12-4

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 黙っていると、再び彼の不愉快な声が聞こえた。 「そういえば、お前に借りてた本、返してなかったから、捨ててもいいか? 押しつけがましくて、ウザかったんだよね」 「本って?」 「詩集だよ、何かよく分からん詩集」  ふっと、記憶が蘇った。享久と別れたとき、どうしても心残りだったのがその詩集だ。大切だったから返してほしかったけど、言い出す機会を逃し、それもやがて忘れた。  「月の水、だったかな」  それは丸谷恵子という作家の詩集である。昔、好きだった詩人だ。享久にも同じ感情を共有してほしくて、それを貸した。押しつけがましいと言われれば、返す言葉もない。  だけど―― 。何てことだろう。  まるで待っていたかのように、誰かが仕掛けた返句のように、それは起こった。つい数分前に湧き上がった感傷の正体が、分かった気がする。  関はその詩集の、好きだった一節を思い出した。  心って砕けるんだと 初めて知った日  こなごなになった小さなかけらを ひろいながら泣いた  それがある日  もとのとおりのかたちに かえっているのを見つけて  私はもっと泣いた 「返さなくていいんだな?」  享久は念を押した。関は小さく「うん」と答えることしかできなかった。嘘のように、怒りの感情は消えていた。享久がかつての恋人を傷つけたがる気持ちが分かる。 「じゃあな、もう連絡しねえよ」 「うん」 「元気でな」 「うん」  電話は切れた。  関は知っていた。彼は寂しいときほど攻撃的になる。だけどその寂しさは、今までのものとは別モノだと思った。本当に、この電話が彼との最後の会話になるだろう。彼は新しい恋人と、幸せな日々を歩んでいく。そうして今、彼を襲う強烈な寂しさの正体、それはきっと、すべての人に課せられる「掟」のようなものなのだと思う。  心が、砕けた。  それは自分のことだったかもしれないし、他の誰かかもしれない。くだらないことだったかもしれないし、重大なことなのかもしれない。遠い昔のことか、それともたった今のことだったのか。それさえも分からない。  関は、東四病棟の廊下に突っ立っていた。  滝本敦司の部屋はドアが空いていた。四人床の部屋だが、入院しているのは滝本一人だけだ。しんと静まり返っていた。  あの時、お父さんはどうしてお母さんを残して、一人で死んじゃったんだろう――。  関は自分でも驚くほどまっすぐに、そんな思いが零れ落ちてくるのが分かった。  滝本が関の存在に気づき、顔をこちらに向けた。白茶けた顔は、とても四十六歳の中年のものではなかった。 「荏田に頼まれていたCD、買ってきました。私、えっと、受付の関と申します」 「あ、ああ。トム・ウェイツの、買ってきてくれたのか」 「はい。すぐに見つかって、良かったです」  関はビニール袋ごと、滝本に渡した。 「手間をかけたな」  そう言って、滝本はCDを受け取った。目は相変わらず黄色く淀み、少し潤んでいた。  関は、母親と、今度こそ話そうと決めた。傷つけるかもしれないし、傷つくかもしれない。考えると胸がつぶれそうだ。あのとき自分は、ただの七歳の少女だった。それを言い訳に、ずっと母を一人きりにしてきた。  いつだったか、親戚の誰かから聞いた。父の納骨を、母は必死で拒んでいたという。それをいつ受け入れることができたのか。それだって関は何も知らなかった。  関はもう一言だけ、滝本に言葉をかけようと思った。だけど、適当な言葉が見つからない。滝本が望んだCDを、自分はもう見つけてしまっていたのだから。  私はきっと、すごく、みっともない顔をしているだろう。  関は滝本を見つめた。
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