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1話 水辺に群れる彩蝶の手鏡
箱から取り出したのは、蝶の群れだった。
そんな錯覚をする、見事な品だった。
母の祝いの日に、この世に二つとない細工の手鏡を、蝶のモチーフの銀細工であればより望ましい。
そんな顧客の要望を全て叶えているはずだ。これを、妖精谷の万の虚から見つけ出した自分を、フィニは改めて褒め称えた。ダークエルフの血を引く職業人はとかくネガティブに走りがちだから、自己肯定は大切な作業だ。百歳を超えたばかりの、うら若きの淑女として、そのドヤ顔は心の中だけに留めておくけれど。
(インテリアハンターとして、これはいい仕事したわ!)
世界中に人知れず埋もれる希少な品を見つけ出す仕事は、楽しい。
この妖魔たちの集う世界には果てがなく、そして数多の異世界に繋がっている。
フィニは家族の許可が出ないので行ったことがないが、異世界の中には妖魔が全くおらず、人間という魔力のない種族が暮らす世界もいくつかあり、摩天楼という石の塔が聳えたり、電波という魔力もどきが全てを支配したりする世界もあるらしい。
妖魔の中には、そうした世界の行き来を楽しむものもたくさんいる。
それでも、隠れたお宝を見つけ出せる者は限られていて、天性の勘が必要だと言われている。
アンヌフィニ・レジーナ――フィニは、そんな腕利きの若手ハンターとしてそれなりに名が知られるようになっていた。
達成感はフィニを内側から輝かせた。
朱色がかった金の髪、夕陽色の眼、象牙の滑らかな肌。父方にオークの血が入っていて、特徴をいいとこ取りしている。造作の良さと姿勢の良いすらりとした長身はダークエルフ寄り、輝かしい色合いと豊かな胸腰は、オーク寄り。
今は、所属する内装ショールームのトレードマーク、白のパンツスーツを身に付けているが、夜会で着飾らせたらさぞ、と目の肥えた客たちも唸らせる妖艶さだ。黙って立っていれば。
顧客の青年貴族は、スーツの上からでもわかる曲線にばかり視線を向けていたが、フィニが控えめなオーロラオレンジに彩った白い指で蝶たちをそっと持ち上げたので、ようやくそちらを向いた。
手鏡の持ち手にも本体にも、銀の繊細な細工で形さまざまな小花があしらわれている。蝶番で開く蓋部分には、花に囲まれた泉が彫り込まれ、かすかに波紋を落とした水面に、色とりどり大小様々な蝶たちが、さわさわと瞬きをするように集っていた。
宝石ではない鉱石で彩られた蝶たちは、微細な雲模様や星模様を見せつけて、とろりきらりと輝いている。
白い指が蝶を摘んで、蓋をそっと開くと、真冬の風のない日の湖のような鏡面を覗き込む、惚けた男の顔が鮮やかに映った。
「いただこう。さすが、レジーナ嬢。貴女にお願いしてよかった」
街中の良質なアパルトメントひと部屋を買い上げるほどの値段だが、さすが決断が早い。
フィニはウキウキとラッピングをしていたが、扉のないこの部屋の前の廊下を、コツコツと、ヒールとも違う独特の足音がして、うえっと眉を顰めた。
「これは、レリア。商談の後かな?」
目の前の客が、親しげに声をかけたので、足音の主は気さくなフリでこちらへ寄ってきた。
若い美女に見えるが、このショールームのやり手のオーナー、フィニの雇い主だ。ただし、故郷では取っ組み合いの喧嘩までしたことがある、年上の幼馴染でもある。
「ごきげんよう、旦那様。先日湖畔の別荘のインテリアを揃えさせていただいて以来ですわね」
「あ、ああ」
ちらちらとフィニを見る気まずそうな視線に気付かないふりでリボンを掛けていく。フィニもその別荘の内装の提案を作ったが、採用されなかったのだ。しかも、同じショールームのレリアの提案を採用した。それを、気にしているのだろう。
そんな、屈辱の情報は、すでにレリアからたっぷりと聞かされているから、今更気にしないでいただきたい。かえって居た堪れない。
ほら、レリアも、フィニの気まずさに気づいて、嬉しそうだ。真っ白な毛に覆われた蹄付きの足のそばで、青緑色の蛇の尾が揺れている。この女、本当に、性格が悪いのだ。
さっさとショールーム定番のラッピングを終わらせて、客を見送ったが、まだレリアはそこにいた。しかもなぜか、ぎりぎりとこちらを睨みつけている。さすがに子供の頃のように取っ組み合いはしないだろうが、こちらも身構えた。
「……なによ、ふたりでインテリア案を出して、あなたが選ばれたんでしょ? ええ、ええ、何回も聞いたし、お祝いも述べましたけどお。次のお客さまが待ってるんじゃないの?」
「ハンター仕事ばっかりで名前を売ってる人と提案で競ること自体が屈辱よ。いいわよね、冒険者まがいのことをしたら、あんなに丁寧にお礼を言ってもらえて。貴女に依頼してよかった、ですって? 調子に乗らないでよね。私たちはハンターじゃなくてコーディネーターよ。その舞台で勝負するなら、私が圧勝なんだから!」
レリアは、売れっ子のインテリアコーディネーターであり、フィニを雇っている立場だ。どうしてフィニを目の敵にするのか、それなのに雇っているのか、さっぱりわからない。
フィニだって、いくら面白くても、ハンターという小遣い稼ぎに始めた仕事ではなく、コーディネーターとして身を立てたい。立てられる、ものならば。
「わ、私だって、少しずつお客様を増やしていくわ! 今だって一件、お返事待ちで」
「残念だけどね、フィニ。あんたの案、却下だってよ」
レリアは、わざとらしい、気の毒そうな素振りで手紙を差し出してきた。
現実は、無情だ。
息子が十歳になる記念に一人用の私室を整えてやりたいという依頼に、壁紙からランプから、寝台の天蓋図案まで、張り切ってトータルコーディネート案を提示したのに。検討すると、持ち帰ってくれたのに。
「そ、そんな」
項垂れるフィニに、レリアがフン、と小さく鼻を鳴らした。
「どうせまた、あれでしょ?」
「あ、あれって何よ」
「出して見なさいよ、案を」
「な、なんであんたに……」
ぎくりとして身を引いたのだが、仮にも雇い主。渋々、手の平からミニチュア亜空間を引っ張り出した。建築がらみの有資格者は、こうして自分のイメージを人に伝えるのだ。
フィニの提案を見たレリアは、やっぱりね、とため息をついた。
「敵にアドバイスするのもなんだけど、フィニ、あんた、これを乗り越えられなきゃ、この道でやってけないわよ。あ、そうね。この提案、今日中に作り直して。出来なきゃ、クビよ」
この道に入って、二十年。薄々危機感は持っていたものの、百二十八になって突きつけられた、クビ予告だった。
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