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王家別邸占拠事件発生から半日。
いまだ朝日も昇らぬ午前四時ごろ、ノトシス地区長ハオと士長虞淵およびシャムール地区長シリウスと副官ノア、さらにはセント地区長クレイが事件調査のため王家別邸へと赴いていた。深夜二時ごろに起きたアルカナ教団員焼身心中により、手がかりはほぼ燃えたと近衛師団兵から共有された。
しかしハオは納得していない。
なぜならノトシスの耳には、アナトリアからあらかじめ『焼身心中は近衛師団の偽装である』という情報が入っていたからである。
ッカー、とハオは鼻頭に皺を寄せた。
「つくづく鼻につくぜ。近衛師団ってなァ!」
「比榮から聞きましたが、シオンはすでにサンレオーネに向かったそうですね。昨夜と一変して近衛師団兵の数がすくねえのも、みなサンレオーネに向かったからか」
虞淵がぐるりと邸内を見まわる。
燃え跡に膝をついていたクレイは、煤を指で掬ってからゆっくりと立ち上がった。
「サンレオーネ……やはり終着はそこのようね」
「どのみち近衛師団が行ったところで、どうにもならねえだろうがな」
昏い顔でぼやいたシリウスは現場調査も早々に、火災した一室から外に出る。
つづいて部屋の外に出たノアが気が付いた。
邸の窓から外を覗く。ちらちらと空から舞い落ちる結晶。
早朝から急激に冷え込んだとおもったが、このフランキスカにも雪が降ってきたようだ。空模様を確認する。常冬の地区に住まう者なら予感できる。この分だとさらに雪は強くなりそうだ。
ぐう、とノアの背後で唸り声がした。
ゆっくりと振り返る。虞淵が蒼白な顔で、おなじく窓の外を覗くところだった。
「さいあくだ。雪が降ってきやがった」
「…………」
ノトシス地区民は寒さに弱い。
いまも、薄い外套を一枚羽織るくらいのノアと比べて、彼は分厚い生地の外套に身を包み、ひと回りも大きく着ぶくれしている。
ノア、と信じられないものを見る顔で見下ろしてきた。
「おまえそんな恰好で寒くないのか」
「……雪が降るならあたたかい」
「はあ? さむいから雪が降るんだろ」
「筋肉で温度をはかるノトシス民には、寒さの度合いなんてわからない」
「チッ、また馬鹿にしやがった。ロードといいてめえといい、シャムールってのはいつもいつも──」
「雪が降っている以上、ノトシス民には荷が重いでしょう。早く帰ったら」
「あんだとコラッ。こんだけ着込んでりゃ夏とそう変わりゃしねえよッ」
と。
バチバチに火花を散らす虞淵とノアを見たクレイが、南北の地区長にむかって馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「あの調子で、そのまま南北で戦を起こすようなことはおやめくださいね。また巻き込まれたらたまったものじゃないわ」
「──ただのじゃれ合いですよ、ランゲルガリア」
「だといいけれど」
彼女は口元に笑みを浮かべたものの、その目は鷹のようにするどく尖ってふたりの地区長を捉える。この壮年の女地区長を前にさすがのハオも居心地悪そうに肩を鳴らした。
「まあいいわ、わたくしは家に戻ります。夜通しの会議と対応でろくにお風呂にも入れなかったし」
「レオナ様がいなくなったってのにずいぶん悠長ですなァ」
「わたくしが入浴する如何で事態が大きく動くともおもえませんから。感情でモノを考えるのはよくないわね」
といって、クレイはふたたびニヒルな笑みを浮かべると、高らかにヒールを鳴らして王家別邸を後にした。そのうしろ姿を見送るハオは、ぴくぴくと顔の筋肉をひきつらせてふるえている。
「厭味ったらしいアマだな、あのやろう!」
「まあ──南北戦に関していえばまちがったことは言われてねえがな」
「おまえがそんなだから、アイツがいまだにグチグチ言ってくるんだぞッ。いったい何年前の話していやがる。あの戦争だって、きっかけは南北だったにせよけっきょくほか地区だって乗ったんだ。全地区に責がある!」
「四代目どもが等しく愚かだったのはたしかだが、それでも我々に責任がないとはおもえない。ま、ノトシスは俺の知るかぎり先代も先々代も貴様とおなじことを繰り返していたようだが。シャムールは五代目以降、このスタンスでやってきた。いまさら変えろと言われてもむりな話だ」
