新たな関係を始めるとき

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 大和ブックセンターに勤め始めてから、紗綾は初めて有給休暇を使って休んだ。記者会見の日から三日間はドラマの打ち合わせなどもあり、出勤したくても出来ない状況にあったからだ。  久しぶりに出勤する朝、ほとんど眠れなかった紗綾はすっきりしない頭のまま混雑する通勤電車に乗るため駅へと向かった。  駅構内の通路。所々に貼られている自分と颯斗のポスターを見つけては紗綾は肩を縮こまらせた。周りの人たちに注目されているような気はするが冷静になって周りを見渡せばそんなことはなく、自分が気にしすぎなだけだとわかる。  ガラスに映る自分はいつも通りだ。髪を後ろで一つにまとめ素顔に眼鏡をかけている。若干鬱陶しく感じる前髪は美容師さんから切った方がいいと提案されたが、いつも通りが崩れることへの不安から紗綾は遠慮した。地毛を生かす形でなく番宣用のポスターに映る紗綾の流れるような髪の毛は、完全なウィッグを使用した。  ポスターに映る華やかな女優と地味な自分。誰も気づくはずはないのに心のどこかで『もしバレたら?』という不安は渦巻いている。電車に乗っても、車内広告の中に相馬颯斗の文字を見つける度にドキッと胸が鳴る。  女性誌の表紙を飾っている颯斗は上半身裸姿で、こちらを向いて色気のある笑みを浮かべている。世の中の女性たちを魅了する颯斗がなぜか自分だけを見てくれているというのは、未だに嘘じゃないかとか夢じゃないかとか紗綾には思える。  その広告の横にゴシップ記事の多い週刊誌の広告があり、そこには小さく『相馬颯斗、やはり彩乃が本命か?!』と書いてあるのを見つけた瞬間、膨らんでいた紗綾の気持ちは一気に萎んで小さくなった。 ◇  紗綾の緊張感とは裏腹に出勤しても特別何も変わりはなかった。有給休暇を取るのが人生初だった紗綾にとっては一大事だが、周りからすれば別段変わったことではないからだろう。いつものように黙々と朝から業務をこなしていると内線電話が鳴った。  「青木さんに外線入ってるわよ。繋いでいい?」  「誰からですか」  「作家の功臣先生ですって」  「あ…、わかりました。直ぐに繋いでください」  颯斗との一件で忙しすぎて功臣に連絡をしていないことに今さらながらに紗綾は気づいた。それと同時に今更ながらに気がついた。颯斗はどうして私をあのバーに迎えに来られたんだろう。  紗綾の記憶にあるのは出されたカクテルを功臣のペースに遅れないように必死で飲んでいたときまでだ。それからどうやって颯斗の腕の中に自分が収まることになったのかの過程がすっぽりと抜けてしまっている。  颯斗にだけでなく功臣にも多大な迷惑をかけた可能性がある。そう思うだけで紗綾は電話を恐る恐る取った。  「お電話代わりました。青木です」  「功臣です。良かった。元気そうだ。今日は出勤出来たんだね」  なぜ功臣が『今日は』出勤していることを知っているんだろう。  「あ、はい。三日間の有給を頂いておりまして…。功臣先生。先日は申し訳ありませんでした」
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