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第1話 フラッシュライト、拳銃、外科手術
この日本という国で恵まれない子どもたちを救うのは、権力と心のケアではなかった。
全ての子どもに幸せをもたらしたのは、暴力と外科手術だ。
「班長、アパート周辺の封鎖が完了しました。今すぐ踏み込みますか?」
「ああ、そのつもりだ。まずは俺が行く」
平成末期に建てられたという古びたアパートの2階の一室。
2人の部下と共に玄関ドアの前に待機していた俺は、大家から押収したマスターキーで鍵を開けると靴を履いたまま室内へと飛び込んだ。
「なっ、何だお前ら!? 勝手に人の家に入っていいと思ってるのか!」
「鈴木勇吾、児童保護法第7条に基づき今から鈴木陽菜ちゃんを保護する。大人しく陽菜ちゃんを差し出せ」
「何を言ってやがる、陽菜は俺の実の娘だぞ!? 死んでも離さねえからうわっ!?」
突然家の中に踏み込んできた国家権力と、自分の身体を抱きしめた父親の両者に怯えている5歳児の表情を一瞥すると、俺は作業服の袖口に潜ませていたフラッシュライトを作動させた。
アパートの室内を一瞬の閃光が埋め尽くし、専用コンタクトレンズで両眼を防護していない「大人」である鈴木勇吾は一時的に視力を失った。
児童保護法に基づく実力装置の一つであるフラッシュライトは、乳幼児には視認できない特殊な波長の閃光を放つ機械。
不可逆的な危害を加えることなく父親を無力化すると、俺は瞬時に陽菜ちゃんを抱きかかえ、彼女を玄関で待機していた女性の部下に手渡した。
児童の保護は完了したが、俺にはまだここでやるべき仕事が残っている。
数十秒で視力を取り戻した鈴木勇吾は、ふらつく頭で俺の姿を再び視認すると激昂した。
「てめえ、よくも俺の娘を! あいつが出て行ってから、陽菜は俺が男手一人で育ててきたんだぞ!!」
「性的虐待の常習犯がよく言う。自分の立場が分かっていないのか?」
「はあっ!? この野郎、ぶっ殺してやる!!」
自らが犯した所業を指摘されて逆上した鈴木勇吾は、室内に転がっていた金属バットに手をかけた。
その様子を片眼を覆うバイザーに内蔵されたカメラで記録すると、俺は一瞬の間に腰元のホルダーに手を伸ばす。
「児童保護法第8条。強制執行」
「なっ……」
鈴木勇吾は俺が呟いた言葉の意味を理解する間もなく、ソフトポイント弾で眉間を撃ち抜かれた。
頭から地面に倒れた鈴木勇吾が即死していることを確認すると、俺は愛用の拳銃をホルダーへと格納した。
後の処理は専門の班に任せ、俺はアパートを出ると児童保護局の専用車に乗り込んだ。
車体に児童保護局のロゴマークが印字されたワンボックスカーには運転手を兼任する男性の部下と陽菜ちゃんの手を優しく握った女性の部下が既に乗り込んでいて、男性の部下は現場を立ち去る前に本部へと無線で連絡を取っている。
「おとうさん、けいさつにつかまるの?」
「陽菜ちゃん、あなたはもう辛い思いをしなくていいのよ。お父さんとは会えなくなるし、これから一度も会うことはないの」
「……ほんとう?」
女性の部下がゆっくりと話した言葉に、陽菜ちゃんは少しだけ安心した表情を見せてくれた。
「ちょっとどういうことよ、あたしはDVの被害者よ!? そのあたしがどうして取り調べを受けなきゃいけないの!!」
「被害者? 馬鹿を言っちゃいけません。あなたは陽菜ちゃんが性的虐待を受けていると分かっていてあの子を置いて家を出た。実の父親による児童虐待を私どもにも警察にも相談することはなく、今日だって知り合ったばかりの男性と飲み歩いていた。責任の取り方は分かりますよね?」
「責任って、まさか……」
「なあに、今時の手術は眠っている間にすぐ終わります。あなたはこれから好きに生きられればいいですが、間違っても不幸な子どもをこれ以上増やしてはいけない。そういうことですよ」
「そんな! はっ、離せっ! 出る所出るわよ!? こんなのあんまりじゃない!!」
陽菜ちゃんが足立区児童保護局の医務室で心身のケアを受けている間に、実の母親である鈴木恭子は身柄を拘束され、局長との面談を経て手術室へと連行されていた。
実の父親から性的虐待を受けていた娘を見放して逃げた彼女は、これから生殖能力を失わせるための手術を受けることになる。
刑罰は男女の区別なく執行されなければならないから、もし鈴木勇吾と鈴木恭子の立場が逆であったとしたら、鈴木勇吾が強制不妊手術を施行されることになる。
フラッシュライト、拳銃、そして外科手術は、児童保護のための三つの実力装置と呼ばれていた。
一時的なケアを受けた陽菜ちゃんが心身への被害の精査のため提携している小児科の病院へと移送され、鎮静剤を打たれた鈴木恭子のロボット支援下手術が始まると、俺はようやく自分のデスクで一息つくことができた。
「新谷君、今日もよくやってくれた。鈴木勇吾は傷害の前科もあったというから、今回は君一人での制圧は難しいかと思っていたよ」
「しょせんは抑制の効かない素人ですから、どうということはありません。それよりも、この時代に5歳の女の子に対して性的虐待を行う大人がいることの方が問題です。私たちは本当に抑止力になっているのでしょうか?」
実の父親から性的虐待を受け続けていた女児の姿に心を痛め、俺は業務の疲れをねぎらってくれた局長にそう尋ねた。
「それは確かに難しい問題だ。児童保護局はあくまで不幸な子どもを今いる環境から救い、子どもが不幸な境遇に生まれてくることを未然に防ぐことが目的であって、今まさに行われている児童虐待には強制執行で個別に対処することしかできない。虐待の当事者にはITリテラシーに乏しい人々も多いから、私たちの業務について正確に知らないことさえある」
児童保護局は児童虐待が行われている家庭に強制的に介入し、虐待の内容が特に悪質な場合や保護者が職員に危害を加えようとした場合は強制執行の名のもとに殺害することも認められている。
今日の業務はまさにその典型例だったが、虐待を受けた児童を二次被害から守るため、児童保護局職員による強制執行の様子はマスメディアでの報道やインターネット上への投稿が厳しく禁じられている。
児童保護局が児童の保護のため保護者を殺害することもあるという噂はインターネットのごく一部では知られているが、そういった環境にアクセスしない人々は児童保護局への認識がかつての児童相談所のレベルで止まっている。
「私たちにできることは、結局は手遅れになってからということですか。それでも、何もしないよりは子どもたちを救えていると思いたいですね」
「もちろんだ。加害者のみならずその配偶者への外科手術も一般的になって10年近く経ち、近いうちに被害児童の減少にも効果が表れ始めるとされている。これからもどうか子どもたちを守るために戦ってくれ」
「承知しました。かつての私のような子どもを生まないためなら、俺は何人でも殺してみせます」
局長はそこまで言うと今日の業務を児童保護局本部へと報告しに自室へと戻り、俺は新たな呼び出しに備えて今のうちに休憩を取ることにした。
時は西暦2060年。
かつての児童相談所は児童保護局へと改組され、児童虐待の加害者に対しては職員が「強制執行」を行えるようになっていた。
これは、日本という国が選んだ道なのだ。
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