あなたに恋してるから

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 高校一年生の僕は、いじめられていた。  そのきっかけは、クラスの女子の財布が僕のカバンの中に入っていたことが原因だった。クラスに仲の良い友達もいなかったので、落ちているのを拾って後で届けようとしたなどという言葉を誰も信じてはくれなかった。     授業に間に合いそうになかったから、放課後届ければ良いか。などと安易に考えていたその日の朝の自分を僕はもう何度恨んだことだろう。  早く一日が終われとどんなに願っても、時の進みは変わらない。  今日も長かった授業を終えて、僕はいつもの道を帰る。楽しそうに友人たちと話しながら帰る人々の姿が、僕の胸を少しだけ締めつけた。中学の時は話しかけてくれる人がいて、なんとなく友達が出来ていたのに高校はそうはいかなかった。  「友達、作っておけば良かったかな…」  自宅の最寄り駅に着くと、ちょうど五時のチャイムが鳴った。昔は何も考えなくても友達も出来たし、楽しい日々を送れていた。五時のチャイムがなったら「またね」と言って家に帰る。あの時の日常はどこに行ってしまったのだろうか。  僕は家に向かう途中の細い道に入ると思わずしゃがみ込んだ。足が鉛のように重かった。もう、家に帰るだけなのにそれすらもしんどい。父は僕が小さい頃に亡くなって、今は母子家庭なので家に帰ってもどうせまた一人だ。  僕の世界は真っ暗だった。  しばらくその場にしゃがんでいると、後ろから「大丈夫?」という声が聞こえた。それはとても綺麗な女の人だった。  「あなた、高校生よね?こんな所でどうしたの?気分悪い?」  そう言い彼女はしゃがみ込んだ。  僕は久しぶりに人に優しくされたのが嬉しくて思わず泣いてしまった。彼女は何も言わずにハンカチを差し出して、僕の背中をさすってくれた。  僕が泣き止むと、彼女は「じゃあ、気をつけて帰ってね」と言い、その場を去ろうとした。  「待って!!!」  僕は溢れる気持ちを抑えられなかった。  「あの、もう少しだけ、一緒にいてもらえませんか…?」  彼女は少し困った顔をしたあと、「少しだけね」と言い、近くのカフェに連れてってくれた。  そこで僕は初めて人に、自分の学校生活の話をした。彼女は時々相槌を打つだけで、何も言わなかった。でも、ただそれだけなのに、すごく暖かくて安心した。  「ごめんね、私良いアドバイスも何も出来なくて」  その日の帰り道、彼女は申し訳なさそうにそう言った。  「そんなことないです。僕はあなたに話すことで救われました。なので、その、また、話聞いてもらっても良いですか…?」  僕がそう言うと、彼女はまた困ったような顔をして「ええ」と言った。  それから僕らは月に何回か、木曜日の夕方に会っていた。木曜日は僕は授業が早く終わる日で、彼女は習い事のヨガの帰りの時間だった。  駅に着いて、五時のチャイムが鳴ると彼女はいつも現れる。この数週間に一度の数時間が今の僕にとって人生で一番幸せな一時だった。 「お姉さんは何のお仕事をしてるんですか?」 「雨音(あまね)でいいわよ。私は小さな会社でOLをしてるの。木曜休みなんておかしな会社よね」 「そうですね。でも、そのおかげで僕らはこうして出会えてるので僕は嬉しいです」 「そう。なら、良かったのかも。ところで、(おさむ)くんはそろそろテスト期間?」 「はい、そうなんです。今回英語がすごく難しいんですよ」  そんなことを繰り返すうちに、僕は雨音に惚れていた。決して、母のような存在が恋しかったとか、優しくしてくれたから勘違いしたとかそんな理由じゃない。  彼女は僕を初めて対等な同じ人間として話してくれた人だった。彼女は会話を交わせば交わすほど、魅力的な人だった。僕は高校二年生になる少し前、雨音に告白をした。 「雨音さん、僕、雨音さんのことが好きなんです。