惹かれるもので、クロは早速中庭に出てみることにした。クロに自我が生まれた時から、狭いところでじっとする癖がついてしまっているので、自分から行動するということに中々慣れない。背中を押してくれたハンナに「ありがと!」とお礼を告げてから、部屋を出てみる。
今のクロはニンゲンの姿をしているからか、誰一人としてクロのことを『バケモノ』とか、『キモチワルイ』という呪文を唱えてこないことが、ただ嬉しくて幸せに感じる。
中庭に出てすぐ、庭師にバッタリ会った。この庭を世話していると教えてもらったニンゲンだ。彼に黙って花を摘むのはいけないことのような気がしてきて、挨拶を交わしてからクロはおずおずと口を開いた。
「あの、実はお花、ほしくて。摘んでもいい? ハンナに教えてもらった」
どう言えばニンゲンと上手く会話できるか分からない。必死に言い募っていると、真っ白な髭を生やした庭師は相好を崩して「どういうのが良いかねえ」とクロに尋ねてきた。
「どういうの?」
「好きな花はあるかい? 好きな色とか、そういうのでも良いんだが。好きな花を摘んで持ち帰るといいよ」
好きな花。花そのものを一度にたくさん見たのは、ここに来てからだ。素直にそう話すと「なるほど」と庭師が頷くのを見やりながら、クロは「あ」と声を出した。
「あの、アズウィルドが好きな花はある?」
「旦那様の好きな花かい? じゃあ、ヒントを教えてあげようか」
ありがと! と笑顔で告げると、庭師は「いいんだよ」と笑い返してくれる。オーナーは、お城に行ったらクロにはきっと辛いだろうと言っていた。それなのに、アズウィルドのお屋敷は不思議なくらい、みんながクロに優しい。
庭師に教えられてやって来たのは、花のアーチをいくつもくぐった先にある小さなスペースだった。装飾の凝っている、年季の入った椅子が二脚置かれている。背もたれの部分では小鳥が数羽、のんびりと翼を休めていた。彼らから見てもクロは大した脅威に見えないらしく、近づいてみても飛び立つことすらしない。
「ええと……この、青い花かなあ。あれ、でもこっちにも青い花がある」
そのあたりにある青い花が旦那様の好きな花だよ、と教えられたものの、実際に行ってみたら青い花だけでもいくつもある。むやみに摘んでしまったら綺麗に整えられたこの風景を台無しにしてしまいそうだし、とクロは悩んだ。
「匂いもひとつひとつ違うねえ。アズウィルド、一番好きなの何かな」
「私がなんだ?」
一人きりだと思い込んでいたので、後ろから声をかけられてクロは固まった。男らしく低くて格好いい声。冷たさを感じる淡々としたその言い方。アズウィルドだ。
勇気を出して振り返ったら、白銀の髪をいつも通り整えた美丈夫がいた。会ったらいろんなことを話したかったのに、一瞬で忘れてしまってクロは余計に焦る。
アズウィルドはそんなクロを一瞥すると、近くにある椅子に腰かけた。普段から庭の散歩をするときにはそうしているのか、とても自然な動きだ。アズウィルドが近付いただけで、小鳥たちはみな飛び立っていってしまった。
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