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14-2
滝本は看護師を呼び、大沼に来てもらうようお願いした。かつて舎弟だったその主治医に、話したいことがある。彼はナースステーションにいたらしく、すぐに病室を訪れた。
滝本は横になったまま、白衣姿の大沼を見上げて言った。
「俺には信じられねえ」
彼は黙って見ている。
「お前、最初の診察のときに、自分がみそっかすだった自覚なんてないと言ったな。いつも捕まらないから、年上にも負けないほど俊足だと思っていたと」
「ええ、そうでしたね」
「お前は、平然と、そう言ったんだ。だけど、どうして平気でいられたんだよ。そのときは、それに気づいたときは、きっと、お前の世界のすべてが――」
そこで言葉を続けられなくなった。強烈な羞恥心が突き上げ、再び激しい嘔気に襲われた。そして心の奥で、語るべきではないと警告音が鳴る。
「教えてくれよ、本当は俺もみそっかすだったのか?」
滝本は、それでも続けた。
光の弾丸になって、憂鬱の草むらを貫く。走り出したら誰にも負けない自信はいつだってあったのに、それもすべて、幻だったというのか。
ミノルは、自分の信じた世界が滅びていく絶望を、どんなふうに受け止めたのだろう。
「俺には、できない。お前みたいにはなれねえ」
「アッちゃんは、とても速かったですよ」
「嘘をつくな」
「一番速いとその時に思えたなら、それでいいじゃないですか。僕は今も、あの頃の草の匂いを思い出せます。アッちゃんには感謝してるんですよ、僕を仲間に入れてくれた」
「そんなことはない」
滝本がそう言うと大沼は、床頭台のそばに置いてあった丸イスを引き寄せて座った。
「僕の妻が、僕と結婚する前にね、あなたが結婚詐欺師だとしても、死ぬまで騙してくれるなら私は大丈夫って言いました。その言葉が、好きだったんですよね」
大沼はもう結婚しているのか。もう四十を過ぎているのだから、何も驚くことはない。彼の左手を見ると、指輪が見えた。
「僕も妻と同じように、いま目に映る世界を疑わないように生きています」
「でも、俺は―― 」
言い淀み、不意にひとつの疑問が生じた。
絢はどうして、あれだけ好きだった醸造の世界を、自ら捨ててしまったのだろう。醸造学の可能性はまだまだ未知数なのだと、何も知らない俺に目を輝かせて説明してくれたのに。
「ミノル、指輪を見せてくれよ」
滝本がそういうと、大沼は黙って左手を差し出してくれた。
よく見えないが、ただのシルバーリングに見える。触ると凹凸があって、小さなダイヤモンドがいくつかはめ込まれているようだ。
指輪にも「記憶」があった。
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