①四畳半おじい

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①四畳半おじい

子どもの頃の話。 僕は、四畳半の部屋に住むおじいと仲がよかった。その部屋の襖を開けるとおじいはニカって笑って僕を迎え入れてくれた。 家族の中の誰とも血のつながりのないおじいがウチの一室にずっと住んでいた。誰とも関わらず、僕とだけ話すおじい。母がなんとなくおじいの分もご飯を作って、おじいの住む四畳半にそれを届けるのが僕の役目だった。 「今日は、おでん?おじいカラシほしいって絶対言うよ。」 「じゃあ、お皿の端っこにくっつけて持っていって」 「うん」 母は、おじいの好みの食べ物はなんとなく把握していて、おじいのためにわざわざ作るものもあって、おでんもそのうちの一つだった。父は魚の練り物が嫌いだから、おでんなんぞは匂いからして毛嫌いしていたのであったから。ん?…なんぞなんて言葉…初めて使ったな…。それと、もうひとつは、フキの煮物だった。父はフキの繊維質や食感が嫌いであったから、母はわざわざおじいのために作っていたのだ。 「おじい」 四畳半の部屋の襖を開ける。 「おお、あきちゃん。」 おじいは、にっこにっこして僕を見る。たばこの煙を吐き出しながらだ。 「ごはん」 「ありがとう」 「おでん」 おじいの前にお盆を差し出すと、タバコを咥えてお盆を両手で受け取る。 「こりゃうまそうだ、おっ」 「カラシもある」 「ぬかりなしだな」 「そ。ねえ僕もここでご飯食べたい。」 「ん?」 「だめ?」 「そりゃ、父ちゃんが悲しむだろ」 タバコを消して、お茶をひと口。それから、おでんのはんぺんを箸で切って口に入れた。白飯を口に放り込んでお味噌汁を飲んで、今度は大根を箸で切って口に入れる。 「美味いな。」 「うん。お母さんのおでん、僕も好き。」 「大根に出汁がしみしみだ」 よもや、母とおじいに何か、深い関係がありはしないかと探りを入れたくなった。 「ねえ、おじいって何者?」 「知らなくていい」 おじいがご飯を口にしているのを眺めている。美味しそうに食べるから、僕の口の中までおでんの味がしてくる。 「秋芳(あきよし)ー、ご飯だよー。」 母が僕をリビングから呼ぶのが聞こえて、 「おじい。後でまたね。」 「おお」 おじいの部屋からリビングに戻る。 おじいにはちゃんとした家がないから、この家を仮の住まいにしているんだと、父から聞いたこともあった。 でも、おじいがウチの四畳半に住んでいるのはもうひとつ理由があったように思う。 いつもは、母も父もおじいの部屋に近づかないのに、夜中に目が覚めた時に、2人の声がおじいの部屋から聞こえてきた。おじいのいつもより少し低い声も一緒に聞こえてきた。僕と話す時と雰囲気がまるで違う。怒りを含んだような話ぶりだった。 「だからあんたら夫婦、虫唾が走るほど嫌いだよ」 おじいは父と母が嫌い…。 「生駒(いこま)さん、秋芳はいつ俺に返してもらえるんだ?」 え? 「それは…秋芳は…」 父が言葉を詰まらせている。どういうこと。 「良い加減にしてくれよな。菜告(なつ)をバラバラ死体にしたのもお前らで、秋芳をそのまま誘拐したのもお前らだ」 「…比嘉(ひが)さん、お願いこのまま…。」 母が泣いている。僕は話を聞きながら、よくわからなくて、夢なんだと思って目を閉じた。 翌朝、父と母はウチにいなくて、おじいがリビングにいた。 「おじい…。お父さんとお母さんは?」 「仕事が早いんだって。あきちゃんには朝ご飯にパンでも食べさせてって。」 「パン…ふーん。」 おじいは別にいつも通りって感じで。ただ、父と母がいないだけだった。 僕はいつも通り学校に行って、いつも通りに過ごして、いつも通りに帰ってきて、四畳半の襖を開けた時、いつも通りじゃなかったのは、そこに、いつもニカって笑う、おじいがいなかったこと。部屋の中はそのままで、おじいだけがいなくなっていた。 仕事から帰ってきた父と母は特段気にする様子もなく、いつも通りの父と母だった。だから、僕はおじいのこと全然聞けなくて…。 でも、四畳半の部屋はずっとそのままだった。 そして僕はーー 実家には大学に進学してから帰っていない。 「あきー。」 秋夜(しゅうや)さんは、僕をそう呼ぶ。アルバイト先で出会ったひとつ年上の気の良い先輩だ。 「今日、バイト終わったら、飲み行かない?」 「良いですね。お酒強くないですけど…。」 「俺もそんなに強くないけど。」 秋夜さんが連れて行ってくれたのはバーだった。 バーなんて大人な寄り道をするとは思っていなかった。このお店のメニューにある中で知っているお酒は、ビールとハイボールとレモンサワーくらいだった。 「シュウが友だち連れてくるの珍しいね」 「この子、秋芳って言って、俺と同じで名前に秋って字が入るんだ。」 「そっか、あきくんね。よろしくね」 バーテンダーの人と秋夜さんが楽しそうに話しているから、僕は、「はじめまして。よろしくお願いします。」と言ってニコニコ微笑んだ。 バーと言っても、オシャレな人しかいないわけじゃないし、テレビがついていて、TBS NEWSがずっと流れていた。音は消してあるけど、なんとなく現実離れしない感じだった。 「あき、何飲む?」 「えっと……。」 メニューを見てもよくわからなかった。 だから1番上に書いてある 「ソルティドッグを…」と言ってみた。秋夜さんはクスッと笑う。 「それね、グレープフルーツだよ。」 「あ」 僕はグレープフルーツは、好きじゃなかった。秋夜さんはそれを知ってる。 「ビールにしよう?ドイツビールおいしいよ」 「あ、じゃあ。ビールをお願いします」 バーテンダーさんが、冷蔵庫を開けている間に秋夜さんに手を握られた。前々から少し感じていた。秋夜さんは、きっとそうだって思っていた。だから、なんの抵抗もない。 「ごめんね。あき。」 「いえ。」 「俺、少し汚いこと考えてた。」 「……もったいないです。なんで僕なんですか。」 「ふふ。なんでかな」 秋夜さんは背が高くて、顔が整っていた。モデルみたいだなってずっと思っていた。反対に僕は背が低くて、子どものような顔をしている。2人並ぶと、差が歴然で少し恥ずかしいとさえ思っていた。 目のやり場は、垂れ流されているニュース映像。字幕スーパーで、18年前の殺人誘拐事件に終止符。被疑者を特定、身柄を福島県警に送検。と文字が浮かんで消えた。 「はい、ビール。」 バーテンダーさんが僕と秋夜さんにビールを出してくれるのをありがたく受け取って、それでも気になってテレビを見ていた。 送検される被疑者は男性と女性。顔は隠しているけど、体形に見覚えがありすぎて鳥肌がたった。 名前の字幕には、生駒晴朝(はるとも)(52)、生駒実布由(みふゆ)(48)。 「あき?」 嫌な汗が背中に流れる。なんで…そんな…。 「顔色悪いね、大丈夫?」 「…大丈夫です。」 ビールの味もわからないまま飲み進めた僕は酔いが回るのが早くて、何を話したかも覚えていない。
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