第二章

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 事件から半日が明けた明朝五時。  面倒そうなことやってますね、と蓮池は面倒くさそうに首を鳴らした。前述したとおり、この男は基本的に金勘定以外には興味が薄い。由太夫と比榮はバツがわるそうに藺草の床──畳──に正座した。ここの力関係は微妙なところである。  閣府長のように実権があるわけではないが、この蓮池という男があまりに有能なために、いまいち地区兵団の頭が上がらない。  由太夫から『三百年前の事件』について相談をうけた彼は、ろくに考えもせず口を開いた。 「それを突き止めてどうするつもりです。いまさら反乱分子がどうであろうと、フェリオさんが生け贄になればレオナ様は帰ってくる。アルカナについては別途近衛師団を中心に討伐計画を立てる予定ですし。此度の一件、このまま順当にゆけば落着する予定なんですが」 「それはあくまで一過性にすぎません。この際、根本から問題を洗い出すべきだとおもうのです。なにせいま起こっていることは、蒼月の家に遺された秘匿黙示の内容そのもの。反乱分子についていまいちど調査するのは急務かと」 「──協力することで私になにか得なことが?」 「えっ」 「よくご存じだろうが、私は腰の重たい守銭奴だ。見返りがないとね」 (守銭奴って自分で言うのか)  比榮はなぜか感心した。  それもそうですね、と由太夫は生真面目な顔で考え込む。やがてパッと顔をあげると、胸元に忍ばせたちいさな巾着袋を取り出した。 「これを」 「うん?」  と、蓮池は由太夫から巾着袋を取り上げる。  中からコロリとすがたをあらわした数粒の種を見て、蓮池はハッと目を見開いた。 「これは、……」 「蓮池さんならその価値もお分かりになるかと」 「君は、人の使い方がうまいな」 「蓮池さんほどでは」  にっこり。  由太夫は中世的なその顔に満面の笑みを浮かべて、言った。比榮にはよくわからなかったが、とりあえず蓮池との取引は成立したようである。  そういうことならば、と蓮池はパッと立ち上がり、両側にそびえたつ本棚をぐるりと見回した。恐ろしい量の書物だが、彼はすべての本を読了しているという。 「なんでしたか。三百年前の──ああ、ウォルケンシュタインの長男坊が死亡した事件についてでしたね」 「蓮池さんはその件、どなたからか話を聞かれたことは?」 「直接的な話はとくに。ただ、なにかでそんな話を目にしたような……」  と、蓮池は本棚を見上げた。  これほどたくさんの貴重書をいったいどこから仕入れたのか、あるいはこの執務室がもともと閣府の書庫であったのか、由太夫と比榮はそわそわと蓮池のつぎのことばを待つ。彼は迷わず入口から見て左奥の本棚を物色し、やがて指をさまよわせると一冊の書物を取り出した。  パラパラと中身を確認してうなずく。 「これだ」 「ありましたか!」  比榮が蓮池の手元を覗く。  読めない。言語がちがうのである。フェリオも話すような大陸言語でもなく、刑部水軍がおもに使用するアナトリア地区特有のことばでもない──。  蓮池は「古代のことばです」と言った。 「まだ始祖レオナが存命だったころ、この島の原住民やサンレオーネに住まう者たちが使っていた。司教のグレンラスカ様がふしぎな言葉で啓示をおろすのを聞いたことがあるでしょう」 「ああ。それでこれ、なんの本なんですか?」 「各貴族についての研究調書。デュシスの歴史家が非公式に調べたものです」 「それがなぜここに」 「聞きたい?」 「……やめておきます」  比榮がしずしずと下がる。  冒頭はだいたいみなが知ってる話です、と蓮池はページに目を落とした。 「レオナ降臨からおよそ八百年、大陸から流れ着いた数名の貴族がレオナに属した。レオナはこの島国を五つに分けてそれぞれの気候を施し、各貴族を統治貴族として長に置いた──。ほかにレオナの実子直系子孫である御三家と、レオナの付き人であったウォルケンシュタイン。内容はおもにこの八つの家の特性、気性までを事細かにあげつらったもので、それから各貴族絡みの事件についてが数件紹介されています」  おもしろいですぜ、と蓮池は口角をあげる。  しかし由太夫と比榮が知りたいのは各貴族の特性などではない。歴史の闇に葬り去られたかもしれない重要事件についてである。ふたりがじっと目線でうったえる。蓮池はわかってますよ、と肩をすくめた。 「ウォルケンシュタインの長子が死んだ件でしょ。……ああ、あった」  ページをめくる彼の手が止まる。  内容を見ても、ふたりは古代語が読めない。蓮池が慎重に読み進めながらひとつひとつを読み上げた。 