Love letter

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Love letter

『岸野さん。 僕にとってあなたは誰よりも 大切な人です。 驚かないで欲しいのですが、 ひとたびあなたのことを思えば、 心から幸せになって欲しいと 思わず、涙が出てしまうのです。 あなたは、 不器用なくらい人に優しい人だから、 たくさんの人を幸せにする人だから、 これからも無条件で好きでいられるのです。 あなたと、同じ時代に生まれて良かった。 いつかあなたに、会いたい。 それまで僕の周りにいる人の笑顔のために、 一生懸命頑張ると誓うから。 ただあなたに、会いたい。会いたいのです』 個人的に主催する交流会なるものを、 初めて、9月に開催することになった。 芸能人の名で人を呼ぶことは珍しくないが、 個人的に繋がった多数の人たちと会う事は、 自分のスケジュールと会場の調整がうまく 行かず、数年経った今に至ってしまった。 周知は、ホームページで行った。 対象者ひとりひとりに手紙等を送って、 会の開催を連絡するべきだったのかも 知れないが、こちらが把握している、 100人を超す人たちに連絡をするのは、 過大な労力がかかるため、 こういう形を取らせてもらった。 たまたまホームページを見た非対象者を お断りするために、周知には次のような 注意書きを施した。 『対象は過去、岸野葵あてに手紙を送り、 何かしらの返事が返ってきた方』 顔がわからない人も多くいるので、 関わったことのある人の証拠として、 僕から受け取った手紙または携帯の 着信履歴や受信メール等を持参する ことも明記した。 交流会は、 9月24日土曜日17時開始とした。 当日、対象者全員が来ると仮定して、 準備に追われる日々が始まった。 ホームページに周知を載せた直後から、 『対象でなくて、残念です』 『私は対象なので、必ず伺います』等、 コメントが多く寄せられた。 その中に、気になるコメントがあった。 『3年前に関わった者です。岸野さんに お伝えしたいことがあるので、後ほど メールします。メアドが変わってなければ いいのですが』 今回交流会を行おうと思った理由は、 3年前に手紙を送ってくれた男性と 会うチャンスを作るためだった。 もしかしてその人か?と期待した。 その彼には、一度だけメールしたが、 送った挨拶のメールは、 彼で止まってしまい、 こちらから再度送るまでもないと そのままにしていた。 とはいえ、 彼の手紙は常に読み返せるように、 3年経った今でも、手帳に挟んだままだ。 彼の紡ぎ出す文章の圧倒的な魅力に、 惹きつけられた。 技巧に走るのではなく、 気持ちが優しい人しか書けない文体に、 心を動かされた。 何度も読み返して、次第に 彼に会いたいと思うようになった。 顔も年齢も住所もわからないというのに、 いつもそばで見守って貰っている、 そんな気がしていた。 その日の夜。 彼からスマホに、メールが届いた。 『岸野さんへ。ご無沙汰しております。 せっかくメールをいただいていたのに、 当時は返信できず申し訳ありませんでした。 驚きのあまり、 どう返信すればいいかわかりませんでした。 今回イベントを開催するとのことで、 対象者の私も楽しみにしております。 当日は、勇気を出して 岸野さんに声をかけたいと思います』 彼の心境の変化を感じて、心が躍った。 初めての出逢いの日を、待ち侘びた。 9月24日。 16時から受付を始める予定だったが、 15時過ぎには会場となる東京・飯田橋の 某ホテルに、対象者と思われる人が集まり、 前倒しで開場することにした。 会場の入口で名札を渡し、名前を書いて もらっているのをモニターで確認した。 16時にいったん受付を終了し、 会場裏の控え室でジュースを飲みながら、 参加する方の名簿を見せてもらった。 参加者は、現時点で82名。 対応できる、ちょうどいい人数だった。 気になる彼の名前は、ちゃんとあった。 右肩上がりの筆跡を指でなぞり、 彼に逢えたら、何と声をかけようか。 そもそも彼はどんな姿で、どんな声を しているのだろうかと思いを馳せた。 開始予定時刻まであと30分あったが、 もういい頃合だと思い、舞台に上がった。 