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この世に創出され、初めて骸を取り込んだのはいつだったか。はるか遠い過去の記憶は、霞む深淵の奥底に沈澱する汚泥に埋もれ、引き出すことが困難だった。その記憶の輪郭は時間と共に朧げに崩れ、わずかな残滓となって久しい。
思念に染まるという自覚があったのは、この迷宮を創造し、そしてこの生物を創り給うた主人の骸を取り込んだときに発生した。もしかすると主人の残留思念に自我と身体を支配されたのかも知れない。しかし、思念の味を識別するようになったきっかけであったことは、記憶として刻まれていた。
染み込み、己が裡へしまい込んだ思念を呼び起こすと、かつてその魂の器であった姿へと変貌を遂げることがあった。それは思念の強さによって再現度が異なった。肉体的な強さではなく、強い思念ほど、再現する姿の正確さを増す。叡智の塊は、様々な思念に自身を染め上げ、変貌する姿と、その生き死にまでの軌跡を辿り、識れば識るほど奥深く入り組んだ思念の複雑な構造を理解し、わき上がる感情の推移を愉しんだ。
あるとき、死に至るその瞬間までも『絶望』を抱かなかった思念を取り込んだ。叡智の塊も初めて味わうそれは、自身の意識を昂らせ、激しい動揺と高揚を同時に齎していた。
のちに続く次の世代への礎となるために、甘んじて死を受け入れる。生きることに絶望して自ら死の淵へ堕ちていく思念は、これまで何度も味わい、記憶に残っていた。
しかし、この、未来への希望を確信し、そして死を受け入れた魂は、これまで自身を染めたどの思念とも違う。異質とはいえ、不快ではない。呵責も、自責も一切ない、死への渇望もない、ただただ眩しく輝くように穢れのない、歓喜にも似た死への門出。
その不思議なほど柔らかい温もりに、叡智の塊のなにかが高鳴り、歓喜に身を震わせた。
叡智の塊自身には、死という概念は縁遠いものであった。とはいえ、迷宮の侵入者や魔物の気まぐれや悪戯によって、その身はいとも容易く滅せられる。
だが、刻を経ずその身は迷宮のどこかで再生される。そのため、死という概念は取り込んだ思念の持つ記憶や感情から想像するしかなかった。だが、それらも死後の記憶を刻んだものではあるはずもなく、叡智の塊は、生と死とはなにか、その命題の答えを探し求めるようになっていた。
自身の再生の際に、ほとんどの記憶は保持されているが、遥か昔の記憶は徐々に霞み、定かではなくなってしまうことがある。それを繰り返して行けば、やがて全ての記憶が消え失せる可能性がある、叡智の塊はそんな仮説を立てて見た。
『記憶の全ての喪失が、己が身の終焉なのだろうか』
『自我や自己を失ったとき、それが己の死と呼べるのだろうか』
しかしながら、再生したのちに得る記憶は確実に次の生へと受け継がれるため、自身には完全なる記憶の喪失は起こり得ぬことだ、と気づく。
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