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 滝本は入院にあたって、黒い小さな旅行カバンに荷物を詰め込んでいた。  最初は検査入院のための衣服や洗面道具程度で、そこまで大げさではなかったが、七月になって加療のための継続入院が決まり、一度帰宅した際には、モノの選別に少し迷った。  病院なんて、何日も何ヶ月も居る場所ではない。  だが鬱々たる気持ちになる反面、新しい「根城」に何を持ち込むか、それは妙な緊張と微かな高揚を併せ持った不思議な選定作業だったように思う。  整理しているときに、深い青色をしたポータブルのCDプレーヤーも見つけた。これで好きな音楽を聴いてばかりいた時期があったが、肝心のCDが一枚も見つからない。  仕方ないので、プレーヤーだけを乱雑に詰め込んだ。  いざ入院生活が始まると、病室では、その旅行カバンをベッドの傍らに置いた。  滝本は時々カバンを手繰り寄せては中身を混ぜっ返し、溜め息をついてまた戻した。  そこには包みが一つ入っている。  マチ付きの茶封筒で、真ん中で二つに折りたたまれた上、ガムテープでぐるぐる巻きにされていた。これは実に十数年、その状態で部屋の片隅に置かれていた。  転居のたびに悩むのだ。  開封すべきか、そのまま捨て去るか。  包みの中には手紙が数通、納められているはずだ。すべて絢からもらったものだった。  いつまでも過去を引きずって、惨めな男だ。  滝本はそれを十分すぎるほど自覚していた。絢のことだけでなく、自分のすべてが嫌いだった。だがそうした意識すらも、他者が不在となると、少しずつ忘れてしまう。社会に怯えて部屋にこもっている間は、時にアンバランスなほど悠然とした時間を生きた。  石田は今、何をしているだろう。  あのとき、石田が姿を消したことを教えてくれたのは、時夫さんだった。彼は店のカウンターにしばらく顔を突っ伏し、やがて起き上がってわざとらしいほど顔を歪めた。 「石田のヤツ、ここにはもう来られねぇっていうんだ。俺もあれから会ってねぇしな」  彼は小柄な体をさらに小さく縮めた。やけに薄ら寒い日だったように思う。  ユヅキ婆さんは、さほど驚いていなかった。過去にも同様のことがあったのかもしれない。ただ、それから彼女が言った言葉に、滝本は冷や汗をかいた。 「ツケが溜まってんだよ、困っちゃうね。いや、それはまだいいんだけど……」  カウンターの向こうでユヅキ婆さんは、一度しゃがみこみ、何やら帳面のようなものを確認したあと、少し躊躇うように続けた。 「私の勘違いじゃなけりゃ、売上金が合わないんだ」 「えっ」  時夫さんが声を出した。 「まさか……アイツが? 人様のものに手を出すようなヤツじゃねぇと思うけどな」 「私も疑ってるわけじゃないよ、たった四万円だからね。でも何度数えても合わないんだ。十日くらい前に気づいたんだけどさ」  滝本の冷や汗は止まらなかった。その四万円を盗み出したのは自分だった(、、、、、)からだ。
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