「チッ。……やけによくしゃべるとおもったら、雪か」
ハオはムッとしかめっ面を窓に向けた。
冷気が窓から入ってくる。ぶるりと身をふるわせて、ハオはくるりと身をひるがえした。
おい、とシリウスが呼び止める。
「ノトシスはここからどうする」
「どうって、こんな寒くちゃろくに動けやしねえよ。とりあえず閣府に戻る。……オレもあのババア見習って風呂にでも入るべか」
「……そうか」
「シャムールはどうするんだ?」
「ウチは、……ウチでやることがある。ノア」
「!」
「行くぞ」
シリウスに促されたノアはちらと虞淵を一瞥したのち、シリウスとともに王家別邸をあとにした。けっきょく最後まで取り残されたノトシス地区兵団。ハオと虞淵は顔を見合わせていまいちど身をふるわせると、互いに身を寄せ合って小走りに閣府へと戻るのだった。
※
「いい加減になさい、クロウリー」
クレイの声が尖る。
ここランゲルガリア邸には、スカルトバッハ邸での集会につづきクロウリー・グレンラスカが来訪している。彼はレオナの安否が心配なあまりに、司教の仕事を放棄してクレイに泣きついてきたのである。一見するとりっぱな聖人であるこの男の実情は、がっかりするほどの小心者なのだ。
クロウリーはうつむき、うじうじと手元をいじるばかり。
はあ、とクレイがため息をひとつ。それと同じタイミングで、客間の扉がたたかれた。こちらの返事も聞かずに開かれた扉の先には、近衛師団の制服をまとったレオナルト・ウォルケンシュタインが仁王立ちしている。
あら、とクレイの機嫌がわずかによくなった。
「てっきりもうサンレオーネへ向かったとおもったのだけれど」
「部下にはすでに向かわせている。私もこれから向かう」
「なかなかに上々ですわね。教団員を燃やしたんですって?」
「エッ! そ、そんなむごいことを」
クロウリーの顔が蒼白に歪む。
しかしレオナルトはわずかに眉をひそめるのみで、動じはしない。
「教団員は焼身心中だと近衛師団から伝えたはずだが?」
「さすがのあなたも、アナトリアのネズミには気づかなかったのね」
「ネズミ。…………」
チッ、とレオナルトが忌々しげに舌打ちをした。野生動物並みの勘を誇る近衛師団長も、アナトリア地区兵団が誇る『シノビ』の者には一杯食わされることもある。
「まあ、だからといっていまさら、なにがどうということもないわ。気兼ねなくサンレオーネへお行きなさい」
「貴女はどうする」
「わたくしは……とりあえずお風呂に入りたいわ。それから、気が向いたら行こうかしら。一般客も、近衛師団の見回りもいないサンレオーネなんて、そうそう見られるものでもないし」
「ほう。貴女のことだから、サンレオーネ往訪にはもっと前向きなものとおもったが」
「前向きよ。至極ね」
といって、クレイはクロウリーに向き直った。
この小心者は先ほどから交わされるふたりの会話を前に、困惑の色を隠せていない。
「サ、サンレオーネへ向かうのですか。なぜ……」
「クロウリー司教。あなたは知っている?」
「なにを、です」
「サンレオーネの力について。じつは我々が崇めるレオナの力というのは、後継レオナ本人の力ではなく、あの場所そのものが持つものだと──そんなうわさがあるようですね」
「…………それは。ちがいます、そこの力関係はイコールであって、上下はありません。サンレオーネにあると言われる力は時の名残にすぎない。あくまでレオナの力を持つ者は、レオナ様おひとり──」
「フン」
レオナルトが嘲笑した。
クロウリーの肩がびくりと揺れる。
「レオナ。レオナ。レオナ──まったく嘆かわしい」
「ど、どういう意味ですかウォルケンシュタイン。意味によっては、私は貴方を糾弾せねばなりません……!」
「司教。思考を止めてはいけない」
「え?」
「クレイ、貴女もぜひお越しなさい」
サンレオーネへ、と。
レオナルトはクレイに一礼して部屋を出ていった。
クレイは微笑む。その笑みを、クロウリーに向ける。
「さあクロウリー。すこしお茶でもいかが?」
クロウリーはおもわず身をすくめた。
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