失言のち逃走

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失言のち逃走

「……お前は、花が好きなのか?」 「おれ?」  またアズウィルドがクロを見ている。クロは急いで椅子に腰かけているアズウィルドに向き直った。そしてアズウィルドに問われたことを考えて、小首を傾げる。 「おれの好きな花は、まだ分からないかな。あのね、おれの知っている花って、花瓶に咲いているひとつかふたつだけだったんだ。それが花だと思ってたから、ここに来てすごくびっくりした!」 「それほど長い間、保護施設に閉じ込められていたということか?」  アズウィルドが目を細めた。どうやら機嫌を損ねてしまったらしい。しかし、会話は続いている。クロは慌てて首を左右に振ると、おれ閉じ込められてないよ、と返した。 「おれってほら、ばけものみたいな見た目なのに、ニンゲンが契約してくれそうなすごい異能もなかったし、キモチワルイって呪文を解く努力がね、ちゃんとできてなかったから。おれ、魂獣カフェの前はね、小さくて暗いところにずっといたんだ。そこには何もなかったから何も考えないようにしていた。でも、ある日突然明るくなって、オーナーの顔が見えて。気づいたら魂獣カフェでみんなと一緒になれて、幸せで嬉しかったんだ」  それに、今はニンゲンの姿になれたから、ずっと願っていた誰かとの会話もできている。それが何よりも嬉しいと思っていることまで話して、クロはハッとなった。アズウィルドはおしゃべりが嫌いなのだ。  しかし、「黙れ」と今日のアズウィルドは言わなかった。何か考えているように見えたけれど、話しを続けても今なら怒られなさそうだ。 「あの、アズウィルド。この間の、森でのことなんだけど」 「森? ああ」  クロが頑張って切り出すと、アズウィルドは再びクロを見てくる。その縹色の瞳へと向かって、クロは必死に「おれ、魔獣たちの親玉じゃないからね!」と叫んでみた。 「は……お前が? 親玉……?」  アズウィルドが不思議そうに繰り返したので、クロはさらに慌てた。いつも冷静な彼が、こんな反応を見せるのは初めてなのだ。 「魔獣たちがほら、おれに寄ってきたりお腹見せたりとかしたから、親玉だってアズウィルドに誤解されてないかずっと心配だったんだ。でもおれ、彼らとは初めて会ったんだよ、ほんとだよ」 「それは……そうだろうな」 「アズウィルド、なんで顔を背けるの?」  目のあたりを手のひらで覆い、肩を震わせ始めたアズウィルドに顔を背けられてしまい、クロの不安はさらに増す。緊張も増す中、「おやあ」と暢気な声がかかった。 「なんだか楽しそうなことになっているね」 「グレン!」  思ってもいなかった人物の登場に、クロの表情は明るくなった。グレン自身もなにか楽しいことでもあったのか、笑顔だ。 「楽しそうなアズウィルド殿下を久しぶりに見られて良かったよ」 「貴様はここに何の用だ」 「冷酷無慈悲な冷血の元・英雄サマが、可愛らしい魂獣くんをいじめてないか確認しに」  飄々と言ってのけたグレンに、アズウィルドが冷たい眼差しを向ける。しかし、グレンはそれに臆することなく笑ってみせた。 「でも、心配は無用だったかな。クロ、ちゃんと言えた?」 「う、うん。言えたけど、アズウィルドがそっぽ向いちゃって」  笑ったんでしょ、とグレンがニヤリとしながら返す。「アズウィルド、笑ったの?」とクロが問いかけても、アズウィルドはクロを見てくれない。困っていると「綺麗な庭だよね」とグレンが話を変えた。 「うん。おれ、アズウィルドの好きな花を探していたんだ。青い花って、庭師さんからヒントもらったから探している」 「ええ? 花を愛でるような情緒なんて、元英雄サマにあったかな」  揶揄する口調でグレンが話しても、アズウィルドは黙って、持ってきた本に視線を落とすばかりだ。本は、魂獣カフェにやってくるニンゲンが持ってくることもあるので、存在自体はクロも知っていた。異能はなくても、クロも魂獣のうちに入るのだとしたら、何かしら前世の記憶めいたものがどこかに残っているからかもしれない。アズウィルドはどういう本を読むのだろう、どういう中身なのだろうとソワソワしていると、「気になる?」と隣に来ていたグレンが囁いた。 「どんな本を読んでいるのか、尋ねてみたら?」  その問いかけは、アズウィルドにも当然聞こえているだろう。しかし、クロは笑って首を左右に振った。 「本を読んでいる人の邪魔をしちゃだめだ。