(四・一)中学校

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(四・一)中学校

 品川白山小学校を卒業した朋子は、同じく公立の品川出水中学校に入学した。通学は小学校より遠くなり、徒歩二十分掛かった。しかし人にじろじろ顔を見られるのが嫌だった朋子は、電車やバスよりは遥かにましであると喜んで、雨の日も風の日もてくてくと歩いて通ったのだった。自転車通学しなかったのは、タイヤをパンクさせられる等の悪戯を恐れたからである。  朋子は一年十三組。小学校同様、マスクを着用しての中学校生活だった。中学生といえば制服に身を包み、男子など体格的には既に大人に匹敵する生徒もいる。黒い詰め襟の数人に取り囲まれれば、成人でも恐怖を覚えてしまうであろう。  そんな連中によって、入学早々から朋子を標的としたいじめが始まった。中心人物は三浦幸助という男子生徒であった。 「ダダ子ちゃーん、ボーイフレンドいるの?いないんだったら、俺と付き合ってよ」 「ばーか、いるに決まってんだろ。ダダ星のプリンセス様だぞ。お前なんか、眼中にないってよ」  教室の席順は姓名の五十音順で、朋子の座席は窓側の後ろから二番目。休み時間になる度、そこへ幸助が仲間を引き連れやって来ては、朋子をからかった。まだ学校にもクラスにも不慣れな他の生徒たちは、どうして良いか分からず、皆で見て見ぬ振り。お陰で幸助たちは、やりたい放題であった。  他のクラスの生徒たちもひと目朋子を見ようと、これまた休み時間になる度、十三組の教室前の廊下に押し寄せて来た。黒山の人だかりである。その観衆を前に、幸助たちのからかいはエスカレートするばかり。 「ダダ子ちゃん、ダダ星人もパンティはくの?今日のダダ子ちゃんのパンティは、何色かしら。ちょっと見せてえ」  幸助が朋子のスカートをめくろうとする。必死に抵抗する朋子は涙目。恥ずかしさ、そして恐怖の余り「止めて」の声も出ない。「助けて」と叫んだ所で、誰も助けてくれないのは分かっている。  が、ひとり、見るに見かねて立ち上がった男子がいた。学級委員の風間時夫である。 「ねえ、きみたち。もうそれ位で止めようよ。相手は女の子なんだし」 「女の子だと」  一瞬驚いたものの、幸助たちは直ぐに反撃。風間少年を巻き込んだ朋子への意地悪は、ヒートアップするばかりだった。 「あーら、風間ちゃん、素敵。もしかして、雪川さんに惚れてんのね。やだーーっ!ぼくちゃん、妬けちゃう。口惜しい」  風間君は顔をまっ赤にして、かぶりを振った。 「そんなんじゃないけど。きみたちがあんまり……」 「今更照れんなよ、学級委員」 「ほら、もっとくっ付いて、御両人。もっとくっ付け、こいつ」 「ヒューヒュー、我等一年十三組、最強のカップル誕生」  無理矢理風間君と朋子の体をくっ付け、はしゃぎ回る悪餓鬼ども。 「止めてくれよ、止めろってば」 「何今更、恥ずかしがってんだよ、風間。ダダ子のこと、好きなら好きでいいじゃんか。照れんなよ、色男」 「そうだ、そうだ。今ここで告白しちまえ、風間選手」 「だから、違うってば」  哀れ、真面目な風間君はとうとう涙目。朋子を救うのを諦め、朋子から離れて行った。これで朋子を助ける生徒は、誰一人いなくなった。  昼休み、朋子は小学校同様、校庭の隅でひとりで弁当を食べていた。が幸助たちは、そこへも押し寄せた。マスクを顎まで下ろして、御飯を頬張る朋子の素顔を目撃した悪童たちは、もう大騒ぎ。 「まじでダダじゃん。洒落になんねえ」 「俺、まじでこええ」 「雪川、マスク邪魔だろ。俺が取ってやるよ」  幸助は速攻で朋子の耳に手を伸ばし、マスクを剥ぎ取ってしまった。 「いや、止めて」  涙ながらに朋子は抵抗したが、その際弁当を落とした。ご飯とおかずが全て、地面に落ちてしまった。 「返してやれよ、幸助」  流石の悪ガキどもも、余りの惨めさに朋子に同情した。 「分かったよ。そんなに欲しけりゃ、返してやるよ」  弁当の中身が飛び散った地面に朋子のマスクを投げつけると、幸助たちは一目散に逃げていった。  朋子は急いでマスクを掛け直したが、何人もの生徒が、朋子の素顔を目撃した。朋子は涙を堪えながら、散らばった弁当を黙って片付けるしかなかった。  その後も幸助たちのいじめは、エスカレートしていった。教室の中でも隙あらばマスクを剥がし、朋子を晒し者にした。朋子は懸命に奪われたマスクを取り返すのだが、その間ずっとクラスのみんなに素顔を見られた。朋子は恥ずかしさと惨めさとで、いっぱいになった。しかし幸助たちを咎める者も、教師にいじめを報告する者もいなかった。朋子が自分自身で訴えるしかなかったのだが、朋子にそんな勇気はなく、泣き寝入りするしかなかった。  消えてなくなりたい、今すぐにでも。この四角いジャングルでしかない、教室から。逃げ出したい、死んでしまいたい……。  そんな痛々しい思いを胸に秘めながら、朋子はじっと、教室の片隅で耐え忍んだ。死にたいと真剣に思うようになったのは、まだ短い人生の中で、これが初めてのことだった。死にたい、と言うか、完全なる自己の否定。自分など、生まれて来なければ、よかったのだ。一日も早く、消え去りたい、と。
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