第二章

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 影がない。  どころか、由太夫のからだは全体的に透けて、向こう側がうっすらと見てとれる。再会のよろこびと現状の混乱が入り交じって、フェリオの顔は泣きそうに歪んだ。 「よ、しだゆう。お前どうして、そのすがたは──」 『フェリオどの』  由太夫はおだやかに笑み、フェリオの手に手を重ねた。感触はない。けれど、たしかにぬくもりは感じる。たまらずその手を掴もうとするが、フェリオの手は空を切った。  物体がない。  彼は、にこにこわらった。 『ご無事でよかった。心配していました』 「心配って、おまえは……」 『しくじりました。ほんとうはこんな形で再会する予定ではなかったのですが』  と言いつつも至極穏やかな表情を崩さない由太夫を前に、フェリオはことばをなくした。一粒でも、涙を流してくれたなら──ともに涙を流すこともできたかもしれない。慰めのことばのひとつだってかけられた。  しかし彼はすでに現実を受け入れていた。  いまだ事実を受け入れらずに戸惑うこちらの気持ちを置いてけぼりにして、由太夫は彼らしい柔和な笑みを返してきたのである。  しくしく、と。  押し殺した泣き声がした。  アスラがシオンの胸元に顔を押しつけて泣いている。シオンは眩しそうに目を細め、由太夫を見上げた。 「死んじまったな」 『はい。あっけなく』 「後悔はあるか」 『…………』  由太夫はちらりとフェリオを見た。  一瞬の目くばせであったが、その瞬間にフェリオの脳裏にはかつて由太夫がこぼしたことばが走馬灯のように流れていく。  ──いのちを賭して旅をする。  ──その先に、無限の知見が広がっているというのなら。  ──私もその衝動に身を委ねたいものです。  あの日、いつかの話をした。  賢者の目を持つ彼ならば、いずれ時が来たときはきっとたのしい旅となる。……はずだったのに。  フェリオは拳を握りしめる。  しかしその拳に、ふたたび由太夫のぬくもりが重なった。  彼はまっすぐフェリオを見つめて、言った。 『最期のさいご、私は衝動に身を委ねていた』 「…………」 『胸のうちから湧き上がる衝動のままに動くことができました。むかえた結末は終焉でも、悔いはありません。ほんのちょっぴりは強がりですが──まことです』  それから由太夫は、はにかんだ。  その笑みを前にフェリオはたまらず由太夫を抱きしめた。もちろん物体として感触はない。けれどたしかに、腕のなかに収まるぬくもりを感じる。そのぬくもりがあんまり温かくてフェリオの双眸から涙がひと粒こぼれ落ちた。  あやすように、由太夫が背中を叩く気配がする。 『泣かないで。フェリオどの』 「いくらなんでも早すぎる。もっと、お前さんには教えてやりたいことがたくさんあった。あんまり早すぎるよ」 『ごめんなさい。……ごめんなさい、フェリオ』 「おれが、衝動に身を委ねろなんて言ったからだ。あんなこと言うべきじゃなかった」 『そんなこと言わないで。私は、わたしは』  由太夫はゆっくりと身を離す。  晴れ晴れとした顔でフェリオの顔を覗き込んだ。 『この十数年の人生のなかで、あのときがいちばん幸せだった』 「しあわせ?」 『あのとき』  由太夫の指がフェリオの涙を掬う。  物体はないのに、涙はふしぎと乾いた。 『頭で考えるより先に、刀を抜いて、比榮を守ることができた』 「!」 『きっとこれまでの自分なら、状況を判断することを優先して一手遅れていたかもしれない。でもあのときは、衝動のままにうごいて、比榮を──守れた自分がいた。しあわせでした。きっとこの瞬間を迎えるために生きてきたのだと、そう思えるくらいに』  これは強がりなんかじゃありませんよ、と由太夫はわらった。 「由太夫」 『それにこの姿になればこそ、こうしてフェリオどのの元へ飛んでくることが出来たし。