あっ! グレン、テンインの魂獣、見つかった?」 「ああー! そうそう、大事な話を忘れるところだった。魂獣カフェの店員の魂獣とやらは、無事契約主のところに帰っていたよ。それで、君がめちゃくちゃ捜索されていてさあ。逆に、君がどこにいるか知らないかってその店員さんに聞かれちゃったよ。とりあえず、安全なところで保護しているとだけ伝えた」  まさか、探してくれているとは思わなかった。キョトンとしていると、アズウィルドが本を閉じる音が聞こえた。 「そのことなら先方に筋を通す義理はない。魂獣保護施設の所有者を辿ったところ、デモンシー卿が所有する商会の一つに当たったからな」 「はあ? あのブタ親父、そんなことをしてたの? 息子が散々やらかしたのに……従獣官はほんっと仕事しないな」 「グレン、オーナーたちのこと知ってるの? でも、オーナーはブタのお父さんじゃないよ?」  アズウィルドはいつも通りだが、グレンの雰囲気が今までと違って思える。  いつもよりもずっと、感情的だ。 「オーナーというのは恐らく雇われ者だったんだろうね。デモンシーっていうのは、魂獣を保護するだなんて最もふさわしくない、魂獣殺しの一族だ! まさか、デモンシーのヤツ、魂獣を闇取引しようとしているんじゃ」 「でもでも、オーナーはおれのこと助けてくれたよ!」 「そうやって油断させて、魂獣たちを手なずけてっていう悪いヤツかもしれないだろう? 所詮、デモンシーの犬ってことだ。信用しちゃいけない」  オーナーは、クロが驚くのを見ては楽しそうに笑う、ちょっと困ったニンゲンではある。しかし、クロをあの暗い場所から連れ出してくれたのは、間違いなくオーナーだった。そして、保護されてきた魂獣たちのために、契約主になれそうなニンゲンを探していた。そんなオーナーのことを知らないのに、悪いヤツ、とグレンに断じられたのが納得できなくて、クロは首を必死に左右に振った。 「おれ、まっくろけだまの時でもニンゲンの言葉分かったよ。まわりに他のニンゲンがいない時でも、おれに話しかけてくれた。オーナーは悪いヤツじゃない!」  いま、けだまの姿だったら全身の毛がぶわっと膨らんでいたかもしれない。  グレンの考えをどうしても変えたくて、必死に言葉を探す。しかし、上手く言葉を見つけることができず唇を噛みしめたところで、「いい加減にしろ、グレン」とアズウィルドが間に入った。 「あの事件は、デモンシー家の長子、ルーエンが処刑されて陛下が終わりにした。闇取引に携わっている施設なら、さすがに従獣官たちが気づいて警告を出すだろう。地方ならばともかく、王都の中の話だ」 「……失礼しました、アズウィルド殿下。クロも、ごめん。冷静じゃなかったよ。ちょっと頭冷やしてくる」  さっさと王城に戻れ、とアズウィルドが険しい表情を見せた。  グレンにもいつも通りの雰囲気が戻ってきたところで、颯爽と立ち去って行く。しかし、クロは今まで感じたことがないくらいに動いた感情をまだ落ち着かせることができないでいた。 「……オーナー、ほんとうに悪いニンゲンじゃないんだ」 「そうかもしれない。だが、グレンにとってはデモンシー家の人間のせいで大事なものを失ったこともまた、事実だ」  淡々とした、アズウィルドの言葉。  「それに、契約主のいない魂獣(お前)を店に残し、襲撃に遭ったことは保護監督の責を果たせておらず、保護施設側の落ち度と考えられる。その立場や関係によって、いくらでも見える景色は変わるものだ」  アズウィルドの言葉は、難しい。  彼の話だけでは何があったのかはサッパリ分からない。とりあえず、グレンにはグレンの事情がある、ということはなんとなく分かったつもりだ。  それから、ここに来てからクロをニンゲンにしてくれたり、いろいろと世話を焼いてくれたグレンのことを思って、しょんぼりとなった。  そんなクロを一瞥したアズウィルドは立ち上がりがてら、「あれは脳天気な男だ」と呟いた。 「グレンの決めつけに、お前が反応しただけのこと。気にする必要はない。今度会った時に甘いものでも渡せば、コロッと笑うような奴だ」  どうやら、気にするな、と言ってくれているらしい。クロは琥珀色の目をまんまるくしてから、「ありがと!」 と笑顔で返した。 「アズウィルド、死にたがりだけど優しい!」 「……死にたがり?」  向けられる冷え冷えとした縹色に、クロは急いで逃げ出すしかなかった。
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