(三・一)小学校

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(三・一)小学校

 さて小学校である。  朋子は自宅から歩いて十分の、公立品川白山小学校に入学した。幼稚園時代に引き続き、小学校では入学式の時からマスクを着用した。校長の坂下茂、担任の緒方光代と話し合って、そう決めたのである。  それでも矢張り朋子の顔は注目を集め、クラスの生徒は勿論のこと、学校全体にまで直ぐに知れ渡った。マスクでは隠せない赤く充血した大きな瞳、白い肌に広がるソバカス。それに大人用の白いマスク自体が目立った。当時はまだ風邪以外でマスクを掛けるなどという習慣はなかった時代であるから、無理もない。恐らくは、顔を隠す為なのだろう。では一体、あのマスクの下はどうなっているのか?誰もが好奇の目を向けずには、いられなかった。  一年生は九クラスあり、朋子は一年三組だった。一年生と二年生の二年間、同じクラス、同じ担任の先生と過ごす。担任の緒方は、朋子を特別扱いすることはなかった。それでも春、四月と五月。他の生徒たちも学校と勉学に慣れるのに精一杯だったせいか、朋子に関して特に表立った騒動は起きなかった。  夏が訪れ、学校はプール開きの時期を迎えた。プール詰まり水泳の授業である。さて、どうしよう。朋子の前に初の試練が訪れた。マスクをしたまま、プールに入るわけにはいかない。かと言って今更マスクは外せない。では見学するしかない、と言うことになる。他の生徒に不満が出なければ、という条件で、坂下校長は許可を与えた。実は密かにプールの授業を楽しみにしていた朋子だったが、ここでもぐっと堪えて受け入れた。 「雪川さんはお体の都合で、水泳の授業は見学です」  緒方は最初の水泳の授業が始まる前に、プールサイドで生徒たちに告げた。生徒の間から、特に疑問や不満の声は出なかった。みんな、恐らくマスクや顔に関する都合であるのだろうと、気を遣ったからである。しかしこれを機に、生徒たちの間で、朋子の顔が話題に上るようになった。  プールサイドでひとり見学する朋子のことを、プールの中でクラスメイトたちがひそひそ話し合う。 「二組の吉田さん、雪川さんと同じ幼稚園だったんだって」 「へえ、そうなんだ」 「幼稚園の最初の頃はまだ、雪川さんマスクしてなかったそうよ」 「じゃあ、顔知ってるのね、雪川さんの」 「うん。唇が凄く大きいんだって。だからみんな、恐がってたってよ」 「それで、あのマスクで隠してるのね」 「そうみたい」 「でもだからって、水泳休んじゃうのって変じゃない?」 「いいなあ。わたしだって、水泳の時間さぼりたいよう。だってこの水着、恰好悪いんだもん」  そんな生徒たちの声は勿論、直接朋子の耳には聴こえない。けれど陰口、あゝ自分のことを何か噂しているな、位は、プールサイドにいても、敏感に察知出来るものである。そして朋子の心は、少しずつ傷ついていった。  日を経る毎に、クラスメイトたちがどんどん仲良くなっていく中、朋子だけが孤立した。朋子に声を掛ける者は絶無で、朋子の方から話し掛ける勇気もなかった。昼食時はたとえ雨の日でも、校庭の隅でひとりぼっちで弁当を広げた。そして休憩時間も、ずっと独り。  一年が過ぎ、進級して二年生。朋子は八歳になった。そして冬、一九六七年一月のこと。TVに於いて既にウルトラマンの放映は始まっていたが、ダダ星人の登場する回が放映された。詰まり遂にダダ星人の顔が、日本中のお茶の間に流れた訳である。勿論、品川白山小学校の生徒たちも見た。  二年三組の子どもたちは、TVの前に釘付け。ブラウン管の中のダダ星人の顔を見つめながら、思うことは皆同じだった。  あっ、この星人、雪川さんに似てる!  子どもたちの事、人に仇名を付けたがるのは、いつの時代、何処の国でも同じである。ダダ星人が登場する以前の朋子は、クラスメイトたちから、陰で『化け物』と呼ばれていた。しかしダダ星人登場後、それは変わった。『ダダ』或いは『ダダ子』と呼ばれるようになり、同時に朋子へのからかいも、始まったのである。 「ダダ子ちゃん」  意地悪な男子がそう呼べば、他の子たちも釣られて笑う。辛い。何とも言えない辛さである。しかし朋子は、耐えるしかなかった。懸命に無視し、平静を装った。学校では堪え、家に帰って泣いた。もう学校になんか、行きたくない。そう思いながらも、必死で耐え、何とか春休みまで我慢した。
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