12-3

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 その日のうち、関はCDを買いに行こうと思った。ケータイで検索してみると、正式なタイトルは「Ruby’s Arms」というらしかった。病院を出て車を走らせ、最も近いCDショップに着いたのは十九時頃であった。  洋楽の「T」の列からトム・ウェイツの見出しを見つけるのはすぐだったが、そこから、そのアルバムを見つけ出すのに時間がかかった。新聞記事のようなデザインのジャケットで、タキシード姿の男が斜に構えたようにこちらを見つめる。  関はそれを購入すると、袋ごとバッグに入れた。  滝本敦司はどうして、この人の、その曲を、聴きたいと思ったのだろう。  自宅に帰ると、関はソファに腰掛けた。それからCDを取り出し、ライナーノーツを読んでみようと思った。だが封をされていて、開けないと読めない。 「ま、そりゃそうか」  関はそう呟くと、リモコン探してテレビを点け、いくつかチャンネルを転々と回した後、興味を引くものがないと分かると、再び消した。  やはり、気になる。  改めて、ネットで歌詞を検索してみた。  いくつかのサイトがヒットしたが、和訳の歌詞は見つからなかったので、英語の歌詞を原文のまま見つめた。英語は不得意だが、意味を追ってみる。  別れの歌だということは、すぐに分かった。  どうも、恋人を置いて立ち去ろうとする男のことを歌っているらしい。ルビーの腕とは、恋人のことだ。何故置いていくのか、どこへ立ち去ろうとするのか、それは分からない。だが、もはや自分には何もできない、心は砕けたのだと、簡単な英語で綴られていた。  心が砕けた(、、、、、)。  どうしてだろう、その言葉は関の思考にしっくりと落ち着き、そのくせ一方では、触れるべきではなかったと妙に感傷的にもなる。  いくつか検索を繰り返すと、曲そのものも、動画サイトで聴くことができた。ジャケットに写るスカした男のイメージとは全く異なる、何ともしわがれた声だ。  悲しい歌だった。  恋人の女性のことを思い、自ら身を引こうとしている。辛くても、辛くても、去らねばならないと心に決めて。  滝本は、どうしてこんな歌を聴きたいのだろう?  関は再び、同じ疑問に立ち返った。そうして、初めて滝本と話したときと同じように、亡くなった父に思いをめぐらせた。大切な人を置いて去って行く、父の死に様。でも考えすぎだろうか。滝本は歌詞など関係なくただこの曲が好きだっただけかもしれないし、例えば同様の過去があったとしても、滝本は生きているのだから。  父は、死んだ。最愛の妻と、娘を残して。その死が勇敢な決断であったはずはないけれど、単なる過ちであってほしくもない。滝本の表情から窺えた翳りは、関が想像する父親のそれとは比較もできないほどに卑小だった。  そのとき、着信音が鳴った。  享久(ゆきひさ)と表示されていた。少し躊躇った後で電話に出ると、くぐもった声が聞こえた。 「朋枝、久しぶり。出てくれるとは思わなかった」 「久しぶり。ちょうど仕事から帰ってきたところだよ。何かあった?」  話すことも一年ぶりだったかもしれない。別れてから数ヶ月後に、彼は東京へ行ったが、その近況報告が、最後の会話だったように思う。 「実は俺、結婚するんだ」 「えっ?」  少し動揺し、言葉を詰まらせた。別にそれを隠したいとも思わなかった。 「ああそう、そうなんだ。おめでとう。何で私に報告するの?」 「うん、傷つくかなと思って」 「性格悪いね。自惚れないでよ」  電話の向こうで、彼は少し笑った。 「元気ねえなあ」 「そう? そんなことないよ」 「そんなことないよ、か。相変わらずの返事だな。ホントに気分悪いんだよ、そういうのは。昔からだったけど、それ自分で分かってたか?」 「あのさ、久々に電話してきて、いきなり絡まないでくれる?」  関は苛立った。付き合っている頃、享久とケンカばかりしていたことを思い出す。今のように、享久からケンカを売られることが多かった。 「相手が誰か、気にならないのか」 「誰なの」 「こっちきて知り合った子」 「何それ、そういう聞き方したら、私の知ってる人かなって思うじゃん」  結局何が言いたいのか分からない。 「朋枝に聞きたいんだけど、俺と別れて良かったって思ってる?」  少しだけ、享久の声色が変わった。 「俺はお前と別れて良かったって思ってるよ」 「本当に、イヤな性格だよね。それを言うために電話してきたの?」  向こうのペースだ。これは何としても、自分が先に答えるべきだったなと思う。 「お前は、カレシできた?」 「関係ないでしょ。あのさ、別れてからも友だちとか、そういうの私、ありえないからね」 「誰が友だちになりたいなんて言ったよ」  本当に頭に来る。関は言葉を返さなかった。
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