出立

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出立

 迷宮の外へ出た。外界を自身で知覚するのは初めてのことだったが、幾つもの記憶が語る様子で見知っていた。そのはずだったが、実際に感覚として捉えた外の世界は、色彩の氾濫ともいえるほどの情報量として心の裡へと流れ込んで来る。  薄く漂う霧の色。  樹々の色。  下生えの草と地面の色。  薄暗さはあまり変わりはないが、石造りの灰色の迷宮にはなかった、様々な色が、その身へと染み渡って行く。骸を喰らうときとは全く異なる、幾つもの感情がわき上がり、それらは心を様々な方向へと激しく揺さぶり回していた。なんとか目にした情報を整理しようとするが、水面を叩きつけた波紋が、ほとばしる感情の渦に飲み込まれる心が、思考を途切れさせる。  魂から得た理性に刻まれた知識。その中には色彩の知識もあった。それに喰らった骸や、迷宮に中で目にする魔物や侵入者たちにも確かに色はついていた。  だが、迷宮の外の世界、実際に本物を目にすることで得たものが、こんなにも心昂らせ、様々な感情を喚起するほどの情報量に溢れているとは想像すらしていなかった。あまりにも圧倒的な差があったのだ。今まで自分の裡を染めて来た知識が、あまりにも矮小だったことに気づき、叡智の塊はその驕りに恥いる。 『お主は今、感動の渦中におる。識ると見る、これが如何に次元の違うことだったのかを、お主の心の裡から伝わって来る。しかして、我々はお主のように世界を感動の目で見る機会はそう多くはなかった。お主を通して我らは貴重な体験ができた。お主の謙虚な心が、我らに未知の感情を与えてくれたのだ』  叡智の塊は、世には未だ識りえないことが多数在ることに思い至り、それを気づかせてくれた幾多の魂たちに敬意を捧げた。  語りかけて来た壮年の男の記憶に身を染める。  にわかに自身の姿が変わって行き、生前と違わぬ壮年の男に変化した。その記憶から、この男の弟子の逗留しているであろう街の位置を引き出す。  ひとまずは、森から出ることが目標だ。叡智の塊は、その一歩を、力強く踏み出した。
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