―― 第一章 ――

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 軍法会議の朝が来た。  出廷した昼斗は、無表情で床を見ていた。もう長らく、表情筋を動かした記憶がない。周囲の印象も、昼斗は無口で無表情というものである。  黒い髪と目をしている昼斗は、日本人らしい日本人だ。既に人類が人として住める権利があるという意味において大地の国境線は意味をなさなくなり、古びた地図に引かれているラインと、世界の情勢は著しく変わっているが、その中にあってまだ独立国を保っている日本、そこに古くから暮らす人々の色彩と、昼斗の鴉の濡れ羽色の黒は同一だという事だ。ここ数日の間にも、国境線は塗り替わっている。それは、Hoopの侵攻により陥落した国家がまた一つ増えたというような話だ。亡命政府の樹立も間に合わない頻度で、人類の居住可能地は、脅かされている。 「粕谷昼斗大佐」  昔は一佐と言ったらしいが、地球防衛軍に編入されて以後、昼斗はより古い時代に使われていたらしい〝大佐〟という階級まで昇格していた。だが元々が軍人ではないから、階級にはピンとこない。 「旧東京湾の人工島――第二首都・(しん)東京市の切り離し沈没作戦についてであるが」  人工島は、Hoopが水中にはいないと考えられていた時代に、一気に建築された人工的な陸地である。国内であれば、旧佐渡湾と旧東京湾に建設されていた。旧東京都には、Hoopが幾度か落下したため、その土地の多くの者や企業は、深東京市という名の人工島に居を移していた。  しかし二ヶ月前、その深東京市と旧関東圏を結ぶ水中トンネルが食い破られ、地上トンネルは破壊され、人工島は一時間も経たない内に、Hoopの群れに飲み込まれた。放置しておけば、通じている部分から、日本本土への侵攻を許す事になる。しかし往来通路を全て封鎖すれば、人工島にいる一千万人もの居住者及び勤務者は、死ぬ以外の道が無い。Hoopが巣食う場所に、避難誘導は困難だ。  昼斗はその日、人型戦略機のコクピットの中で、両手の指を組んでいた。  すると、北関東基地の指令室から通信が入った。 『粕谷大佐』 「はい」 『貴方はどうすべきだと思いますか?』 「避難誘導後、その……切り離して沈没の処理を」 『それは、どの程度の時間ですか?』 「可能な限りの――」 『私の下した決断とは異なるようで同じでしょう。私もそう考えていますが、〝避難誘導可能時間はゼロ〟だと判断しています。つまり、現時点をもって、人工島を本土より切り離し措置をし、沈没させ、その上でまだ動いているHoopがいるのであれば、殲滅して下さい。命令は、以上です』  声の主は、北関東基地の総司令官である、煙道三月(えんどうみつき)中将だった。二十三歳の青年将校は、生まれながらにしてHoopと戦うべく配合された遺伝子の持ち主である。本人も第二世代機のパイロット資格を持つが、現在の――〝地球〟における実力者でもあるこの人物は、いつか昼斗が看取った煙道一佐の子息である。  昼斗は、避難を提案しようとした。それは事実だ。だが、迷わず命令を実行した。  嫌いな海に、大嫌いな海に、一つの島を沈めた。  そうすれば、本土がもう少しの間、持つと考えたからだ。トロッコ問題と同じだ。  このようにして、命令ではあったが、昼斗は一千万人が居た人工島を沈没させた。  事後、三月は嗤った。 「私は現場の判断に任せました」  それは、嘘ではないだろう。こうして、殺戮者のレッテルを貼られた昼斗は、本日軍法会議に出廷した。そこに、三月への恨みはない。いつも、似たようなやりとりが、三月とは交わされてきた。こうなるだろうという予測も出来たし、反論する自由だってあったが、ただ、昼斗は何もしなかった。 「――降格処分とする。大佐から、大尉への降格とする。また、以後情報将校による監視を徹底する事とする」  軍法会議の結論は、それだった。既に、第二世代や第三世代の人型戦略機があるとはいえど、昼斗を手放すはずがないこの世界は、相変わらず残酷で、けれどただ、法廷の外の紅葉だけは、非常に色づいていて秋らしく、綺麗だった。
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