簡単な挨拶をして、壇上から降りた僕は、 待っていた参加者に取り囲まれた。 会費を徴収する立食パーティーにしたが、 最初の1時間は求められるまま、 サインや握手をしていた。 彼は、どこにいるのだろう? 積極的に参加者に対応してはいたが、 そのことばかり気になっていた。 やがて、少しずつ人の流れが落ち着き、 話しかけてくる人が少なくなった頃。 不意に視線を感じて、そちらを見た。 色素の薄い髪と瞳、長身で細身。 僕と同じくらいの年齢の男性が、 数メートル先で優しく静かに微笑んでいた。 瞬時に、彼だと思った。 迷わず歩みを進めて、男性の前に立った。 「岸野さん、初めまして」 少しハスキーな声が、耳元をくすぐった。 そして近づいてわかった、 全身をまとう、匂い立つような色気。 意外な彼の正体に、目が眩んだ。 「川瀬由貴さん、ですか」 震える声で彼の名前を呼ぶと、 彼は小さくうなずいた。 「「お逢いしたかったです」」 僕が口にした言葉と、彼の言葉が重なった。 彼は驚いた様子で、 「岸野さんに、そんな風に言われるとは」 と言った。 僕は微笑み、手を差し出した。 「手紙、ありがとうございました」 彼に時間をかけてでも、伝えたかった。 彼の存在が励みで、孤独に陥りがちな 自分にとっての希望だった。 彼の手を握りながら、 彼というたった1人に出逢うために、 今まで多くの出逢いを重ねてきたんだと 思った。 「話せる時間、終わった後にありますか?」 興奮を隠せず、彼に問いかけた。 「もちろんです」 笑顔の彼の反応に、ホッとした。 「じゃあ、後でメールします」 「はい。お待ちしてます」 僕は再び人々の輪に戻り、彼から離れた。 逢いたかった彼と逢えたことで、 高揚感に包まれていた。 更に2時間経ち、会はお開きになった。 19時半過ぎ、帰る準備を整え、 彼にメールすると、すぐに返信が来た。 『どこでお待ちすればいいですか?』 『ホテルのフロントのある3階で 待っててください。迎えに行きます』 黒のジャケットを羽織り、 彼の待つ3階に向かった。 フロントの前に着くと、彼が待っていた。 「お待たせしました」 「いえ、大丈夫です」 「川瀬さんは、どちらからお越しですか?」 「赤羽です」 「都内住みだったんですね。 少し遅くなっても大丈夫ですか」 「もちろんです」 「会場で、ちゃんと食べられました?」 「いえ、実はあまり」 「すみません。料理、足りなかったかな。 もし良ければ、軽く食事でも」 「はい。ぜひ、お願いします」 1階のタクシー乗り場まで、並んで歩いた。 新宿方面へ向かうタクシーの後部座席で、 店を予約するため、スマホを取り出した。 「何が食べたいですか?」 隣に座る彼にそう訊くと、 「何でも大丈夫ですが、ゆっくりお話し できれば嬉しいですね」 と返事が返ってきた。 「そうですね、じゃあ僕がたまに行く 個室の居酒屋、予約します」 「はい、よろしくお願いします」 こうして彼と並んで座っていると、 嫌でも意識せざるを得なかった。 手紙の文面は、空でも言えるくらい 覚えてしまっていた。 あれは絶対に、Love letterだと思った。 ファンレターはたくさんいただくが、 男性からあんなにストレートに好意を 示されたのは、初めてだった。 ちらっと横目で、彼を見た。 一瞬で目を引く外見を持つ彼に、 僕は惹かれずにはいられなかった。 このルックスに、 手紙のような繊細な感性を持っていたら、 絶対にモテるだろうなあ。 「岸野さん、どうしました?」 こちらに気づき微笑んだ彼に、訊いた。 「川瀬さんは、結婚してますか?」 「最近、恋人と別れました」 「そうですか」 僕が彼女だったら、死んでも彼を離さない。 と彼の言葉を聞いて、物騒なことを思った。 「僕は、岸野さんより3歳年上です」 「え?そうなんですか。若く見えてました」 「よく言われます」 「誕生日は、いつですか?」 「明日です」 「え、明日?」 「そうなんです。いい誕生日プレゼントを いただいた気分です」 「じゃあ、今日はお祝いしましょう」 「ありがとうございます。お気持ちだけで」 このタイミングで逢えたと喜んでいるのは、 僕も同じだった。 