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(一・三)朋子の笑顔
一年が過ぎ、朋子は無事一歳を迎えた。おしゃべりも、歩くことも出来るようになり、発育は順調そのものだった。ただ顔だけは、ダダ化が進んでおり、万に一つも収まる気配はない。
「やっぱり、変わらないものね」
「そうだなあ」
健一郎たちの嘆きも、変わらなかった。
奥田病院の院長奥田菊子は、そんな二人を親身になって気に掛けてくれた。彼女の紹介で何軒か整形外科の病院を、朋子を連れて訪ねたりもした。しかし朋子の顔を見るなり、医師たちは、一様にかぶりを振って手術は困難、或いは手術しても、効果は期待できない旨の返答をするばかりだった。
「でもやっぱり、整形しかないのかな?」
「そうね。やっぱり、それしかないわよね」
病院から帰宅して、改めて朋子の寝顔を見つめる、健一郎と夏江のふたり。幾らダダ顔とは言っても、娘は娘。こうして一年間一緒に生きて来たが、一日として朋子の顔を見ない日はなかった。笑い声はすれど無表情なままのその顔も、今では可愛く思え、いとおしい位のふたりだった。
それだけに、朋子の将来を憂い、悲観した。どれだけ苦難の人生に、なるのだろう?どれ程の苦しみを、この子は受けなければならないのだろう?自分たちが身を挺して、守って上げられるなら、いいのだけれど。それも限界がある。このまま、この子に苦労をさせてよいのか?本当に茨の道を、歩ませていいのだろうか?
ふたりは悩んだ。
「ねえ、あなた。本当に朋子を育て上げる、自信ある?」
「そんな自信なんか、あるわけないだろ。でも育てる以外に、ないじゃないか」
「このまま大きくなって、自分の顔に気付いた時、この子やっぱり、わたしたちを恨むわよね?」
「ああ、そうだなあ。女の子だし」
「こんなに一生懸命に育てても、本人には恨まれるのね。わたしたちって、何なんだろ?やっぱり、朋子なんか産むんじゃなかった。産んじゃいけなかったのよ、わたしたち」
「それは、言わない約束だろ、夏江」
沈黙、ため息。幾日も幾夜も、気持ちをぶつけ合うふたりだった。
「そんなに言うのなら、夏江。もう、朋子を育てるの、止めようか」
「えっ?」
或る晩、仕事から帰宅した健一郎が、ぽつりと零した。近頃仕事のトラブル続きで、健一郎は疲労が蓄積し、気が滅入っていた。
「急にどうしたの、あなた」
夏江は、健一郎を見つめ返した。
「だから……」
「止められるものなら、止めたいわよ。でもどうやって?施設か何処かに、預けるつもり?預かってくれる所なんか、あるのかしら」
「そうじゃなくて、だから……。他の人に迷惑なんか、掛けられないだろ。それより」
「それより、何よ」
尋ねる夏江に、健一郎は面倒臭そうに、荒々しく答えた。
「だから三人。みんなで一緒に、死ぬんだよ」
えっ、死ぬ……。
夏江は余りにも吃驚して、ただじっと健一郎を、見つめるのみだった。
そんなバカなこと、言わないで。などと、健一郎はなじられるかと思ったが、意外にも夏江は穏やかに答えた。
「そうね。あなたがそう言うのなら、いいわよ。みんなで一緒に、死のう」
「えっ」
今度は健一郎の方が驚いて、夏江を見つめ返した。そのまま黙り込んだふたり。それからぽつりと、夏江。
「もう疲れちゃった、わたし。ね、そうしよう。その方が、朋子のためにも、絶対いいから」
「夏江」
唇を噛み締めながら、夏江はベッドの上の朋子を見つめた。
「ごめんね、朋ちゃん。もうパパもママも、限界なの。ふたりとも、これ以上頑張れないのよ。だから許してね、朋ちゃん。これからみんなで一緒に、天国へ行きましょう」
すやすやと眠る朋子の頬に、夏江の涙の滴がぽたっと零れ落ちた。すると吃驚したように、朋子が目を覚ました。
泣き出すのではないかと、夏江は身構えたが、予想に反して朋子は泣かなかった。それどころか、朋子は笑った。確かににこっと、笑みを浮かべたのである。それが健一郎と夏江には、天使の微笑みに見えた。そして朋子は嬉しそうに、健一郎と夏江の顔を見上げていたのである。
「あなた、朋ちゃんが笑ってる」
「ほんとだ」
死のう、という気持ちは吹っ飛び、健一郎と夏江はただ泣きながら、朋子の笑顔を見つめ返すのみであった。
ただしこの時、健一郎と夏江は決意する。もう子どもは、つくるまいと。でなければ、もしかしたら次の子も、朋子と同じ症状で生まれて来るかも知れない。否そうでなかったとしても、朋子という姉の存在によって、その子にも、いろいろと苦労をさせてしまうだろう。だったら始めから、産まない方が良い。子どもは朋子ひとりだけ、朋子だけを大事に育てよう。そう誓い合うふたりであった。
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