僕と付き合ってくれませんか?」  雨音は頬を赤らめた後、深く頭を下げた。 「ごめん。それはできない」 「どうして?」と僕が聞くと彼女はまた困ったような表情をして言った。 「私、もうすぐ四十になるの。私にとってあなたはただの男の子よ。それに、高校生と付き合うなんて周りになんて言われるか、あなただってわかってるんでしょ?」 「わかるよ。わかってるけど、じゃあ僕のこと嫌いなんですか…?」 「そんなわけない!修くんが大好きだから、大好きだからあなたには同じ年代の子と幸せになって欲しいの」 「じゃあもし、もしも僕が雨音さんと同じ年だったら、僕の告白に答えてくれましたか?」 「うん。もちろん。私が高校生だったらね。一緒に登校して、テスト前には教室で二人きりで勉強して、帰りは寄り道しながら帰る。そんな生活を送ってたと思う。私、高校生だったら良かったのに…」 「僕が大人じゃなくて?」 「うん。私が高校生。私ね、そういうのが夢だったの。学生時代って一瞬なんだよ?あの時は当たり前だった通学路とか教室とかそういう空間が今は酷く恋しい。学生の時がすごくつまらなかったとか、そういうわけじゃないんだけどね。教室に入って、好きな男の子と目が合って、文化祭とか修学旅行何する?どこ回る?とかそういうの、修くんと一緒に話したかったな。同じ校章の入った制服を着て、毎日を精一杯生きる。修くんが同じ高校にいたら私、誰よりも幸せな高校生だったと思う」  そう言う雨音の目には涙が光っていた。 「もし、僕たちが同じ年に生まれていたらそういうの、叶ってたのかな」 「きっとね。私たちの年が離れていなければ、私たちは一緒に青春を生きられたのかもしれない。君と一緒に高校時代を生きたかったな…」  雨音の目からは一粒の滴がこぼれ落ちた。それに釣られて僕も泣いた。もし、本当に雨音が同じ学校だったら、僕には味方がいたのだろうか。たった一人味方がいるだけで、きっと僕の高校生活はこんなに苦しいものにはならなかったのだろう。     いくら願っても決して叶うことのない願いだとわかっているからこそ、余計に辛くてどうしようもない気持ちに襲われた。  僕らはその日を境に、会うことはなかった。歳の差は永遠に埋まらない。ただ、それだけの理由で僕らは離れるしかなかった。 ーーーー  僕は、気づけば高校を卒業し大学生になっていた。幸いなことに、同じ学部に知り合いはおらず僕は平凡な大学生活を送ることが出来ていた。それでも、僕の脳裏には時々雨音の顔が浮かぶ。  あの日から四年ほど経ち、僕が成人を迎えた頃。たまたま早く帰れる日があってその日は最寄りの駅に着くと五時のチャイムが鳴った。僕たちの約束の鐘。僕は思わず周りを見渡した。すると、あの時と変わらない美しい姿をした雨音の姿が目に入った。   「雨音さん!!」 「修、くん…!?」 「やっと会えた。ずっと、ずっと、会いたかった!あの、僕はもう子供じゃないんです。二十歳になりました。大人になったんです。だから、もう一度言わせてください。僕は雨音さんの事が今も大好きです。だから、僕と付き合ってもらえせんか?」    僕がそう言うと、彼女は泣きそうな。でも、とても嬉しそうな顔をして言った。 「修くんと離れてから沢山の人に出会ったの。でも、君を超える人には出会えなかった。私は、生まれてくる時代を間違えたと、ずっと思っていた。でも、きっとそんなことはないよね。君に、修くんに会えたんだもん。それに私たち、これからは沢山の思い出を作れるから。生きてきた時間は違くても、ここからの時間をずっと一緒に過ごしても、いいかな?」  彼女の頬は少し染まっていた。 「もちろんです。雨音さんのこと必ず幸せにします」  毎日見ているこの景色はいつもよりキラキラと光っていて、雨上がりの匂いがした。
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