②18年前のこと

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②18年前のこと

カーテンの色がブルー。 僕の部屋ではない場所で目が覚めた。レモングラスの香りがして頭が冴えていくが少し気持ち悪くて起き上がれなくて横になっていた。これが二日酔い。人生初めてだ。 「あき、おはよう。」 秋夜さんが、声をかけてくれて、ようやくここが秋夜さんの部屋だと分かった。 「ごめんなさい、僕…。」 「止めなかった俺も悪いよね。ごめんね。」 秋夜さんがペットボトルの水を渡してくれた。Tシャツが僕の服じゃないと気づいたのは起き上がったこの時だった。 「あき、吐いたから服洗濯したよ」 「重ね重ね、ごめんなさい」 「いいよ。」 スウェットズボンも、おそらく秋夜さんのもの…。 「秋夜さん、学校…。」 「今日は俺、午後から。あきは?」 時計を見ると10時だった。 「えっと。…僕もです。」 「良かった。サボらせたかなって、ちょっと心配だった」 僕の横に座って、頭をわしゃわしゃ撫でる。 「僕、シャワーも浴びてないし…あっ、歯も…。」 「歯磨きは、バッグから歯ブラシ出してやってたよ。おもしろかった。あきって、無意識で歯磨きできるんだね。でも、たくさんズボンにこぼしてたから洗濯したよ。」 「迷惑ばっかりかけてる…」 「俺、そういう手のかかる子、嫌いじゃないんだよね。」 秋夜さんは優しくて。昨日手を握られてからなんとなく、僕は受け入れている。 「ごめん、あき。俺ね、あきのこと好きなんだ。昨日、匂わせたから、変な飲み方させちゃったのかな。本当にごめんね。」 違う。あんな飲み方をしたのは…。 昨日、テレビで見たニュース映像を思い出す。父と母が警察の車輌に乗っていた。18年前の事件…。18年前、僕は2歳。だから、記憶が無くて当然。 「秋夜さん。僕も秋夜さんのことは好きです。秋夜さんの気持ちには追いつけないかもしれないけど。大切です。」 「…それ。友だちとして…だよね。」 秋夜さんの恋人としての気持ちに、僕は抵抗がない。だから、受け入れようと思う。 「…あの、たぶん違います。」 「無理しなくて良いよ。」 「無理してません。キスしましょう?今、歯磨いてからキスしても良いですか?」 自分で何を言ってるのかよくわからない。普通こんなこと言わないよなって思うと恥ずかしい。見た目が子どもすぎて女子からは弟扱いしかされなくて恋愛をしたことがなかった。 秋夜さんは、吹き出して笑い始めて、分かったよって、言いながら僕にキスをした。唇が唇と重なったのも、舌を絡ませたのも生まれて初めてで、恥ずかしい気分になった。耳まで熱くて、体もジリジリしてくる。 「どう?あき。」 「…え…っと、その。」 「恥ずかしい?」 「はい」 耳を触られて余計に恥ずかしくなる。秋夜さんの顔をちゃんと見られない。心臓がドクドク鳴り始める。 「本当に良い?俺と付き合ってくれる?」 首を縦に振った。初めての恋人は、同性。これからのこと全てを受け入れる覚悟もした。 「ありがとう」秋夜さんが僕のおでこにキスをして、首筋にもキスをした。くすぐったくて、恥ずかしい。 「大事にするからね、あき。」 恋人って、こんなに優しいものなのか。 頼って良いものなんだとしたら僕は僕のショックを秋夜さんに共有してほしいと、わがままな気持ちを勝手に抱いた。 「秋夜さんにだけ、聞いてほしい話があります。」 「…何?」 「今夜、また来ても良いですか?」 「バイト終わってから?」 そうだ、秋夜さんとはバイトで会うんだ。 「…はい。」 「いいよ。」 秋夜さんの部屋でシャワーを借りて、秋夜さんの服を借りて2人でモスで朝食兼昼食を食べて、電車で途中まで一緒に行って別れた。 アルバイトは6時から。 小さな料理屋。僕はホールで秋夜さんは厨房。アルバイトは賄を食べてから始まる。それを作っていたのは秋夜さんだった。秋夜さんは料理人になりたくて、大学も管理栄養士の学科だった。 「あき、味どう?」 この日の賄いは、カツ丼だった。甘めのつゆで煮込まれて卵でとじてある。 「好きな味ですがグリーピースは…嫌いです…。」 「それは、あきの好き嫌いだから。」 いつもニコニコしている秋夜さんが少し拗ねたように見せてすぐにニコニコし始めた。 「残されたらショックだから全部食べて。グリーピースもね。」 「…う」 賄を食べ終わってホールに入る。 僕は、なかなか常連のお客さんから可愛がられていて、いつも高い日本酒を頼んでくれるおじさんも僕を気に入っていた。 だからかどうかは知らないけれど、女将さんも僕を可愛がってくれていた。 ホールに入る前に、今日のおすすめを全部覚える。魚にお肉、旬の野菜を使ったお料理、デザート。お客さんは、結構おすすめを聞いてくるから。 「あきちゃん、比嘉さん来てるわよ」 高い日本酒を頼んでくれるのは、比嘉さんでいつもカウンターで親方と話しながら、お刺身には天明とか、天ぷらには十四代とか。なんか決めている感じだった。 「いらっしゃいませ。比嘉さん。」 僕が声をかけると、ニカって笑う。実家の四畳半にいたおじいに似ているって僕は勝手に思って、勝手に慕っていた。 