(一・一)誕生

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(一・一)誕生

 雪川朋子の話をしようと思う。  俺は海野保雄って、しょぼい個人経営の、美容整形外科病院の医者をしている。が、そんなことは、とりあえずどうでも良くて、話を先に進めよう。  雪川朋子は、第二次世界大戦の終戦から十三年後の一九五八年五月十一日、この世に生を受けた。それは泣き出したくなる程に透き通った、ブルースカイの朝だったと言う。そんな五月の爽やかさはしかし、必ずしも朋子の未来を暗示してはいなかった。むしろ朋子の人生は、苦難と苦悩に満ちていた。なぜなら朋子の顔は、人並みには程遠く、ちょうど一九六七年一月にTV放映された『ウルトラマン』に出てくる、怪獣『ダダ星人』に似ていたからである。男ならまだしも、女として生まれた朋子にとって、それは残酷なことに違いなかった。  雪川家は、東京都品川区の公営住宅に居を構え、朋子の父、健一郎は港区にある電機メーカー『沖電気』に勤務するサラリーマン、当時二十八歳。母の夏江は同い年で、同会社の元女子社員だった。つまり二人は職場結婚で、夏江は現在専業主婦である。  朋子は二人の間に生まれた、初めての子どもだった。それだけに、健一郎と夏江の喜びも一入(ひとしお)だった。しかし生まれて来た朋子の顔を目にした瞬間、両親は勿論のこと、助産師たちも息を飲んだ。歓喜の声は跡形もなく消え、皆沈黙したまま、お互いを見つめ合った。その時点ですら既に、ダダ顔という朋子の顔の特徴は、現れていたのである。  異様に大きく、多少充血した赤いふたつの瞳。不健康に白く、ソバカスだらけの肌。耳元まで裂けたと言うか、伸びた分厚い唇。そして大きく角張った顎は肩まで及び、顔全体のシルエットは円錐形である。 「何だ、この子は。これが人間の、子どもなのか」  それが、その場にいた総ての者の、偽らざる心境だった。にも関わらず親である健一郎、夏江を始め、出産の場となった品川区立奥田病院の産科、小児科の医師たちが、なぜ何も手を打たなかったのか?その理由は、朋子には分からない。ただ時代的に当時まだ、日本の医学、特に整形技術に於いて、対応には限界があったとも考えられるのである。  出産前の検査は特にしていなかったが、産まれるや元気に産声を上げた。顔の見た目を除けば、他には全く異状は見られず、健康そのものだった。それに朋子の顔の症状は余りにも特異であり、原因も分からず、従って対処法もなかった。加えて症状は顔全体に及んでいる為、手術するにしてもリスクが大きく、その割に効果は、余り期待出来ないのではあるまいか……。当時の関係者がそう判断したとしても、おかしくはなかっただろう。  では、当の健一郎と夏江はどうやって、我が愛しの娘、朋子の現実を受け入れたのか?それは過酷な、痛みであったに違いない。 「あなた」 「うん……」  何かの間違いであってほしいと、願った望みは叶わず、失意のまま奥田病院を退院。朋子を連れ、自宅に戻った健一郎と夏江。  ベビーベッドで寝かせた、天使とはとても形容し難い朋子。その寝顔を見つめるふたりの胸には、この子の将来への不安と恐れ、心配しかなかった。 「これから、どうしよう」 「どうしよう、って言ったって」  少し間を置いて、夏江が再び、健一郎に問う。 「もしも産む前に分かっていたら、わたしたち、産まなかったかしら」  すると健一郎は、即座に答えた。 「子どもの為に、そうしていたと、思う」  しかし心の内では、夏江を責めていた。  今更そんなこと言ったって、仕方ないじゃないか。この子はもう現実に、こうして生まれて来た訳なんだから。ぼくたちはもう、前を向いて、これからのことを考えるしかないのだ。  そう言いたかったのだが「じゃ、これからの為に、何か良い考えでもあるの?」などと問われそうで、健一郎は、口をつぐむしかなかった。
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