第二章

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 グエンさん、とつぶやく比榮の声がかすれた。  ふたたび二振りの剣で残りの師団兵を薙ぎ払った虞淵は、その場に倒れ込んだ比榮の腕をつかんで立たせた。視線を交わし、虞淵は石舞台上に倒れ伏す由太夫へと近づく。  すでに絶命している彼の顔は、いつもの穏やかな表情であった。  ぼんやりと開かれた瞳は白くにごって何物も映さない。そのまぶたを虞淵が手のひらで閉じてやる。ゆっくり立ち上がり、石舞台の屋根に立つシャムール地区のふたり──おもにノア──へ目を向けた。 「シオンに下る、ってどういうことだ」 「…………」 「なんとか言ってみろ。おいノア!」 「貴様ら赤い野犬どもには分からぬ話だろう。もはやレオナの威厳も地に落ちたということ」  とは、近衛師団長ウォルケンシュタインのことば。  彼は虞淵によって倒された部下を一瞥すると、まもなくマントを翻してシャムールのふたりを見上げる。 「しかし俺はシオンに従うつもりもない。せいぜいここで第二次南北闘争でも起こすがよい」  吐き捨てて、レオナルトはさっさと深層への入口となる階段を下りていってしまった。石舞台の上に残されたるはシャムール地区のふたりと、比榮、虞淵、人知れず周囲の近衛師団兵を伸していたハオ──。  シャムールのふたりは、屋根から石舞台へ着地した。が、シリウスが蒼い顔でぐらりと膝をつく。彼をかばうようにノアが前に立ちふさがった。虞淵は剣を構えて、ノアへと斬りかかった。  ノアはすかさず細剣で受け止めた。  しかし腕力に押されて、地面に押し倒される。馬乗り状態となった虞淵の刃はノアの真っ白な首元に押し当てられ、首元にはうっすら赤い筋がにじむ。剣を押し返すノアの息はふるえている。  シリウスが助太刀せんととっさに銃を構えるも、そこに飛び込んだのはハオだった。柄の長い刀をぶんまわし、銃口をずらす。シリウスは舌打ちをするが、戦闘民族の力には及ぶまい。  これまでか──とノアは瞳を閉じて抵抗の力をゆるめた。  しかしそれによって気づいた。虞淵の力もまた、ゆるい。  同時に、 「!」  ノアの頬に水が落ちた。おもわず目をあける。  虞淵の瞳から涙がこぼれていた。 「……グエン」 「なんだってんだチクショウッ。おまえ、お前は本気で──」 「…………」 「…………」  ノアが目を細めた。  笑っていた。  意図せず漏れたノアの微笑みに、虞淵は歯を食いしばる。柄をにぎる手に力を込める。狙いは彼女の頸ひとつ──。  たん。  という軽い音とともに虞淵の剣先がはじかれた。  ハッと顔をあげると、いつの間にそこにいたのか石舞台の屋根からリベリオがライフルを構えていた。銃口からは煙が立っている。  おなじタイミングで、ハオとシリウスのあいだにもデュシス地区長ルカが割り込む。 「そこまで」 「に、西の──」 「西だけじゃないさ」  と、ルカが背後に目をやる。  そこには由太夫の遺骸を抱く比榮と、そのふたりをもろとも抱きしめる蒼月のすがたがあった。そばにはラウルも寄り添って蒼月の背中に手を添えている。 「蒼月……」  ハオの眉が下がった。  これまで見たことのないアナトリア地区長のすがたに、つられて涙が湧き上がる。しかし、ゆっくりと顔をあげた蒼月の瞳に涙はなかった。怒り、悲しみ、それ以上にアナトリアの美徳である忍耐力によってか、つとめて冷静さを保っている。 「遅くなってすまなかった、比榮。……由太夫」 「も、申し訳ありません。僕が、僕がもっとはやく気づいていれば」 「おのれを責めてはならん。これは、我々の責でもある」  といって、蒼月は立ち上がった。  そばについていたラウルも比榮を支えて立ち上がる。視線は、自然とルカ・ディ=ローレンへと注がれた。