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「陶妃様。喬翠蘭(きょう すいらん)がご挨拶を致します」 「……翠蘭。元気そうね」  他の妃たちと違って、陶妃は私の話をきちんと聞いてくれそうだ。  私は侍女が用意してくれた椅子に腰をかけ、陶妃様に向かって姿勢を正した。 「身体の調子が悪いのだと思っていたわ」 「ご挨拶にも伺わず申し訳ありませんでした。実は陶妃様に折り入ってお話があって参りました」 「……何かしら」 「実は私、皇帝陛下に後宮を出たいと申し上げるつもりです」 (――ガシャン)  陶妃の侍女が私の言葉に驚いたのか、衝立の向こうで茶碗が落ちて割れる音が聞こえた。 「陶妃様! どなたかがお茶を落とされて……」 「だ、だだ、大丈夫よ。それにしても、なぜ急に? 後宮を出るだなんていけないわ」 「いいえ、私はもう決めたのです。それで今日のお願いと言うのは、皇帝陛下のことです」 「陛下の……何?」  陶妃の目は、あちらこちらに泳ぎまくっている。  やはり、何か後ろめたいことでもあるようだ。 「皇帝陛下にはご兄弟もいらっしゃいません。即位から二年、未だに跡継ぎもおられません」 「そうね。大変だわ。緊急事態よ」 「ですから、一刻も早く跡継ぎを」 「翠蘭の言う通りよ。すぐにでも頑張って」 「……ええっとですね。なので、他の数十名の妃たちの元に、皇帝陛下がお通いになるのをお許し頂きたく……」 「何を言ってるの? 許さないわよ!」  陶妃は金切り声を上げて立ち上がる。 「陶妃様もお辛いお立場かと存じます。ですが二年も経って子の一人もおらぬとは、周辺諸国に対する示しもつきません。後宮妃が力を合わせて陛下をお支えする時では?」 「ちょっと待ちなさい、翠蘭。後宮妃でしょう?」 「……いいえ、私は後宮を出るつもりで」 「駄目よ!」  もう一度陶妃が金切り声を上げ、私を悲しそうな目で見つめた。陶妃と私は見つめ合ったまま沈黙する。  静まり返った(へや)の中に、蝉の鳴き声だけがカナカナと響き渡った。 「……陶妃。もういいよ」  沈黙を破ったのは、その場にいるはずのないあの男の声だった。私をじっと見ていた陶妃は肩の力が抜けたのか、フラフラともう一度椅子に倒れ込むようにして座る。  衝立の後ろから人影が現れ、私に向かって顔を上げた。 「令賢(れいけん)……じゃなくて、皇帝陛下」
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