(一・二)ダダ化

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(一・二)ダダ化

 日を経る毎に、朋子の顔はダダ化してゆき、三ヶ月が過ぎた。朋子は順調に発育し、「あー」とか「うー」とか声を発するようになった。それは確かに可愛らしい女児のそれであったから、顔とのギャップが、何とも痛々しくたまらなかった。  健康診断と精密検査に、朋子を奥田病院に連れてゆく。結果は問題なし。生活に支障をきたすような障害は見付からず、健康そのものだった。これで顔の見た目さえ、人並みであったなら……。何と苛酷な運命なのか、と健一郎と夏江は、嘆かずにはいられなかった。  ふたりが悲嘆に暮れている頃、雪川家には複数の訪問客があった。慣れない育児に苦労しているだろう。様子を見に行ってやるかと、生まれた当初は遠慮していたふたりの親やら友人、知人らが遊びに来たのである。健一郎たちはまだ、朋子の顔のことは伏せていた。しかし折角来たのに、孫の顔を見せない訳にもいかない。 「吃驚しないでね、父さん、母さん」  可愛い孫見たさに、遥々九州熊本から上京した健一郎の両親である。 「なんばビックリせないかんと。はよ、朋ちゃんの顔ば見せんね」 「でもお母さん、本当にびっくりしないでね」  すまなそうに健一郎と夏江が見守る中、いざ朋子と対面した両親は、ひと目見るなり絶句した。 「大丈夫ですか、ふたりとも」  恐る恐る声を掛けた夏江に、ようやく熊本の二人は口を開いた。 「なんね、こん顔は。化けもんじゃなかとね、こら恐ろしか」 「こぎゃん子が孫て、嘘んごた。親戚には恥ずかしゅうて、見せられんたい」  余程ショックだったのかご両人、翌日にはさっさと熊本に帰ってしまった。  横浜に住む夏江の両親もまた、似たような反応だった。 「女の子なのに、不憫だねえ。これじゃ、結婚相手が見付かるかどうか?先々苦労するのは、目に見えてるよ。困ったもんだ、まったく」 「産む前に、分かんなかったの?あんたたち。あたしだったら、絶対産まないねえ。兎に角あんたたち二人で、頑張って育てなさい」  親子の縁を切る、とまでは言わないが、丸で厄介者扱い。親たちは健一郎と夏江を冷たく突き放し、距離を置いたのだった。  それに比べて友人たちは、親身になって心配し、ふたりを励ました。 「頑張ってね。何かあったら相談して」 「朋ちゃんのこと、知り合いの医者に、聞いてみるよ」 「余り力にはなれないけど、祈ってるから」  しかし具体的な解決策が見付かるでもなく、ただただみんなに、余計な心配ばかりを掛けるだけ。健一郎と夏江は申し訳なくて、罪悪感すら覚えてゆくのだった。  平日夏江は、家の中で一日中、朋子と二人切りで過ごすのを常としていた。出来ることなら朋子をベビーカーに乗せ、公園に連れて行きたい。そう思うのだが、勇気が出なかった。朋子の顔を見られるのが恐い。もし見られて、近所の噂にでもなったら嫌。ベビーカーのフードを下げれば顔を隠せないこともないが、顔見知りに会ったら、やっぱり見せない訳にはいかない。しかし家の中に閉じこもってばかりだと、それはそれで変なふうに思われるかも知れない。さて、どうしたものか?  夏江は、健一郎と共にしばらく悶々とした日々であった。が朋子の将来を思ったら、このままで良い筈がない。やがて朋子も大きくなる。嫌でも一人で、外の世界へと出てゆかねばならない時が、やって来るのだ。ならば親である自分が、先ずはしっかりしないと。世間の目を恐がってばかりいては、朋子を守ってやれることなど、到底不可能。そうだ、もっと強い人間にならなければ……。  夏江は遂に、朋子を連れて外の世界に出てゆくことを決意した。とは言っても先ずはベビーカーのフードを下げて、恐る恐る近くの北品川公園へと向かった。案の定そこには、同じ公営住宅やご近所の主婦連中が、子供連れでたむろしていた。 「あーら、雪川さんの奥様じゃない。お珍しいこと」  逃げ出したい気持ちを奮い立たせ、夏江はにこやかに返した。 「娘の朋子です。今ちょっと寝てまして、フード越しで、ごめんなさい」  フードを下げたまま見せまいとしたが、朋子のベビーカーの周りには、既に大勢の主婦が集まっていた。 「うわあ、わたしにも見せて、朋子ちゃん」 「わたしだって、まだ見てないわ」 「雪川さんのお嬢さんなら、さぞ、可愛らしい女の子なんでしょうね?」  朋子を見たいというリクエストに促され、仕方なく夏江は腹を括った。正に清水の舞台から飛び降りる、そんな心境である。  どうせ、いつかは見せるんだから……。  夏江は恐る恐る、ベビーカーのフードを上げた。朋子は目を瞑り、すやすやと眠っている最中。みんなの視線が、朋子へと痛い程に注がれてゆく。  ごめんね、朋子……。  朋子を晒し者にしたような気がして、夏江は込み上げる涙を、懸命に堪えた。 「それじゃ、この辺で急ぎますので」  吃驚、また唖然として沈黙する主婦たちを置いて、夏江はさっさとベビーカーを押し、公園から立ち去った。  以後夏江は朋子を連れて、外へ出られるようにはなった。が同時に病的に、近所の噂を気にするようにもなってしまった。 「ねえ見た?雪川さんとこの、お嬢さんの顔」 「見た、見た!」 「お面じゃないわよね、あの顔?素顔なんでしょ?もう吃驚しちゃったわ、わたし」 「吃驚する位ならいいけど、わたしなんか恐かったわ。うちの息子、思わず泣き出しちゃって」  などと、今や町内は、朋子の顔の話題で持ち切りらしい……。そんな被害妄想に、夏江は取り憑かれた。  こうして雪川夫婦は常にビクビク緊張しながら、外出せねばならなかった。ふたりは世間の目との、孤独な闘いに疲弊し、憔悴した。
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