彼と私

1/9
前へ
/109ページ
次へ

彼と私

机の荷物を根こそぎダンボールに詰めて、宅配伝票を貼る。伝票の宛先は実家の近くにある、支店。人事異動で決まった、私の新しい勤務先だ。今いる支店からは少し遠くなるし、契約しているアパートから通うよりも実家から通った方が近いので、思い切ってアパートも引き払うことにした。そんな風に仕向けたのは、他でもない、私の〝元カレ〟だった。 「今里(いまざと)さん、準備、終わった?」 つい先日まで〝琴音〟と呼び捨てにしていたくせに、別れてからは2人きりの時もわざとらしく苗字で呼んでくる。そんな姿を痛々しいとは思ったが、腹は立たなかった。多分、元々、彼にそんなに興味が無かったんだと思う。 「はい、あとはこの荷物を宅配に出せば終わりです」 「そっか。今までありがとうね。あっちでも頑張って」 何だかわざとらしい言葉に、私は満面の笑みで頷いてあげた。 別に信用金庫の人事異動なんて珍しいことでは無い。みんな色々な支店を回るのは当たり前のことだ。しかし今回は少し訳が違った。私はこの支店に来て、まだ1年しか経っていない。よっぽどのことがない限り、こんなに短時間で移動にならないのだ。 そしてその〝よっぽどの理由〟を作り出したのが、支店長であり私の元カレでもある、横溝(よこみぞ)さんだった。きっと私と別れた彼が、同じ支店にいるのを嫌って移動を仕向けたんだろう。 バツイチで少し歳上の横溝さんは、何だか大人の男に思えた。ちゃんと役職もあるし、仕事だって出来て優しい。タバコを吸うところはあんまり好きになれなかったけど、それでも素敵な人だと感じた。だから付き合って欲しいと言われた時は嬉しかったし、今度こそ、大雅より好きになれると思ってたのに。しかし現実はそう簡単にいかなくて、私はまた不毛な恋愛を繰り返し、支店を移動させられるというオマケまでもらってしまった。 送別会の時も、最後に移動の挨拶をして花束を貰った時も、もはや何も感じなかった。張り付いたような笑顔を作って、感情を殺した。こんな風に感情を殺すのが上手くなったのは、きっとあの十六歳の夏からだったと思う。 優亜は大雅と別れる時、何か痛みを感じたのだろうか。 引越しの準備をしながら、ふとそんなことを考える。2人は1年ちょっと付き合ってから、ある日突然、二年生の夏休みに別れてしまった。理由はよく分からないし、聞ける状態でも無かった。少なくとも私には順調な交際に見えたので、別れた時は酷く驚いた。
/109ページ

最初のコメントを投稿しよう!

476人が本棚に入れています
本棚に追加