11-3

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 荏田は時折、用もなく病室に来た。  もうすぐ九月が終わる頃だ。その日も、彼女の来訪は突然だった。 「こんにちは、滝本さん」  最初は何気ない世間話で、ご機嫌伺いというのがすぐに分かった。オダマキを育て始めた話から始まり、病院の食事の話など、取りとめもなかった。 「何しに来たんだよ」 「特に意味なし。息抜きよ」  滝本はベッドから身体を起こした。もう十月になるというのに、やけに暑い日だ。窓を開けると風が流れ込んだ。空は雲ひとつなく、よく晴れた午後だった。  滝本は何となく、石田の話をしたくなった。 「昔、面白いヤツがいたよ」 「友達?」 「友達じゃない。ただの知り合いだ」  滝本は石田とどんなふうに出会って、彼がどれだけ強烈な男だったか、思いつくままに話した。自分にしては珍しく、よく話せたように思う。 「あはは、楽しい人だね。私もいろんな人を見てきたけど、それはなかなかの人だわ」 「だろ?」  滝本は少し気分が良くなった。  だが、石田が姿を消した経緯を話したとき、荏田は怪訝な表情を浮かべた。滝本がくすねた四万円のことはさすがに伏せていたので、そのことではない。 「もともとデカいことばかり言うヤツだったからな、多分、言葉巧みに野心をくすぐられたんだろう。あいつの失った金がどれだけか分からないが、俺はたかだか三十万、気にしねえのにさ。姿を消しやがった」  滝本は補足説明をしたつもりだった。  だが荏田は表情を変えずに言った。 「それってもしかして、その石田って人が騙されたんじゃなくて、石田さんがあなたを騙した(、、、、、、、、、、、、)んじゃないの?」  滝本は咄嗟にはその意味を理解できず、彼女の顔を見つめた。そのときに初めて荏田は表情を崩し、明らかに「しまった」という顔をした。 「石田が、俺から三十万を騙し取ったってことか? そんなバカな話、あるわけないだろ」  滝本は少し意識して笑った。 「ごめん、そうだよね」 「あの話は石田にとって、ほとんどラストチャンスだったんだ。もういい歳だったからな」 「私もそう思う。今聞いただけでも、いい話だもん」  荏田が言葉を発するたびに、滝本は苛立った。窓は開いているが、部屋はまだ暑い。 「ちょうどバブルが終わった頃だったよね、そんないい話だったら誰だって」  荏田は続ける。 「きっとその人も、あなたと一緒に何かやりたかったんだろうね。多分その人は―― 」 「うるせえな!」  滝本は怒鳴りつけ、荏田を制した。 「べらべらと、うるせえ! それにこの部屋、あ、暑いんだよ。こないだは寒かったのに、どうなってんだ、この病院は。今すぐ何とかしろよ、俺は暑いって言ってんだろうが!」  まずいと思ったときには、すでに大声を出し、荏田にぶつけていた。  本当に言いたいことは、そんなことじゃない。荏田は、言葉を発しなかった。滝本はもう彼女の表情を見られなかった。なぜだか分からないが少し嘔気がして、涙が出た。  一人になりたい。  一人でいれば、大声は出さずに済む。 「荏田さん」  滝本は少し声を震わせて、それだけ言った。 「頼んでいいか」 「いいよ、どんなこと?」  彼女は穏やかな口調でそう言った。  今、自分にはCDプレーヤーがある。どうしても、聞きたい曲があった。
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