―― 第一章 ――

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 軍規定のマンションの一室に帰宅した昼斗は、リビングに入ってすぐのチェストの上にある写真立てを見た。そこには、婚約者だった光莉と二人で撮影した写真が収まっている。撮影してくれたのは、舞束少将だった。 「……」  あの日。  当時――〝Hoopは水中では長く活動出来ない〟と言われていたその頃、太平洋上にあった地球防衛軍基地に、昼斗はいた。人型戦略機に乗り、Hoopの群れを一掃した帰りだった。平和な時代が嘘であったかのように、頻繁に飛来するようになったHoopの存在は、すぐに地球上に伝わった。既にHoopの巣になった陸地もある。その中に置いて、日本という国は、世界に十一台ある内の三台を所有していた事もあり、比較的有利な防衛を行っていた。ただ、太平洋に浮かぶ基地の近辺には、ここ最近Hoopの落下が激しいため、基地から退避し、日本本土に再建築した北関東基地に軍部ごと移転する計画が持ち上がっていた。これは、その、決行日の話でもある。昼斗が、海を嫌いになった日の記憶だ。 『空路よりは、海路の方が安全じゃないのか?』  昼斗は、確かにそう述べた。経験上、天空より飛来するHoopから護衛するのであれば、万が一に備えるならば、海の上の方が安全だと、そう判断していた。それはこれまでに研究されてきた、女王種と騎兵種の特徴からも明らかであったし、誰も異を唱えなかった。  本土へ避難移動するための軍艦に乗船する時、光莉は微笑した。  あちらへ着いたら、式を挙げる予定だった。このご時世であるから、簡単に、写真だけでも取ろうかと、二人で話し合っていた。船に光莉が乗り、護衛のためにA-001に昼斗が戻り、それからすぐに、軍艦から舞束が出向の指示を出した。  その三分後。  海中から白く巨大な芋虫のような、未知の生命体が出現し、軍艦を食い破った。  人類が初めて、〝水中種〟を確認した日だ。  蟻じみた騎兵種が水中で作った巣で、それは卵として生まれ、芋虫のように孵り、女王種に成長する。蟻には蟻の幼生がいるのだが、蟻からは、別の種が生じた。尤もそれが判明したのは先の事で、この時昼斗は、何が起こっているのか、理解出来なかった。  ただ、声がした。人型戦略機には、AI言語プログラムが搭載されていると昼斗は聞いていたので、その声だと判断している。 《ラムダ探しのための新種だな》  ラムダというのは、人型戦略機のエネルギー元だという知識が昼斗にはあったが、詳細は機密事項のため、知らなかった。 《死にたくなければ、倒したらどうだ?》  男性じみた声がした。昼斗は、十八歳の日にも、似たような事を聞いたなと思いながら、また覚めない夢が始まったのではないかと怯えた。光莉が乗船している軍艦が沈没した光景など、悪い夢以外の何物であってもいいはずがなかった。  だというのに、次に気が付いた時には、本土の遺体安置所で、ブルーシートの上にのせられている光莉と舞束の本人確認をしていた。夢は、また覚めなかった。  遺体となった二人を見て立ち尽くしていた時、声がした。 「姉さん!」  その声に顔を向けると、何度か映像通話をした事がある――義弟になるはずだった、瑳灘昴(さなだすばる)の姿があった。十六歳のはずだと記憶していたが、まだ二次性徴の途中の肢体で、薄茶色の髪と瞳が、光莉によく似ていた。 「嘘だろう、姉さん……っ」  ブルーシートを見て涙ぐんでから、昴が唇を噛んだ。それから、振り返って昴は、昼斗を睨めつけた。 「なんで海路なんて、船なんて」 「それは……Hoopが最も出現しにくい水の――」 「ふざけるな。お前は知っていたはずだ」 「え?」 「ダム湖に沈んだんだったよな? お前の家は」 「っ」 「予想できなかったはずがない。お前が、お前が船の提案なんてしなければ」  愕然とした。言われてみればその通りだと、水の中にあり得る危険性について進言できたのは自分だけだったではないかと、昼斗は全身が凍り付いたように冷たくなった。激情に駆られた瞳で、憤怒の感情をそのままに、昴が言う。 「人殺し。姉さんを返せ!」  まだ二次性徴を終えていない昴は、昼斗よりもずっと小柄で背が低かった。けれど容赦なく、昼斗を殴った。  ――地球防衛軍の軍人の弟、だから、ではなく、昴が遺伝子操作された受精卵から生まれた子供であるから、姉の光莉も軍属となっていたのだが、この時点で昴は既に軍人としてもパイロットとしても教育を受けていた。しかし、昼斗は、昴の方が強かったから殴られたわけではない。自分のせいで、愛しい婚約者らを喪ったのだと思い知らされ、確信したから、誰かに罰せられたくて、それで素直に殴られたのだと言える。  瞬きをした昼斗は、改めて写真立てを見た。本当は、昴に殴らせるなんて事を、するべきではなかったと、今は思っている。殴られて赦されたかったなんて、おこがましいだろう。十六歳だった少年に、自分の贖罪を押し付けるべきではなかったし、きっと今も恨まれている事だろう。己が逆の立場ならば、決して許さない。 「光莉。明日は軍法会議だ。俺は、明日こそ、赦されるんだろうか……」  ポツリと呟き自嘲気味に笑ってから、昼斗はシャワーを浴びに向かった。
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