9-3

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 それから石田とは、井坂食堂で幾度となく会った。  彼は定職を持っておらず、姿を見かける曜日も時間帯もバラバラだったけれど、それは滝本の方も同じだ。一緒になるタイミングは、いつだって偶然なのだ。会えば決まってバカ話をし、ビールを注ぎ合っては酔い潰れた。  石田を介して、他にも顔見知りの仲間ができた。  飛行機が大好きで、週に三回は用もなく羽田に赴き離発着を眺め続けるというワタリさん。知識もないのに地質を調べるのが日課で、日本中あちこちの土を持ち帰っては小瓶に詰めて部屋に並べているという仁一(じんいち)さん。昔は伝説のヤクザ者だったと言いながら、今ではすっかり鳴りを潜めて銭湯の番台に立つことだけが生きがいの時夫さん……。  全員ろくな収入もない、五十を過ぎた独り者ばかりだ。最初こそ彼らを何か持ってるヤツらだと前向きな勘違いもしたが、何のことはない、何も持ってないヤツら(、、、、、、、、、、)だった。  だが、それでも滝本には彼らといる時間が心地よかった。  同病相憐れむ、などという卑屈さとも少し違ったと思う。そもそも彼らは、滝本のような劣等感や悲壮感のようなものを、持ち合わせてはいなかった。  きっと、ただ楽しかったのだ。  外装は薄汚れているが、オズの魔法使いのようだと思った。行く場所があって、座る席があって、話す相手がいる。それがどれほど心穏やかにしてくれるか、分かった気がした。 「アツシ、あいつらみたいになるなよ。あいつらはただの落ちこぼれだからな」  石田はそう嘯く。 「俺のように、花を愛でろ。一番それが、美しい生き方なんだ」  そう言うと太った身体を大きく揺らして笑った。こんないかれた中年の男に心惹かれていることを自覚したとき、自分がどれだけ孤独だったかを知った気がした。  ユヅキ婆さんの経営する井坂食堂は、滝本にとって無くてはならない場所になった。  だが、石田との付き合いは、結局のところ一年にも満たず唐突に終わった。ちょうどパールセンターが新しく生まれ変わった頃だったろうか。石田は突然姿を消したのだ。  ちゃんとした理由は、今も分からない。  もしも今、退院できたなら、まずはビールを飲みたいと思う。  かつて石田と酌み交わした酒だ。月見草の話も、待宵草の話も、そして彼岸花についても彼は教えてくれた。別名や、由来、根が持つ毒素のこと。  そうして石田は、彼岸花ではない全ての花はこの世の花(、、、、、)なんだと呟いた。 「あの五弁の花は、アツシの大切な花なんだろ?」  彼はそう聞いた。それはおそらく、初めて会った日のあの雑草のことを指していたに違いない。一茶が歌に詠んだという、あの花のことだ。  何故その花の名だけを、思い出すことができないのだろう。  どうして自分はそれほどまでに、その花を気にしたのだろう。  滝本は歯痒さでいっぱいになり、いつしか、翌日の髄液検査のことは頭から消えていた。
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