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六
誰にも見送られず、美しい空も月からも目を逸らして。
蝉のようにこのまま命が尽きたらどうしようと思いながら眠ったけれど、朝は何食わぬ顔でいつものように私の元にやって来た。
鳥の声に目を覚まして顔を上げると、冬月が朝餉の準備をしている。
「冬月、おはよう」
「翠蘭様、おはようございます。目がパンパンに腫れてますがどうかなさいましたか?」
「……別にどうもしないわ。今日は陶妃の秋明殿にご挨拶に行く」
「はい、分かりました。それでは準備しますから、どうぞ召し上がっていてください」
後宮を出たら、こんな温かくて美味しい食事はしばらく頂けないかもしれない。そもそもどこに行って暮らせばいいのかも分からない。
私は粥を口に入れ、昔のことを思い出していた。
父はこの国の官吏だった。
北方の治水工事に出向いた時に川の氾濫に遭い、帰らぬ人となった。その後、母も父を追うようにして病で亡くなった。
私はその時、まだ十二歳だった。
前皇帝陛下の妹君が私を引き取ってくれて、皇宮で令賢と共に育った。継母と慕った公主様は既に隣国へ嫁ぎ、私は令賢の妃としてここに残された。
母の実家も既になく、父の家は叔父が継いでいるから戻れない。
「後宮を出たら、この国に縁はないもんね。船に乗ってどこかに旅したいわ」
実は、生まれてから一度も海というものを見たことがない。
父の命を奪った川が行きつくという、海を見てみたい。
(今日、陶妃との話が終わったら、令賢に後宮を出たいと言うわ)
きっと令賢なら許してくれる。
これまでだって、「俺の妻になるのは可哀そうだ」という理由で次々と妃たちを自由にしてきた人なのだ。
私は着替えを済ませ、秋明殿に向かった。
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