ここ数年自分の誕生日は、 仕事で地方にいたり、誰とも予定が合わず、 1人でいたりすることが多かった。 たかが誕生日といえばそうだが、 お祝いできるならした方がいいと 最近は思うようになった。 新宿駅東口でタクシーを降り、 路地裏の居酒屋まで彼を先導しながら歩く。 「明日は、お仕事お休みですか?」 「はい休みです」 「とりあえず、川瀬さんの電車の時間で、 帰りましょう。遠慮なく言ってください」 居酒屋のドアを開け、彼を先に入らせた。 時刻は、20時になるところだった。 ジャケットを脱ぎ、襖を開けた彼が、 曖昧に微笑みながら、その場に立ち尽くして いるのを見て、声をかけた。 「川瀬さん、どうしました?」 「いえ。こういう席とは想定してなくて」 一歩前に出て、襖の向こう側を覗いた。 「確かに、これはひきますね」 たまに来ていたとはいえ、 居酒屋の空き状況だけで予約した。 壁に向かって掘り炬燵。2つの席が 横並びにコンパクトに並んでいた。 まさか個室のカップルシートに、 案内されるとは。 「席、変えてもらいます?」 「土曜日ですし、たぶん無理でしょう。 とりあえず、座りますか」 彼が座ったのを見て、僕も座った。 「何だか、すみません」 「岸野さんのせいでは、ないですよ? ただ、ちょっと驚きました」 「ええ。でも、意外と広く感じません?」 「ですね。息がかかるくらいの距離では、 ありますけど」 彼の言葉に、思わずドキっとした。 息がかかるようなことは、絶対にない。 たぶん。 意識している相手の、何の気無しの言葉に 過剰に反応してしまった。 「お酒あまり強くないので。岸野さんは?」 僕の内心を知らず、彼はメニューを見ながら 微笑みかけてきた。 「昔よりは、呑めるようになりましたね」 「そうなんですね、お互い、自分のペースで 呑みましょう」 彼はカシスオレンジ、僕は中ジョッキを 頼んだ。 「乾杯」 それぞれの酒が手元に来て、乾杯をした。 つまみを食べ、3杯目のビールを呑み、 彼の話を聞き続けていた。 茨城出身で、リアルな人間関係を築くより 小説という架空の世界に深く心頭し、 コピーライターをしていたこと。 東日本大震災で、東京の会社に 勤務していたにも関わらず、 倒産による失業の憂き目にあったこと。 結婚しようとは、一度も思わなかったこと。 「意外ですね。川瀬さん、ご縁がありそう なのに」 「男性とは、結婚できないので」 「男性?え?じゃあ別れた恋人って」 彼は1杯目のカシスオレンジを 持て余しながら、うなずいた。 「僕は、男性しか好きにならないです」 「なるほど‥‥」 それを聞いて、 ますます彼を意識してしまった。 「岸野さん」 テーブルの上。 彼の右手が、僕の無防備な左手に重なった。 「は、はい」 「もしかして、僕のこと意識してます?」 バレた。 「はい、まあ。そうですね‥‥」 ぎこちなく微笑んだ僕は、次の瞬間、 ほんのり頬を染めた彼の言葉で、赤面した。 「Love letter、書いた甲斐があった」 「やっぱり‥‥」 「気づいてくれてたんですね。 あれは、ストレートな僕の思いです」 「川瀬さんの手紙で、僕は何度も救われ ました。励みにして頑張れましたし、 孤独に陥りがちな芸能界でも、前向きに 生きてこられた」 「嬉しいです。岸野さんに、僕は影響を 与えることができていたんですね」 息がかかるくらいの、至近距離。 見つめ合ったまま、目が逸らせなくなった。 彼の艶やかな唇が、動いた。 「僕は、岸野さんが好きです」 既に彼に恋心を抱き始めていた僕が、 自分が芸能人だから、彼が男性だから という理由で彼の告白を拒絶する訳がなく。 気づいたら、彼を抱きしめていた。 息がかかるどころか、 息が止まりそうなくらいの動揺と 戦いながら、僕の腕の中の彼に囁いた。 「‥‥僕も、川瀬さんが好きです」 「岸野さん‥‥」 顔を上げた彼が甘く切ない声で、 僕の名前を呼んだ。 それが、次の展開に進む合図だった。 彼からのLove letterがきっかけで、 僕は唯一無二の存在を意識した。 今日彼に出逢って、それが確信に変わった。 ずっと一緒に、歩んでいこう。 健やかなる時も、病める時も。
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