「今日はもう、結構食べたんですか?」 「まだだよ。お刺身と天明はやってた。あきちゃんのおすすめあった?」 「ふふ。僕のおすすめですか。今日は…あ、たらきくが入りました。ポン酢和えか天ぷら」 「いいな。ポン酢和えもらおう。会津娘を合わせようかな。」 「はーい」 僕が、返事をすると比嘉さんはなんだか楽しそうな顔をする。年の頃なら70くらい。おじいは、あの頃、たぶん、60くらいだった。 僕が注文を厨房に出す頃、親方と比嘉さんが話すのが聞こえてきた。 「親方。18年前あった事件の犯人、今更捕まったみたいだね。」 「…ああ、あの、母親が殺されてバラバラ死体で見つかって、子どもは誘拐されて見つかってなかったっていう…。」 「そうそう。18年、…かかったもんだ。」 「とはいえ、子どもは見つかってないんでしょ?」 「…らしいね。今、生きてたら20歳。」 「うちの、生駒くんくらいか。」 「ああ、あきちゃん、20歳なの?」 「なったばっかりかな。」 「そう」 比嘉さんは、いつもは暗いニュースの話はしない。その犯人が、僕の父と母であることは絶対に知られたくないと思った。 厨房の秋夜さんが、僕のそばに来た。 「あき、注文は?」、 「…たらきくのポン酢和え。」 僕の顔を覗き込む。 「ちょっと休む?なんか変。厨房の中イスあるよ。」 秋夜さんがいつも通りに優しくて心が破れ始めて目から涙が流れる。 「あき?」 「う…うっ。」 「おいで」 厨房の勝手口から秋夜さんと一緒に外に出た。 「落ち着いて。どうしたの?」 「…必ず、必ず、後で話します。」 秋夜さんに抱き締められる。このままが良いと、僕のわがままが秋夜さんの背中に手を回した。 「ゆっくり息して。大丈夫。とにかく、今は落ち着いて。」 「ありがとう…ございます。」 少しずつ、息を整える。落ち着いてきた頃、頭をくしゃくしゃ撫でられた。 「今夜、たくさん話して。あき。」 「…はい。ごめんなさい」 秋夜さんが僕の頬まで落ちた涙を手で拭き取った。 「仕事できる?」 「はい。」 「いい子」 背中をぽんぽん叩いて僕を落ち着かせてくれる秋夜さんに、僕は安心していた。 夜10時には、料理屋が終わる。後片付けをしてバイトを上がって、コンビニでビールとかポテトチップスとか買って秋夜さんのアパートに戻ってきた。 「あき。おいで。」 秋夜さんがソファーに座って僕を呼ぶ。僕はその声に導かれて秋夜さんの前に立った。 話すのが少し怖い。 何から話せばわかりやすいだろう。 「あき、昨日から少し様子が変だよ。」 僕の両腕を掴んで秋夜さんが言った。 「秋夜さん…あの。」 「うん。」 秋夜さんに話して、他人に話を広げられるかもしれないなんてことはどうでも良かった。父と母のことを話して、秋夜さんが僕のそばからいなくなってしまうことの方が怖い。 「…昨日、ニュースで見たんですが。」 「うん。」 目に涙が溜まってきて、テレビの映像を思い出した。秋夜さんが僕をまっすぐ見つめている。 「…うう。ああ。うっう。」 堪えきれず泣いてしまった。 「あき、座って。」 隣に座ると、背中をさすってくれる。 「…泣いてしまうほどのことなんだから、落ち着くまで待つよ。俺に話したいって思ってくれたの、嬉しいから。」 ショックを共有してほしいなんて勝手なわがまま。秋夜さんに押し付けて良いんだろうか。 「僕、知らなかったんです。18年前の事件。」 「…18年前…あき、2歳?」 「はい。」 「…知ってる方がすごくない?」 「そうですか。」 「うん。俺も知らないことだと思う」 頭をゆっくり撫でられて話せるような気分になってくる。 「…母親の殺人と子ども誘拐事件があったそうです。」 「あ、……今日、親方と比嘉さんが話してた…」 「はい。」 僕の手が震え始める。秋夜さんがその手を握る。 「昨日、両親が警察の車に乗ってる映像がテレビで流れていました。名前も。」 「え」 「母親を殺し、子どもを誘拐したのは…僕の両親です。」 秋夜さんは、僕に驚いた顔を一瞬見せた後、僕を抱き締めた。 「18年前の事件ですが、僕は子どもの姿を見たことがありません。だから、きっと両親は子どもを殺してしまったんです。」 「怖かったね。」 「ずっと、ずっと知らなかった。ずっと、何事もないように、ずっと両親は僕に隠していたんです。僕はどうしたら……」 秋夜さんは、泣き続ける僕の涙を何度も拭いてくれた。 「何もしなくて良いよ。あきは今まで通りでいい。」 「大学、行けなくなります。きっと。両親にお金払ってもらってるのに。」 「そっか。ごめん。俺が何とかできることじゃないね。でも、話なら聞くから。俺はあきの味方だよ。」 秋夜さんが抱き締めてくれた。 「秋夜さん…」 「あきはひとりじゃないよ。俺がそばにいる。」 「ずっといてくれますか?ずっと離れないでいてくれますか。」 僕は秋夜さんを求めてしがみついた。四畳半に住んでいたおじいのように突然いなくなったらどうしようって不安だったから。 「大丈夫だよ。」 秋夜さんが優しく僕を包んで、泣いて疲れたからか少しずつ眠くなるのを感じた。
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