「【レオナ暦一四一年に発生した大地震によってサンレオーネは崩落。多くの人間を瓦礫の下に呑み込んで、町は息を止めた】──」 「サンレオーネの大地震、ですね」 「ええ。そこでふたりの赤子が遺されたというのは王家、御三家、閣府も知るところです。赤子のひとりはレオナ三世となり現レオナ様の系譜として。一方の赤子はウォルケンシュタイン家の娘が産んだとして、ウォルケンシュタイン家長子として育てられたと」  由太夫と比榮は無言でつづきを待つ。  ここから本筋です、と蓮池はつづけた。 「【レオナ暦一五一年、ウォルケンシュタインの長子”フィン”が家人の目を盗みサンレオーネへ遊びに行ったところ、遺構内にて突如すがたを消す。最後の目撃者アダン・スカルトバッハは『彼はまるで光に呑まれるかの如く、神殿の深層にて発光し、そのまま消えた』とことばを残している】──」  比榮はくりっとした猫目を見開いた。 「光って消えたってことですか?」 「信じがたい話ですがそういうことでしょうね。人が光って消えるなんてふつうじゃない、しかしサンレオーネならあり得る話だ。当時の閣府長が『死んだ』と認識するのもうなずけます」  といって蓮池は本を閉じる。  これ以上、この件に関しての記述はなかった。この歴史家がいったいどこからその話を聞き入れたのか定かではないが、蓮池曰くこの書に記されていることはおおむね正確といってよいらしい。  でもじゃあ、と比榮は悲しげにうつむく。 「どうしてウォルケンシュタイン家は、このフィンについての記録を消したのでしょう。十歳まではたしかに存在していたのに、あんまりに、かわいそうじゃありませんか……」 「仕方ありません」  と、蓮池が眼鏡をいじった。 「フィンを生んだ娘はウォルケンシュタイン家長の第三夫人でした。当時の家長と第一、第二夫人は子に恵まれず、かねてより跡継ぎ問題があった。そんなときにこの娘がいのちを賭して出産した。母親こそ亡くなったものの、フィンは第一家督継承者となる。しかし数年後に第一夫人が子を出産すると継承権はそちらの子に移った。フィンがすがたを消したのはそれから数年後のことです」 「ま、まさか……!」 「いやいや。フィンの行方について第一夫人はシロでしょう。が、こと『痕跡を消す』ということならば、女の嫉妬から消されてもふしぎじゃないということですよ」  なぜか楽しそうにつぶやく彼。  由太夫は眉を下げて「そういうものですか」と小首をかしげる。  それより、と蓮池は書物を本棚にもどしながら言った。 「納得いただけましたかな」 「はい。覚悟が決まりました」 「覚悟?」  と、蓮池はきょとんとした顔で由太夫を見る。  サンレオーネの深層、と彼は胸に手を当てて瞳を閉じた。 「フィンが消えたとされる神殿の深層へ、行く覚悟です」 「…………」 「いまは近衛師団の見張りも少ない。我々ならたやすく侵入できよう、比榮。地区長に報告次第すぐに向かおう」 「はい!」 「いやいやいやいや」  若者ふたりの腕をとる。  蓮池はわずかに動揺したようすで、ふたりの顔を見比べた。 「なにを言いますか。神殿内部は禁足地ですよ」 「わかっています」 「…………」 「しかし、知りたいのです」 「由太夫」 「衝動が」 「は?」  衝動が沸いたのです、と。  由太夫は頬を染めて言った。 「知りたいのです。いったいなにが起きたのか、なぜフィンは消えねばならなかったのか……教祖シオンとフィンはなにか関係があるのか。知りたい。知りたいという衝動が止まらないのです。この衝動に私も、……身を委ねたくなったのです!」 「…………」  四地区兵団のなかでいちばん主張のすくないアナトリア。  とくに由太夫はこれまで、規則らしい規則を破ったことはなかった。兵学校時代からつねに模範的生活を好み、勤勉な優等生。そんな彼がいま、これまでに見たことのないほど胸を弾ませた顔で物を語っている。  逡巡した蓮池だったが、やがて彼らの瞳のかがやきに押し負けた。  引きとどめていた手を離して頭を掻く。 「……分かりました。ならばどうぞご勝手に」 「蓮池さん!」 「しかしお気をつけなさい。サンレオーネの深層は、ときに人を狂わすという。君たちなら問題なかろうが、ね」  由太夫と比榮は互いに顔を見合わせ、うなずく。  それから「お世話になりました」と蓮池に深々と一礼してから部屋を出ていった。 (…………)  残された蓮池はひとり、考える。  考えて、パッとローブを羽織ると自室から廊下に出た。  
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