彼はめずらしく真剣な面持ちで肩をすくめると、ハオとシリウスにそれぞれ武器をしまうように指示を出す。  虞淵とノアも、リベリオによって引きはがされ、武器を取り上げられた。  なぜ止める、とハオは激昂した。 「こいつらシャムールは裏切者だぞッ」 「裏切りかどうかは、本人たちの口から聞いてみなくちゃわからないだろう?」 「なんだと」 「僕はつねづねおもってたんだ。われわれ四地区は、互いに隠し事が多すぎる。秘匿黙示なんてくそくらえだ、とね」 「!」  シリウスの目が見開かれた。  しかしその口が開く前に、ルカがずいと前に出た。 「互いに特殊な環境のなか、狭小な土地を分けて住むわれわれが、力を合わせずどうして生きてゆけるとおもうんだい。ここいらでいい加減、肚を割って話す時が来たのじゃないかな。……ねえ、シリウス」 「なぜ」 「すいません。おれが聞いちゃった」  と言ったのは、リベリオだった。  いつもの眠たそうな半目はそのままに、悪びれるでもなくシリウスとノアを見比べている。 「でも良くないっすよ。あんな、誰かに聞かれるかもしれない場所で内緒話なんて」 「…………」 「とかいって、ほんとは聞かれたかったんだったりして。ノアだって──たったひとりそんな重いもん共有されて、たまったもんじゃなかったろうに」  というリベリオにノアはうつむいた。  なんのことだ、とハオがさらに声を荒げる。 「いいからシリウス、てめえが一から説明しろ。オレたちが納得する答えを、出せるものならな!」 「納得──するしかないとおもうけどね」  ルカはちいさくぼやいて、シリウスを見た。  一同の視線がシリウスに注がれる。  彼は諦めと、すこし安堵にも似た表情を浮かべて、どさりと腰を下ろす。先ほどから立っているのもつらそうなようすである。  しかし語る口はいつもと変わらず、冷静であった。  ※ 「由太夫が死んだ」  ロードがつぶやいた。  立ち上がってからの開口一番に放たれたことばに、汐夏は耳をうたがった。 「は?」 「さっきのは比榮と由太夫の声でした。おそらくは、由太夫が──」 「なに言ってる。由太夫は死ぬタマちがうヨ」 「…………そう、ですが」  ロードの沈痛な面持ちは変わらない。  先ほど汐夏が指さす階段の方へ、その顔のまま歩き出す。だんだん不安になった汐夏はロードの袖をぐっと握った。 「ホントに? ホントに由太夫死んだ?」 「……いや。まだ、確証はありません。死体をじっさいに見たわけじゃありませんしね。やられたのがほんとうだとしても、すこし早計だったかも」 「うん……」  すっかり汐夏のが落ち込んでいる。  ロードはパン、と手を叩いてようやくわらった。 「すみません、切り替えていきましょう。我々はまずフェリオと合流しなければ」 「うん」 「こっちの階段ですか。てっきりもっと下るものと思っていましたが上に向かってますね」  階段は暗闇に伸びている。  暗所恐怖症には耐えがたい場所であるが、ロードと汐夏はさくさくのぼる。体感五分ほど階段をのぼったころ、わずかだが話し声が聞こえるようになった。最初に気づいたのは野生並みの五感を持ち合わせる汐夏である。  話し声は徐々に大きくなり、やがて出口であろう光が見えてきた。  ロードを追い抜いて汐夏が駆けあがる。  話し声に、たしかにフェリオの声を聞いたからだった。  狭い階段通路を抜けて、光の先へ。 「フェリオ!」  と、出口へ飛び出た汐夏の目に視えたのは、  ──おねがい。この子たちを守って。  ──どうか。どうか助けてください。サンレオーネの地よ……!  地震によって崩落した瓦礫につぶされ、いのちが尽きる間際まで祈りつづける婦人のすがただった。
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