7-1

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 滝本の入院した部屋は四人床であったが、他の三つは空床であった。  どうも腫れ物のような扱いを感じる。入院後しばらくは検査続きで、CTやMRIも、生まれて初めて体験した。髄液の検査というのがひどい痛みで辛かった。  八月の半ば頃だったと思う。  よく晴れた蒸し暑い日だったが、部屋の空調は少し効きすぎていた。窓を開けて外界を見下ろすと、並木に囲まれた散歩道が病院本館を囲んでいた。その道の両側を、青々とした葉を繁らせた樹木が並ぶ。 「滝本さん、寒いの?」  不意に声がして振り返ると、ソーシャルワーカーの荏田という女が立っていた。医者でもないのにいつも偉そうに白衣を着ており、患者に対しても当然のようにタメ口を聞く。 「いや、寒いわけじゃねえ。暇だったから、外を見てたんだ」 「それなら良かった。あの樹、プラタナスよ。公園みたいで、ちょっといいでしょ」  そう言って荏田は滝本の傍に寄り、窓の外を見た。 「日本じゃ雑種の方が多いんだけど、ウチのはパリの街中に植えてあるような、純粋なスズカケ。常緑じゃないのは、あまり縁起が良くないと思うけどね」 「落葉樹か」  少し気が滅入った。だが変化がないよりはいいのかもしれない。自分はジョンジーではないし、荏田もベアマンではないのだ。 「それにね、西側の沿道には、彼岸花だって咲き放題。これもどうかなと思うわ」  その花のイメージはすぐに湧いた。血のような赤と、直線的な茎。だがそれよりも、花の名前そのものに、滝本は何かを思い出しかけた。 「その沿道はともかく、ああいう散歩道は人気あるんだろうな。俺みたいな年寄りには」 「何が年寄りよ、私より年下のくせに。滝本さんの病気はね、人によって違うけど、ちゃんと治療したら症状は治まる場合も多いのよ。だけどまた現れて、その繰り返しってこともあるから、長い目で考えていかないといけないんだよね」  そういった説明は、大沼から何度か受けていた。  実際のところ、自分が病気にかかったこと自体、滝本にはぴんと来ていなかった。だが若い頃から酒もタバコも量が多かったから、いつ何の病気になっても不思議はない。 「私はソーシャルワーカーだから、滝本さんの退院後の生活も心配なの」 「分かってる。何度も聞いた」  考えるまでもない。頼れる身内などはいなかった。これは役場でも、繰り返し話したことだ。  父親は滝本が大学を辞めた頃に膵臓がんで死んだ。母親は十年以上も前に男とこの町を出て行って、それ以来、連絡は取っていない。 「身内じゃなくてもいいんだよ、連絡ができる人。心当たり、ないかな。例えば古い――」 「うるせえな!」  滝本は大声を出していた。そのことにはっと気がついて、再び窓の外に目を向けた。 「怒らないでよ、もう、怖いね」 「しつこいんだよ」  努めて冷静を装い、滝本はそう答えた。  安座富町は小さな町だから、滝本が戻ってから見知った顔にもいくつか会ったが、誰も彼もがよそよそしく、居心地が悪かった。 「一人には慣れてる、今までもそうだった。だから大丈夫なんだよ。ほっといてくれ」  本当にそう思っていた。相手が誰であれ、病院のベッドに寝ているだけの姿を見られたくはなかったし、見舞い客なんて煩わしいだけだ。 「そう、それならいいんだけど。私もね、仕事の線引きが得意な方じゃないんだわ。世話を焼きたくなるのよ。滝本さんに、またお節介しちゃったらごめんね」  そう言うと荏田は少し笑った。  身内じゃくてもいい、連絡ができる人。  連絡が取れるかどうかは分からないが、たった一人だけ、思い当たる人間がいた。だがそれはきっと、蜘蛛の巣のように細い糸をたぐり寄せる話になる。  滝本は意図的に話題を変えた。 「荏田さん、あの花、何ていうか分かるかな。病院の駐車場側にたくさん咲いてるヤツ。こういう形の、ピンク色の」  滝本は両手を使って気功を繰り出すような形状を作った。 「分からないな。そうだ、放射線技師の河合さんって知ってるでしょ? あの人、詳しいよ。病院の敷地内で、がんサロンの患者さんたちと一緒にガーデニングしてるくらい」  河合という名は覚えている。MRIの前に、滝本にいろいろと説明をした若い男だ。 「でも滝本さん、花なんか興味あるんだねえ」  荏田はそういったが、花への興味ではない。  その男のことを思い出すときは、いつも花のイメージが浮かぶのだ。小汚いおっさんと少し若いおっさんが、群生する花々をひとつずつ愛でる。何とも不気味な光景だった。  やがて荏田は「じゃあね」といって部屋を出た。
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