(二・一)幼年期

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(二・一)幼年期

 さて、物心ついてからの、朋子の話題に移ろう。  初めて朋子の顔を目にした者は、皆一様に驚き、ショックを受けた。しかし見慣れて来ると、そのショックは和らぎ、朋子という子の顔はそういうものなのだと、誰しも受け止められるようになるのだった。  事実、一家心中を回避した後、もう世間の目を気にするのは止めようと腹を括った夏江は、朋子を北品川公園に連れてゆくのを、日課とした。すると朋子の顔を日常的に目にするようになった近所の主婦たちは、段々と抵抗を感じなくなっていった。  それどころか「朋ちゃん、元気」などと気軽に話し掛けたり、手を振ったりするようにもなった。朋子は朋子で、例の朋子スマイルでみんなに応える。主婦連中は夏江とも、育児談議などするようにまでなったのである。  だから朋子の顔に慣れていない者だけが、気味悪がったり、白い目で見たりする。それだけのことなのだ。  ああ、良かった。  健一郎と夏江は安堵し、精神的にも余裕が出て来た。しかしその矢先、悲劇は起こった。  朋子が三歳を迎えた、五月の或る晩のことである。ひとりの人物が、朋子の顔に吃驚し、気味悪がった。そしてその人物とは誰あろう、当の朋子自身であったのである。  その時朋子は、夏江と入浴中だった。鏡に映った我が顔が、ふと朋子は気になった。 「どうしたの、朋ちゃん」  じっと黙ったまま、鏡の中の自分の顔と睨めっこする朋子を、湯船の中の夏江が呼んだ。しかしそれにも反応せず、しばらくそのままでいた朋子は、そして突然、大声で泣き出した。驚いた夏江は湯船から飛び出し、朋子をやさしく抱き締めた。 「朋子、どうしたの?なぜ、泣いてるの?」  ところがそれに対する朋子の答えに、夏江は愕然とした。 「お、ば、け」 「えっ」 「おばけが、いる」 「何処に」  風呂場を見回しても、そんな気配などない。すると首を傾げる夏江に、朋子は、鏡に映る自分の顔を指差したのである。 「ほら、おばけ!」 「と、朋ちゃん」  違う、それはあなたの顔なのよ。そう告げたかったが何も言えず、夏江は黙って、朋子を抱き締めるのみであった。  この時からである。朋子の顔から、無邪気な笑顔が、消えてしまったのは……。  四歳。朋子は自宅から一番近い、区立の品川坂之上幼稚園に通い始めた。入園前に、園長の園田一夫との面談を行った。園田は初めて見た朋子の顔にショックを受けたが、それを理由に入園を拒みはしなかった。ただ園児たちとの集団生活に適応出来るのか、園田はそれを心配した。  しかし朋子は健康面に問題はなく、かつ礼儀正しく大人しかった。泣き出したり大声で騒ぐこともなかったし、何より他人にやさしく、思いやりに満ちた子でもあった。顔のことが、どれ程影響していたかは定かではないが、いつしか朋子は、そのような大人びた子どもに成長していたのである。  夏江はその点を、園田にアピールした。朋子自身もしっかりした受け答えで、園田の不安を軽減させた。 「朋子さんは、幼稚園に入りたいですか?」 「はい」 「幼稚園に入ったら、何がしたいですか?」 「たくさん、お勉強がしたいです」 「お勉強以外では」 「お友達が、いっぱい欲しいです」 「朋子さん、そのために頑張れますか」 「わたし、がんばります」  朋子は元気に頷いた。  こうして、幼稚園生活がスタートした。  品川坂之上幼稚園は自宅から北品川公園を通り抜け、徒歩で十五分。夏江が一緒に歩いて、送迎した。  朋子は入園式の時から、既に注目を集めていた。式は何事もなく終わったが、翌日早速騒ぎが起こった。と言うのも園児たちが、朋子の顔を恐がったからである。  四歳児のクラスは五クラスあり、朋子のいる梅組は二十人いて、そのうち半分が女子。その全員が、朋子を恐がった。  当時の朋子は出っ張った両顎を、伸ばした髪で隠していた。黒髪故に、正にダダ顔である。しかしそれだけでは、幼児たちから恐怖を取り除くには不充分だったようである。  朋子を恐れる女子が逃げたり、泣き出したり。それに釣られて、他の子たちも騒ぐ。他の組にも影響が出る。恐がられることに心折れながらも、朋子は必死に耐えた。そしてお絵描き、工作、文字の読み書きなどに、黙々と励んだのだった。  朋子には芸術的才能があるらしく、他の子たちに比べ、絵、工作、音楽の楽器演奏や歌が上手かった。また運動神経も優れていて、体操の時間の飛び箱、鉄棒、縄跳びなど、器用にこなした。  しかしランチの後の休憩時間が、朋子にとっては一番憂鬱でならなかった。他の子どもたちは皆、誰かしら行動を共にしてくれるグループなりパートナーがいたが、朋子はいつも独りぼっち。朋子だけがポツンと、孤立していたからである。
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