第二章

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 教祖シオン──。  想像よりもずっと若く、それでいて悠然とした存在感とこちらの身が凍るほどの鋭い視線。彼からただよい来るオーラが凡人のソレでないことは明らかである。フェリオはシオンの足元に落ち着いた獣に目を移す。  先ほどの獰猛さはすっかりナリを潜め、とうとう腹を地べたにつけてリラックスし始めた。 「貴様がそれほどの腕とは恐れ入ったよ、フェリオ。まさかヴィンスが組み敷かれちまうとは」 「ヴィンス?」 「コイツの愛称。大陸にはいない種だろう、ピューマと山猫の交配種なのさ」 「…………」  分からない。  この男の真意も、おのれの気持ちもなにもかも。フェリオの胸は先ほどからざわついて止まらない。恐怖か、焦燥か、あるいは郷愁か──。 (郷愁?)  自身の感情にツッコミをいれる。  その葛藤を知ってか知らずか、シオンはかつかつと高らかに足音をならして近づいた。おもわずダガーナイフを構えたフェリオ。が、彼は目にも止まらぬ速さで詰め寄ると、そのナイフを素手で握った。  白い手首に一筋、血が垂れる。  痛がる素振りは見せず、その細腕からは考えられぬ力でナイフを奪い取ると、なぜかシオンはそのままフェリオに返した。 「無駄だ。オレにそんなのは効かない」 「あ──あんたが教祖シオンか。レオナ……十世は無事なのか。どこにいる。なぜおれを呼んだ? 答えろ」 「落ち着けよ。そんな急かさなくたって、オレはおまえをとって食いやァしない」 「冗談じゃねえ。あんたの勝手でおれが巻き込まれた。おれがここに来るって約束は果たしたんだッ。約束どおりさっさと女王さまを返してもらおう!」 「…………」  シオンは眩しそうに目を細めた。  それから石段のうしろ側、風を感じた方へと手を伸ばし、空を切るように手を横へ振った。するとどうしたことか、先ほどまで石壁とおもっていたところに、ぽっかりと口が開いたではないか。奥は暗闇のためよく見えないが、たしかに道がある。  風、水、緑──。この奥には山川草木がある、と確信させる匂いが鼻腔をくすぐる。  フェリオはたじろいだ。  目の錯覚か、トリックか。いずれにしろ、現実的ではない光景を目の当たりにして、さすがの現実主義者も動揺を禁じ得ない。  シオンは足元に寝ころがるヴィンスに対し、何ごとかを囁いて尻を叩くと、獣はパッと起き上がり暗闇のなかへ消えてゆく。一拍おいて、シオンがぴゅうと吹いた口笛を合図に、暗闇からあらわれたひとりの少女──。  フェリオは目を細め、やがて見開いた。 「れ、レオナ十世!」  あわてて駆け出す。  少女は怯えた素振りも見せず、駆け来る大陸人の抱擁を受け止めた。フェリオはすぐさま膝をつき、少女に怪我がないかを確認する。 「よかった。ご無事で」 「…………」 「もう大丈夫、いっしょに閣府へ帰りましょう」  と、立ち上がり手を差しのべたフェリオを見上げ、幼き女王は困惑の顔を見せた。それからシオンをちらと見る。  シオンは動かない。  さあ、とフェリオがもう一度うながす。  少女はゆっくりとそのふしくれだった手を握る。しかし、直後その手をぐいと引いてシオンのもとへ駆け出した。引っ張られるフェリオもあとに続く。  訳がわからずさけんだ。 「お、おいレオナさま! なんのつもりだ──」  やがて少女はフェリオの手を離し、そのままシオンの腰元へと抱きついた。  戸惑い、足を止めるフェリオ。  シオンは少女の肩を撫で、 「ひとまずは成功だな、アスラ」  うっそりとほほえむ。 「…………」  もはやフェリオには、なにがなんだか分からない……。  ※  鉄扉の手前では、ようやく決着がついてきた。