いろんなことも分かるようになったし。……』  といった由太夫は、ようやくフェリオからシオンへ視線をもどした。  ふたりはしばし見つめ合う。  どちらが先に口を開くのか、一瞬の沈黙が辺りをただよったときである。 「フェリオ!」  と。  神殿の反対側、地下通路への入口から汐夏とロードが飛び出してきた。  ※  レオナ神殿は、一時大混乱に陥った。  まずは汐夏。  この神殿にたどりついて早々、過去視にてひどい惨状を見てしまったらしい。石舞台にたどり着いたときと同じようにわんわんと大声で泣きわめき、コロッと機嫌を直したかと思いきや、幽霊となった由太夫を見て硬直。ふたたび泣き崩れたのである。  感情表現が豊かなノトシス民らしい感情変化だ。  対するロードも、五感を共有するという力が発現したことにより、由太夫の死の瞬間を体感。さらには幽霊となった本人を前にしてショックが隠せないらしく、となりで泣きわめく汐夏をなだめる余裕もないほどに落ち込んだ。  感情と一定の距離を置くシャムール民らしく、落ち込みながらもフェリオの無事を確認する余裕は見せたが、さすがにいつもの冷静さは欠けていた。  ようやく落ち着きを取り戻したのは、神殿到着からおよそ十分後。  ロードはシオンの存在に気が付くなりショルダーホルスターに手をかけたが、シオンにぴったりくっつくアスラの姿を見て「どうも普通の誘拐ではなさそうだ」と判断したらしい。 「なにかわけがありそうですね」  と、ぼやいた。  さすがの判断能力である。  汐夏はといえば、感情は落ち着いたものの、いまだにグズグズ鼻をすすって由太夫から離れようとしない。  そういえば、とフェリオは頭を掻いた。 「おれもいまだに何がどうしてこうなっているのか、聞いていなかった」 「わるいな。オレがさえぎったんだっけか」  と、シオンがからりとわらう。  そう。フェリオの友人が死んだ──として、由太夫の魂をこの場に呼び寄せたのである。由太夫との思いがけぬ再会によってすっかり話が逸れたが、アスラが語ろうとしていた。  ──代々レオナと、シオン、それからあの人たちだけの秘密。 (あの人たち、とは)  フェリオはアスラに視線を移す。  しかし彼女も、由太夫の死によっていますこし混乱しているらしく、なかなか口が開かない。見かねたシオンはなぜか由太夫に目を向けた。 「由太夫。お前は分かるよな?」 『は。……私ですか』  とつぜん話を振られ、由太夫は一瞬口ごもる。  どういうことだ、とフェリオがシオンに問いかける。彼は、瞳を妖艶に細めてわらった。 「さっき言ったろ。『魂だけになってしまえば、人は過去も分かるし、何が起きているのかも手に取るようにわかる』と」 「ああ──言っていた」 「さっそく実例が現れてくれた。つまり由太夫のように躯を脱ぎ捨てた者には、いまこうしてオレやアスラ、そしてお前がここにいるワケが分かっているって話だ」 「よ、由太夫。お前さんほんとうに分かるのか」  フェリオが由太夫に目を向ける。  透過したからだに見慣れたか、もはや違和感をおぼえなくなっている。  ハイ、と彼は遠慮がちにうなずいた。 『詳細は分かりかねますが、大枠は』 「なら由太夫から話してくれ。オレが話すより、少なくともそっちのガキどもは信じられるだろうからな」 「…………」  ロードは渋面のままうごかない。  ようやくメンタルを立て直した汐夏は、おもむろにアスラのそばへ腰を下ろすと、慰めるように彼女の肩に手をまわした。同じくらいの年齢ゆえか、アスラは心なしかホッとした顔でその熱に身を委ねる。  由太夫の顔から笑みが消え、沈痛な面持ちで一同を見渡した。 『サンレオーネが教えてくれました。──気が遠くなるほど長い時間、運命をかけ違えたふたりの赤子のお話です』
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