総勢三十人もの近衛師団兵を相手に、汐夏とロードは一瞬の怯みも見せず果敢に挑み、この狭い深道の通路に屍の山を積み上げた。  最後の一人を伸したとき、さすがの汐夏も膝に手をつき息を切らす。 「はぁ、はぁ──おわった?」 「どうでしょうね……」  ロードがひざまずき、目を閉じる。  目蓋の裏にノイズ世界を映す。この男は力の発現からわずか短時間で、すでにこの力を使いこなしていた。近くにいる敵にチャンネルを合わそうと探るも、気配はない。  どうやら付近に敵はいないようす。  すこし上を探ってみた。地上である。チカチカとわずかに映ったモノクロ世界。だれかが石舞台のところにいるらしい。が、距離が遠すぎるためかその映像は不鮮明で、ロードの頭が先に音をあげた。  額を抑えてロードがうめく。  脳幹から締め付けられるような頭痛。あまり使いすぎるのも良くないかもしれぬ──と、痛みの引いた頭を振ってゆっくりと立ち上がった。 「いまのところは大丈夫そうです。はやく、フェリオと合流しましょう」 「この鉄扉、開かないヨ!」 「君の豪腕をもってしても開かないなら、私じゃもっとむりですよ。さてどうしようか……」  と、ロードがたわむれに鉄扉を軽く押した。  するとどうしたことか、さっきまでびくともしなかった扉が、金属音を立てながら開いてゆくではないか。汐夏は目を見開いて「おぅ」と声を漏らす。 「ロード、力持ちィ」 「妙ですねェ──いや、とにかくフェリオが危ない。はやく合流しないと」  扉を開けて一歩踏み入る。  なかは、地震の影響もあってか壁の一部が崩落している。かつては天井に何かが描かれていたのだろうが、ひび割れや崩落によって見る影もない。しかし汐夏の目には、過去視によってかつてのこの場所が見えている。  ──婦人たちは部屋の奥へと駆けてゆく。  しかし直後、視界がわずかに揺れた。地震だ。石舞台のところで感じたときよりはよほど小さいものだったが、石造りの壁を崩すにはじゅうぶんな揺れであった。  天井画が崩落。  その真下にいた婦人がひとり、瓦礫に潰された。拍子に腕のなかの赤子が宙を舞う。前をゆく婦人が振り返る。何ごとかをさけんで駆け寄る。赤子は不自然に宙に浮き、やがて前にいた婦人の腕のなかにおさまった。その腕には、すでに抱かれていた赤子がいた。  婦人が、潰された女性へ駆け寄りかける。  天井を見上げて足を止めた。婦人はためらう。しかしまもなく身をひるがえすと、赤子ふたりを腕に抱いた婦人は部屋の奥……暗闇につづく階段の方へと駆け出した。  潰された婦人の顔は涙にゆがむ。──  パン、とおのれの頬をたたいた。  室内をぐるりと見渡し、 「ロード、奥の階段」  と汐夏が指さす。  しかしロードから返事はない。汐夏は訝しげにうしろを見た。  うずくまっている。  彼もまた、目蓋の裏で視ていた。  だれかの視界を借りて、いま起こっているのであろう、目をうたがう出来事を。 「…………」  声が聞こえる。  ──この階段から下に行けそうです。  ──おかしいな。……が先に到着しているはずだけど。  ──もしかしたらすでに下へ降りたのかも。……  ──そうかもしれない。  いこう、と視界の主がうしろを振り返る。  直後、ロードが視るモノクロ世界が真っ赤に染まった。いや、白黒には変わらないのだから赤ではない。しかしロードにはいま世界が赤く見えている。  なぜなら、その背中が一瞬にして熱くなったから。  視界はゆっくりと石舞台上へと倒れ伏す。  赤く染まった視界の最期。  ちらりと目に映ったのは、見覚えのある真っ黒い外套を羽織った小柄な男と、紋章を胸に刻んだアーマーの大男──。
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